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第102話 名前の儀

 昼餉を終えて、自室に戻ろうと廊下を歩いていた蒼愛に、紅優が抱き付いた。  後ろから突然抱き付かれて、背筋が伸びるほど驚いた。 「え? 紅優? 月詠見様の所に行っていたんじゃないの?」  神々の守護地の現状を把握するため、紅優はこまめに色んな神様の元に赴いている。  今日は暗ノ宮に行くといっていたはずだ。 「あ、そっか。そろそろ黒曜さんが来るから、戻ってきたの?」  色彩の宝石として瑞穂ノ宮に住み始めてから、黒曜には様付けをやめてくれと言われた。  どうにもやり辛いらしい。  蒼愛としては変な感じだが、一先ず二人の間でさん付にしようと落ち着いた。 「違うよ、蒼愛……。そうじゃないんだ」  紅優の声がいつになく暗い。  何かあったのかと思い、蒼愛は紅優を振り返った。 「俺はまた、同じ過ちを繰り返すところだった。大事にするために遠ざけて、一番大事にしなきゃいけない蒼愛の気持ちを蔑ろにしてしまったんだ」  紅優が何を言っているのか、いまいちよくわからない。  視線を感じて、顔を上げる。  襖の隙間から井光が覗いていた。  その目がニタリと笑んで、蒼愛はびくりと肩を揺らした。 「蒼愛を守るために隠してた。けど、いずれは蒼愛の耳にも入る話だ。これからは俺と一緒に神々の宮を廻ろう。蒼愛が人気者でどこに行っても持っていかれちゃうとか、俺の蒼愛なのにとか思わないようにするから」  ここまで聞いて、蒼愛はやっと理解した。  昼餉の時に井光と交わした話だ。   (黒曜さんとの話に参加できたらいいなって話しただけだったんだけど、大事になっている気がする) 「えっと、僕は紅優のお仕事の邪魔はしたくなくて。その……、僕は学がないから、そういうので紅優の足を引っ張るくらいなら、ちゃんと井光さんに勉強を教えてもらって一人前になってからお手伝いできればって……」 「そういう事じゃない! 蒼愛は充分賢いよ!」  紅優が蒼愛に縋るように抱き付く。 「今の蒼愛でいいんだ。蒼愛にしか見えない、蒼愛にしか感じられない真実を見付けられる。それが蒼愛の才能だよ」  そろりと頬を撫でられて、じんわり胸が熱くなる。 「今日の黒曜との話から、蒼愛に同席してもらうね。ただ、蒼愛にとっては辛い話になるから、無理しないで離席しても構わない。無理しないって、辛いのを隠さないって、俺と約束して」 「うん、わかった……」  頷いた蒼愛に、紅優が安堵の笑みを零した。 「蒼愛が悩んでいたなんて知らなかったんだ。本当にごめん。最近は俺と一緒に居られなくて寂しい思いをさせているとは思っていたけど、そんなに思い詰めていたなんて」  どうやら井光は紅優に相当に盛った話を伝えたらしい。  ついさっきまで真と坂を転がって遊んでいました、楽しかったですとは、絶対に言えない雰囲気だ。 「僕、紅優の役に立ちたい。僕に出来ることは少ないかもしれないけど、どこかに行くなら一緒がいい。傍に居させてほしい」  今、言える限りでの本音を、蒼愛は伝えた。  紅優が泣きそうな顔で蒼愛を見上げた。 「俺も、一緒に居たいよ。この国は、二人で守ろう」  紅優に強く抱きしめられる。  嘘はついていないのに、どうしてか後ろめたい気持ちになった。 〇●〇●〇  約束の時間に、黒曜がやってきた。  蒼愛の姿を見付けた黒曜が、いつもと変わらない笑顔で腕を伸ばした。 「久し振りだなぁ、蒼愛。祭祀以来か? 色々と大変だったみてぇだが、元気そうだな」  蒼愛も何の抵抗もなく黒曜に手を伸ばして、抱き上げてもらった。 「時を遡ったり記憶がなくなったり幽世に閉じ込められたり試練を受けたりしたけど、今は元気だよ」  黒曜の笑顔が引き攣った。 「本当に大変だったな。生きてて良かったぜ。顔付きが、また大人っぽくなったんじゃねぇか?」 「黒曜さん、会うたびにそう言ってくれるけど、本当に思ってる?」  蒼愛の体を降ろして、黒曜がにししと笑った。 「疑えるようになった時点で成長してるよ。昔の蒼愛には有り得ねぇ発想だ」 「そうかもしれないけど……」  納得いかない感じに頬を膨らます蒼愛の頭を黒曜が撫でる。 「可愛いのは変わってねぇなぁ」  言いながら、蒼愛の膨らんだ頬を突く。  いつもの仕草に安堵して、笑みが零れた。 「蒼愛様は黒曜とも仲が良くていらっしゃるのですね」  井光が感心した顔をしている。 「黒曜さんは紅優のお友達なので。僕らが番になる時に名前の儀をしてくれたのも、黒曜さんなんですよ」  蒼愛の言葉に井光が納得の顔をした。 