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夏だ!海だ!①

「海だーーーー!!!!」  水着に着替えるや否や、一目散に楓真は駆けていく。何人かの人が、振り向いてくすくす笑った。高校生がきゃっきゃとはしゃぐ姿は、その目には微笑ましいものに映っただろう。  楽しそうに走っているが、砂や落ちているゴミや貝に躓きそうではらはらしてしまう。 「楓真、転ぶぞ!!」 「だいじょーぶ!! 茂部くんも早く来なよ!!」  向こうまで行ったかと思うと、押し寄せる大きな波から大声をあげて逃げている。幼稚園児みたいだ。  夏休みがやってきた。高校生となれば、一度くらいお手本のような青春をしてみたい。友だちと海やプールに行ったり、夏祭りに行ったり。花火なんかを見ちゃったりして。そこで、ひとりの女の子と運命的な出会いを──というのは、願いすぎだろう。  煩悩を振り払って、現状を思い返す。  学生は夏休みに入っている。つまり── 「ふふ、日焼け止め忘れてるね」 「本当だ……、兄さん! 日焼け止め!!」  兄弟たちも、もちろんついてきていた。  後ろからゆっくり追いつき、隣に並んだ優真さんがにこやかに笑う。 「茂部くん、暑くない?」 「まあ、少し。でもそんなに──」 「水分摂らないと熱中症になりますよ。この前みたいに倒れそうになったらどうするんですか」 「その通りです……」  耳が痛い。確かに太陽がじりじりと照りつけていて、絶好の海日和だ。気をつけなければ倒れてしまうだろう。  ぐい、といつの間にかどこかで買ってきたらしいスポーツドリンクを陽真くんが押し付けてくる。喉に流し込んだそれはひんやりしていて、渇きを潤してくれる。おいしい。 「ありがとう」 「……別に。倒れられたら、困るだけです」  礼を言えば、口を尖らせてそっぽを向いてしまった。予想通りだ。  それにしても、とふたりを見る。水着姿を見るのは初めてだ。当たり前だけど。ほどよく筋肉が付いていて、ぺらぺらの俺の身体が隣にいると際立って情けない。優真さんに軽々と抱き抱えられてから、少しは筋トレをしているのだけど──効果は、今のところ現れていなかった。悔しい。 「ねーみんな!! 早く来てよ!!」  そんなことをぐるぐる考えていると、遠くから楓真がじれったそうに叫ぶ声がした。痺れを切らしたみたいだ。 「だって。行こうか」  優真さんがにっこり笑う。……なんだかんだ、俺も正直わくわくしているのだ。きらめく水面に膝下まで浸かった楓真のもとへ、俺も駆けていった。 「楓真、あんまり沖に行くと──」 「えい」  危ない、と言おうとしたが遮られて。掛け声とともにびしゃりと水がかけられる。楓真が、悪戯っぽく笑っていた。 「っやったな!!」 「あははは! っわー、冷たいって!」  水をかけ返せば、悲鳴があがる。大袈裟な反応に笑いが漏れた。後ろを向けば、微笑を湛えて優真さんと陽真くんがじっとこちらを見ていた。  せっかく海に来ているのに見ているだけなんて、勿体ないにも程がある。  俺は、あまりに楽しくて。その気分の高揚のせいかなんだか強気になっていて。ふたりのもとへ行くと、手首を掴んだのだ。 「え」 「っへ、」  面食らうふたりの様子が面白い。手を軽く引いて、笑う。 「ふたりも見てないで遊びましょう!」 「……うん」 「っは……はい」  炎天下のせいだろう、ぼんやりしていて顔も赤い。冷たい水を浴びれば、少しは火照りも冷めるはずだ。子どものような遊びだが、優真さんも陽真くんも混ざった水かけ大会は存外面白くて。笑いすぎて、頬が痛くなる。 「茂部くん、楽しいね!」 「っはは、すっげー楽しい!」  