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「…困ったものだね…、まあ気 持 ち は わ か ら な い で も な い が――世間的に、そういう犯罪行為がまかり通るアプリが普通にリリースされている、というのもまず問題だ……」
「…………」
(僕の口を手で塞いだまま)ソンジュさんは呆れた顔でそう目玉をぐるりと回す――が、今確実に気持ちはわからないでもないが、と言ったよな――。…というか、なるほど…アプリか。
今の世の中の恐ろしさを知る。――それこそハッキングなどの専門知識がなくとも、専門知識のある人が作り出したそういうアプリを、スマホにダウンロードすれば…どんな人であろうとも、スマホの持ち主の会話等を盗聴もできれば、GPSでその人の現在位置を追うこともできてしまうものらしい。
いや、僕は正直、そういった見慣れないアプリのアイコンを見た覚えはないのだが…しかし、それこそ今のスマートフォンは、ホーム画面にあえてアプリのアイコンを表示させない――ダウンロードされていても、誰にもバレないように隠すことができる――機能もあるので、…僕が気が付けなかったのは、もしかすると、それのせいなのかもしれない。
「……また一つ、あのケグリをブタ箱にぶち込む要素を手に入れられたのは、まあいいけどね…、え…? ははは、何を言っているんだよモグスさん…――もちろん殺意はあるよ。でも、本当に殺すわけないじゃないか。そんなまさか…」
「…………」
さすがのソンジュさんでも、人殺しはしないらしい。
やっぱりソンジュさん、根は優しい人なのだろうな、と見直した。――のもつかの間。
「…死ぬより、生きているほうがよっぽど辛いに決まっているだろ…、生きていないと地獄は味わえないものだからね…、ふふ…死ぬ瞬間ばかり苦しくとも、まあ、生の苦しみにはそんなの些細な苦しみだ、全く及ばないんだよ……」
「…………」
何か、怖いことを言い始めたような気がする。――いや気のせいじゃないか。…怖いことを言っている。
「…いやいや、グチャグチャにして殺すんじゃあまりにも単純じゃないか…、それに死なせてしまったら…俺たち、アイツらが地獄で苦しんでいる様を見ることができないだろ…――まして、あの世に地獄があるかどうかだって、自分が死んでみないことにはわからないしね……」
「…………」
電話口で、この怖いほど綺麗に微笑んでいるソンジュさんの内容怖い、声色穏やかな言葉に、モグスさんはいったい何と返しているのだろう。――生憎、僕にはモグスさんの声っぽい音が若干聞こえる程度なので、何かしらを返していることこそ確かでも、その言葉の内容を聞き取ることはできない。
「いや、俺たちというのは、…モグスさんと俺じゃなくて、俺とユンファさんの話です。勘違いしないでくれよ、全く…」
「…………」
全くじゃなくて…なぜ僕とソンジュさんが、ケグリ氏たちの喘ぎ苦しむ姿を見ることになってるんだ。――僕、別に彼らのそういう姿を見たいとは言っていないんだが。
「いやいや…まさか、そんなこともしないよ。肉体の痛みよりも確かに残るのは、精神の痛みだ…――体の傷はやがて癒えようとも、精神の傷は…、ね、そう簡単には癒えないものだよ。絶えず地獄を味わわせるためには、生きながらにして、精神を追い詰めること…それが一番だ。」
「…………」
よっぽど人殺しより怖いことを言っていないか。
あと、もう無抵抗なんだからそろそろ僕の口から手を離してほしいところである(この件で僕に言及できることなんてない)。――いや、押して駄目なら引いてみろ、…僕は後ろに後ずさる。口から彼の手が離れる。…また手のひらで押さえつけられる。
ソンジュさんは何かうっとりとした目で、僕のことを見てくる。
「…ははは、何より…俺が収監されたら、ユンファさんの側を離れなければならないだろ…? 単に殺せば復讐になるなんて、そんなのつまらないことだ。――安全な場所から、まるで釈迦のように地獄を見下ろすからこそ、楽しいんじゃないか…」
「…………」
あえて言い切るが、確実にお釈迦様は楽しみで地獄を見下ろしてはいない。――いや、思えばさっきノダガワの三人に土下座したときの…ああいう感じで、ということか。なるほど、サディストの極みである。
すう…と翳るその水色の瞳――恐ろしいほど薄暗くも美しい、聖なる微笑み。
「…邪魔者をこの世から消せばいいなんて、いや、そんなの短絡的じゃないか…? その邪魔者を、もう邪魔をする気にもならないほど追い詰め、死ぬよりも辛い目に合わせたほうが…楽しいし、何より、建設的だよ。――どんなゴミクズでも、資源にはなる…、それでも肉体さえあれば、何かしらの利用価値は生まれるものだからね…、生きてさえいれば、安くとも価値は生まれるものだ……」
「……、…」
こっわ……――下手な殺人鬼より怖いこと言っている。
「はは、うん…まあ蜘蛛の糸を垂らすかどうかは、またそのときに考えるよ。――とにかく、ユンファさんのス マ ホ は 初 期 化 しておいて。…うん、その後はもちろんそのように。それじゃ」
「……、…んん゛!?」
待て待て、スマホ初期化!?
