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平穏
◇
「高良 さん、片倉さんが来てます」
「あー、分かった」
事務所兼バックヤード兼休憩室でパソコンから手を離して呼ばれた方を向くと、バイトの丹羽 君が顔をしかめている。
「忙しいんでしょ、オレ相手しましょうか」
「いやいい、ちょっと難しい人だから、俺がいく。丹羽君は引き続きフロアメンテよろしく」
はい、と少し不満げな丹羽君をおいてフロアに出ると片倉さんが片手を上げた。
「こんばんわー、姿が見えなかったから忙しいのかなと思ったけどせっかく来たからやっぱ高良さんと話したくて。最近の新刊でいいのある?」
片倉さんは近所の常連主婦さんで毎週金曜の夜に俺のオススメ本を聞きに来る。勧めた本はちゃんと買ってくれるし、話が長いことと、立つときの距離が近いことをのぞけばいいお客様だ。今日もいつも通り文庫の新刊とその作家の既刊をオススメして、三十分で解放された。
「じゃあ、また感想を言いにくるわね」
ひらひらとアイドルのように手を振って片倉さんが帰っていく。閉店の九時まであと三十分、店内の人影もまばらだ。売上の確認にレジカウンターに入ると、レジバイトの関口さんが大げさに溜め息をつく。
「副店長―、お疲れ様ですー」
「まだ仕事中だけどな」
「でも一仕事終えたって感じでしょ、片倉さんのパワーすごいから。旦那さんがもう少し構ってくれたらおとなしくなるかもなのにー」
「関口さん」
「はーい、すみませーん。でも気を付けてくださいよ、痴情のもつれとか、バイト先でイヤイヤ」
関口さんはからからと明るく笑って俺の腕をたたく。痛い。もう少し手加減してくれないだろうか。
「ちじょうのもつれ?」
そこにフロアメンテから戻った丹羽君まで合流してきた。
「痴女ですか?」
「ちがうちがう、痴情のもつれよ、つまり、片倉さん夫妻と副店長で三角関係」
「そうなんですか⁉」
「違う!」
「違わないですよ、片倉さん、副店長狙いだし」
「そんなことないだろう」
「そんなことあります」
「そんなことあるでしょ」
関口丹羽が口をそろえてそう言うから、思わずその迫力に後ずさってしまった。だって片倉さんは確か干支が一緒だから十二歳年上だし旦那さんも子供もいて幸せそうなのに、そんなはずがない。
「副店長は鈍すぎですよ、あれ分からない人いるんだ?」
「分からないよ」
「ピュアが過ぎる。まあ、そんな感じですよね、文学青年中学二年生って感じで素敵です」
まったく褒められていないことくらい分かるぞ。確かに俺はひょろっとした筋肉つかないモヤシ体形だし美容院苦手だから髪も長めだし眼鏡だし本ばっか読んでるし。いや、だからこそ、片倉さんから好意を寄せられる理由がないだろう。
「ん? 中学二年生って何」
「前の飲み会で、小説みたいな恋に憧れるって言ってたじゃないですか、あれ、よかったですよ、恋に恋焦がれてるんですよね」
か、帰りたい。そんなこと言った覚えなんてない、そんなに酔っていただろうか。この前の飲み会って確か半年前に本社から吉良崎 さんが来たときで、まだ寒くて、だめだ、今は詳しく思いだせない。
「飲み会ってなんですか、オレ呼ばれてない」
「丹羽君は三か月前に入ったばかりでしょ、またそのうちチャンスはあるよ。あ、副店長に期待してもだめだよ、いっつもお金ないから」
ちょっと失礼だなとは思うが本当のことなので黙るしかない。関口さんは俺と同年代の主婦だけど同年代故にか、まったく遠慮がない。その明るさは男率の高い夜勤務の中にあって貴重だが、時々その遠慮なさに閉口してしまう。
「と、にかく、レジに固まってるんじゃない、閉店準備」
「はーい、フロアモップかけます」
閉店の九時はもう目の前だ。
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