無邪気に笑う楓真たちは、太陽に照らされて輝いていた。  *** 「疲れた……」 「なんか最終的に追いかけっこになっちゃったね」 「久々にしたなぁ。楽しかったよ」 「……しょっぱい」  ぐったりと、びしゃびしゃに濡れたままで岩場に座り込む。さすがに騒ぎすぎた。高校生らしくはしゃぐ、というよりは──あまりに子どもっぽかった気もする。  少し休んだら、また波打ち際にいこう。……綺麗な貝でも探して、思い出に持ち帰ろうかな。なにも残らないのは、少しもったいない気がするから。  ぼんやりそんなことを考えて蒼を眺めていると、後ろから声がした。 「お兄さんたち、ちょっといいですか? 良ければ一緒に遊びません?」 「うわ、めっちゃイケメンじゃん! やば!」  声をかけてきたのは、年上らしい綺麗なお姉さんが数人。優真さんたちを見て盛り上がる。  すごい。逆ナンだ。この世に本当にあったんだ。相変わらずモテる兄弟たちだ。確かにこうして見ると、水も滴るいい男──という言葉がぴったりだ。少し遠巻きに眺める。  恐らく、優真さんあたりが手馴れた様子で軽くいなしてくれるだろう。せっかく弟たちと遊べる機会だというのに、ナンパに乗るなんて1ミリも想像ができない。 「ふふ。お誘いは嬉しいけど、ごめんね」  思った通りだ。慌てることもなく優真さんが平然と返した。さすが。楓真はどうしようかと困惑した顔だし、陽真くんは興味が無いようにツンとしている。  しかし相手は折れもせず、可愛らしい笑い声をあげてまた言う。 「そこをなんとか~! ここボートとかもあるんですよ!」 「ね、そこのおにーさんも!」  え、俺もいいの? 俺なんか眼中に無いかと思ってた。  聞き間違いかと、呆気に取られていると──ぐい。 健康的に焼けた小さな手に腕を掴まれて、思考が停止した。  慣れていない接触に、心臓が高鳴る。 「うぇ、」 「あは、何その声! んふふ、かわいー!」  変な声が出てしまった。暑さのせいだけではなく、顔に熱が集まる。ぐるぐるする頭の中で、必死に言葉を捻り出そうとしていると──  ぐい、と腰を抱かれる。  誰に? ──隣に座る、優真さんだった。 「ね、すっごく可愛いよね。……ウブな子だから、こういうとき緊張しちゃって楽しめないんだ。だから俺たちだけにしてくれると嬉しいな」  形の良い唇が弧を描く。絵画のような、同じ人間とは到底思えない美しい笑みだった。話している内容のおかげで、俺の心は死にかけているけれど。  ナンパを断るには、確かにちょうどいい都合だ。 「そっかー……すみません! お邪魔しちゃいました」 「気が向いたらまた遊びましょ!」 「ウブなおにーさんも、またね!」  女性たちは、脈が無いとわかったのかすんなりと引いてくれた。  俺に手を振ってくれたのは嬉しいけど、最後の一言に刺された。苦しい。なんとか手を振り返す。 「どうしたの、茂部くん」  柔らかい声色。先ほどまで俺を言葉で刺してきたとは思えない。 「……こういうの慣れてないの、なんとかしたいです」 「ウブなの、可愛いよ?」  また腰に回る手に力がこもる。女の子が何人もころりと落ちてしまいそうな綺麗な笑みで、優真さんは言い放った。 「……嬉しくない……」 「っいつまで腰を抱いてるんですか!」 「ごめんごめん。嫉妬しちゃうよね」 「だっ、誰が……!!」  するりと手が離れる。こういうことをナチュラルにできるのも、慣れている証拠だろう。羨ましい。何人の女性と付き合ってきたのだろうか。  いいなあ。俺も── 「……誰かと付き合いたいなあ」 「へ」 「えっ」 「……は?」

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