「ああ、それで今回も黒曜を呼んだのですか?」  井光が紅優に顔を向けた。 「蒼愛が自分たちと同じが良いというので。俺も立会は黒曜にお願いしたいと思っていましたから」  蒼愛は井光と黒曜を交互に見た。 「二人は知り合いなんですか?」  国の統治者とはいえ、黒曜と井光に接点はなさそうだ。 「俺も昔は側仕をしていたからなぁ。その頃の側仕筆頭が井光だったんだよ」  意外な答えに、蒼愛は目を丸くした。 「黒曜さんも、側仕してたの? 妖狐だから火産霊様?」 「いいや、月詠見様だ。妖狐っても俺は黒いからな。黒い生き物は暗の属性と相性がいいんだ。逆に白は火とか日と、相性がいいな」  黒曜の説明には納得できた。  神々の側仕は、それぞれに属性が近い種族が付いているように見える。  何より、月詠見と黒曜は話が合いそうだなと思った。  同じくらい、黒曜は井光とも仲がよさそうだ。 「んで、お前さんが白狼の真かぃ? 如何にも瑞穂ノ神様に似合いの神獣だなぁ」  黒曜にまじまじと眺められて、真が居心地悪そうに目を逸らした。 「確かに俺は神に連なる血筋だが、正直、気後れしてるよ。こんな立派な神様の側仕が俺でいいのかって」  真がちらりと紅優を窺う。 「何言ってるの、真しかいないでしょ。幽世に攫われた蒼愛の元まで導いてくれたのは、真だよ。あの時、真が俺を拾ってくれなかったら、あのまま諦めていたかもしれない」  蛟の縷々の背中から落ちた時、紅優は抗わなかった。  あの時、気持ちはもう折れていたのかもしれない。奮い立たせてくれたのは、真と井光だ。 「そうだよ! 真は僕らに必要な存在だよ。真には、いっぱい助けてもらってるよ!」  幽世の試練の時もだが、紅優がいない間、寂しくなく過ごせているのは真のお陰だ。  紅優とは違う意味で、蒼愛にとって欠かせない存在だ。 「そうですね。真のお陰で蒼愛様は毎日健やかに過ごされております。今日もとても楽しそうでした」  井光の言葉に、蒼愛は言葉を飲み込んだ。  真が蒼愛と同じような顔で気まずそうにしている。  そんな四人の姿を眺めて、黒曜が笑った。 「なんだなんだ、もうすっかり仲良しじゃねぇか。神と側仕はそうでないとなぁ。これから先、一緒に生きていく家族だからな」  家族、という言葉が、蒼愛の中に響いた。 「家族……、家族かぁ。僕、家族って初めてだから、嬉しいかも」  理研生まれの蒼愛にとって、父母など知れない。兄弟もいない。強いて言うなら理研の仲間が兄弟と言えるのかもしれないが。関わらないように生きてきた蒼愛が覚えている理研の仲間は芯と保輔だけだ。 「蒼愛様は、両親がいないのか?」  真に問われて、蒼愛は頷いた。 「そういえば、真にはまだ蒼愛様の基本データを伝えていませんでしたね。後程、お伝えします。頭に叩き込みなさい」 「はぁ……」  井光が真に圧をかけている。本人に聞くなという気遣いだろうか。  基本データーがあるんだな、と蒼愛的にはその部分が引っ掛かった。  神々が蒼愛について、最低限の情報を知っていたのは、その基本データとやらが回っていたためなんだろう。 「別にいいよ。僕ね、理化学研究所ってとこで作られた人間でね。試験管ベイビーっていうのかな。だから父親と母親、知らないんだ。失敗作で売られるために囲われてたから、現世の一般的な常識とかも、あんまり知らないまま、この国に売られたんだ」  蒼愛の話を聞いていた真が考えるような顔をした。 「理化学研究所って、リケンとかいう所か? 俺が現世で一緒に暮らしてた人間が、リケンでバグとかブランダとか言ってたぞ」 「えぇ⁉ 本当に?」  思わず真に前のめりに迫ってしまった。  真が普通に頷いた。 「俺は武蔵の山で暮らしてたんだが、逃げてきたとかいう人間を俺と暮らしてたマタギの爺さんが拾ってさ。ソイツが爺さんの後継いでくれたんで、死ぬまで一緒に暮らしてたよ」  あまりに予想外の話に、手が震えた。 「それって、どれくらい前の話? 最近じゃ、ないよね?」 「そうだなぁ。現世の時間で三十年くらい前だな。蒼愛様と同じように霊元があってさ。けど、長生きしなかったよ。ニ十歳は、人の寿命じゃ短ぇだろ?」 「そう、だね……」  bugの子供は基本、二十歳まで生きない。  霊元はあっても、もしかしたら巧く定着しなかったのかもしれない。 「兼太が死んだから、俺は仲間を追いかけて瑞穂国に来たんだ。現世じゃ、俺が最後の生きた大口真神になっちまったけどな。そうか、だから蒼愛様は懐かしい匂いがするんだなぁ」  真が蒼愛に鼻を近づけてクンクンと嗅ぐ。  