僕は口を塞がれたまま、驚きのあまり目を見開いた。
しかしソンジュさんは薄ら笑いを浮かべつつ、チラリと僕をその瞳で見下ろす。
「……え…? いや申し訳ないが、あとはもう全部モグスさんにお任せいたします。…忙しいんですよ、これでもね。…ほら、俺にキスをしてほしくてたまらないユンファさんを待たせているし…、今も可愛い猫ちゃんみたいに、構って構ってって擦り寄ってきているから、あ、というか今から、一緒にお風呂も入るしね……」
「……んんん…」
ううん、と首を横に振った僕は、そもそもでっち上げられただけでソンジュさんのキスを待ってなんかいないので、てか擦り寄ってもないし、ほんと嘘ばっかりだ、…というか――何、一緒に、お風呂に、入る?
さっきは見ているだけとかなんとか、――いや、たまには一緒に入るかも、とは言っていたが、…それにしても何かと勝手に決めて、何かと勝手に進めてゆくじゃないか。
僕の意思は聞かないのか? 僕の意思は無視かよ。
「はは、邪魔しないのはわかっているよ…、でも、万が一邪魔したら……ふふふ、いや、殺しはしないけど…――殺しはしないって。」
「…………」
ほんとか…つまり殺意は湧くという意味だろ、なあ、本当に大丈夫なのか?
やりかねないだろう、ソンジュさんなら。…いや、さすがにモグスさんを殺そうとするなら僕は、ソンジュさんを死んででも止める。――ケグリ氏はともかく(その人に殺意をいだき、全部終わったらぶっ殺すと思っていた僕だって人のことは言えない)、…しかしあの善良そうな(人の荷物勝手に暴いているけど、結果的に盗聴やGPSを発見したのだからやっぱり善良な)モグスさんは殺されるべき人じゃないのは明らかである。
「…ふっ…ククク…モグスさんは、そうやってすぐ怖がるんだよな…――殺したことがないから、貴方は今生きているんじゃないか…? 長生きしてね…自分の命は、大事にしなければ……」
「………、…」
どう聞いても命が惜しければ俺の邪魔はするなよ、という脅し文句にしか聞こえない。
「…え…? 殺すとしたらひと噛みなんて…まさか、そんなことしないよ。…信用ないんだな、俺…」
「…………」
これもまた、ひと噛みじゃあまりにも楽になるのが早いだろう、殺すとしたらもっとじっくり苦しめてからぶち殺す、というようにしか聞こえない。そりゃあモグスさんだって怖がるだろ。
「…ははっでも、“狼化”していたらわからないけどね。ほら、あのときは本能に抗えないだろ…? まあ仕方ないよ、そうなったら、そのときはそのときだと諦めてください。ふふふ…」
「…………」
シンプルに怖。
もう普通に殺すと言ってるようなものである。
「…ん…? 冗談かどうかなんかどうでもいいだろ…あ、そういえばモグスさん…――さっきの荷物の写真の中に、ユンファさんのリップクリームが無かったようなんだけど……え。」
「……?」
今の会話の流れ的に、それが冗談かどうかって、何なら一番どうでもよくないことのように思えるのは、僕が間違っているのだろうか――ていうか、僕のリップクリーム? あ、確かに入れ忘れたかもしれない。
するとソンジュさん…ショックそうに目を瞠り、さあっと青ざめる。
「え、……、…本当に無かったのか…? ゆ、ユンファさんの唇が何度も触れたあのリップクリームが? 購入日は今年の三月十五日、ドラッグストア・チューリップで午後七時頃ユンファさんが税込み234円で購入したメンソモータムミルクin三本入り、会計の際にユンファさんの手に触ったのはヨシダ・ユウジ二十歳大学生バイト、基本的に土日中心にシフトを組んで朝八時から八時間十六時まで、一時間休憩を差し引いて……」
「………、…」
さすがにドン引き…しそうだ。
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