人の姿をしていても、仕草が狼っぽい。 「蒼愛様からは最初から、大好きな匂いがするよ」  真が屈託なく笑う。  泣きたくないのに、目が潤む。蒼愛は真に抱き付いた。 「理研の仲間を大好きって言ってくれて、ありがと。僕を大事にしてくれて、ありがと」  理研生まれでも差別も憐みもせずに、普通に接してくれる真が嬉しかった。  ちらりと見えた紅優の顔が曇って見えた。  顔を上げると、井光や黒曜も、あまり良い顔をしていないように見えた。 「名前の儀、始めようか。まずは井光さんからかな」  紅優が顔色を隠して自然と言葉を振った。  井光が黒曜の前に座す。 「蒼愛、こっちに来て」  紅優に手招きされて、隣に座った。 「井光は同じ名前でいいんだろ? そのまま書くぜ」  蒼愛たちの時と同じように、黒曜が白い紙に井光の名前を書いた。   「じゃ、紅優と蒼愛の神力を籠めてくれ」  紅優が人差し指を名前に向けた。  真似をして蒼愛も指をさす。 「神力を黒曜が書いた名前に流し込んでみて」  紅優に言われた通り、指先に集めた神力を名前に向かって流す。  二人の神力が混じわって、名前が浮き上がった。  黒曜が井光に向かって指を振る仕草をする。  名前が飛んで、井光の胸から体に沁み込むように入っていった。  体が一瞬、金色に輝いて、紅優と蒼愛の神力を感じた。 「確かに、いただきました。改めまして、瑞穂ノ神紅優様と色彩の宝石蒼愛様の側仕として、この命尽きるまでお仕えさせていただきます」  井光が紅優と蒼愛に向き直り、深々と頭を下げた。 「よろしくお願いします」  蒼愛も改まって頭を下げた。 「井光さんには長生きしてもらわないとね。あと五千年くらい」 「五千年でも一万年でも、紅優様が神である限り、尽くしましょう」  紅優のジョークめいた言葉にも、井光が笑顔で返している。やっぱり強いなと思った。 「次は真ですよ」  場所を真に譲って、井光が下がる。  黒曜の前に座った真がやけに緊張している。 「普通に息して大丈夫だぞ。痛くも痒くもねぇから」  黒曜が心配そうに声をかけると、真が無言で頷いた。 「で? 名前は決まってんのか?」  黒曜の視線を受けて、蒼愛は紅優と目を合わせて頷いた。 「今回は蒼愛の意見優先で」 「でもちゃんと、二人で考えて決めたよ」  二人揃って指を出す。  二人の指先に灯った神力が、黒曜に向かって飛んだ。 「あぁ、なるほど。蒼愛らしいし、真らしいねぇ」  言いながら、漢字を書き足す。  真の漢字の下に書き足された文字は白だ。 「真に白で真白(ましろ)。雪みたいに真っ白で綺麗な狼姿、僕は大好きだから!」 「真には天上の常識に染まらない目線と発想を持っていて欲しいんだ。真らしくいてほしいから、真白だよ」  蒼愛と紅優の言葉を聞いて、真が黒曜の書いた名前をじっと見詰めた。 「……現世で、理研生まれの兼太は俺を白って呼んでたよ。こんな偶然、あるんだなぁ」  笑顔で振り返った真の目尻には、薄ら涙が浮いていた。 「この名前で、決まりでいいな」  黒曜の確認に真が頷く。  紅優と蒼愛は真白の名前に神力を籠めた。  名前が浮き上がり、真の胸に飛び込む。溶けるように吸い込まれて、真の体が金色に輝いた。 「紅優様と蒼愛様の神力を感じる。濃くて強くて、優しいな」  眠るように目を閉じて、真白の体が倒れ込んだ。  その体を井光が受け止めた。 「強い神力が馴染むまで、恐らく目を覚まさないでしょう。慣れないと体が火照ってぼんやりしますが、強すぎる力を受け入れるには意識を沈める方が早い」  井光が真白の体を抱き上げた。 「真白、大丈夫? ちゃんと起きるよね?」  真の名前を呼べなくなっているから、名前は定着したのだろうが。  心配そうに問う蒼愛に、井光が微笑んだ。 「恐らく、これほど強い神力を授かったのは初めてなのでしょう。馴染めばちゃんと起きますよ。私ですら、少々頭の芯が痺れます。真白には強いでしょう」  慣れてるであろう井光でも辛いのなら、真白が意識を失うのも頷ける。 「真白を休ませたら、井光さんも休んでください。あとは俺たちだけで、大丈夫ですから」  紅優に向かい、井光が小さく礼をした。 「お言葉に甘えさせて戴きます。蒼愛様、頑張ってくださいね」  そう言い残して、井光が真白を抱えて部屋を出ていった。 「あの井光ですら、受け止めきれねぇ神力か。やっぱり瑞穂ノ神は特別だねぇ」  黒曜が揶揄うでもなく、只々感心して呟いた。

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