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「…正直、残された時間はもう、一週間丸々もありませんが…しかし、俺はその間なら何度でも、何度でも貴方にこう言いましょう…――俺と結婚をしてください、ユンファさん」
勝利を確信したような暗い笑みを含ませた、ソンジュさんのじっくりとしたその言葉に――僕は、
「……、ぼ、僕は……」
そこでコンコンコン…ノックが、そして間もなくガチャリ――この部屋の扉が開く。
「……、おぉ、悪い。まぁた妙なタイミングだったか?」
「…………」
「…………」
それはモグスさんであり、一斉にその人を見た僕らを見留めるなりその人は、ドアノブを握ったままどこか気まずそうに、ポリポリと後ろ頭を掻いた。
「…あーとりあえず、これ。…抑制薬持ってきたからよ」
そう言いながらモグスさんは、スタスタと僕らのほうへ歩み寄ってくる。…決まり悪そうな感じでそそくさと彼は、その抑制薬のシート――一回量が二錠のため、二錠で切り取られたシート――を、僕らの前のテーブルに置くなり。
「大事な話し合いの最中に悪かったな、…まあ見るにどっちも大丈夫そうだし、とりあえずこれで。…んじゃ」
「いえ、ありがとうございます」
僕がお礼をいうとモグスさんは、「いえいえ」とどこか安心したようにニカッと笑い――「じゃな」と、そそくさ、この部屋の扉から出て行った。
「…………」
「…………」
逆に…よかったのかもしれない。
僕は先ほど、「わかりました」――つまり…迂闊にもYESと言いかけてしまった。…しかしモグスさんの訪れによって間が空き、思い直す時間があった。
まずは抑制薬を飲もう。――僕はぷち、ぷち、とそのピンク色の丸い錠剤を二つ指で押し出し、手に出した抑制薬を口へと含んで、コップの水ごとそれを飲み込む。
それどころか、コップの水を飲み干して――。
「……はぁ…、……」
これで…ひとまずは安心だ。
では、次。――と勇み、カンッとコップをテーブルの上へ、叩きつけるように置く。
「…ソンジュさん」
「…はい…?」
「…できません、結婚。やっぱり今は……」
今、決めろ。…いや、一週間以内に決めろ。
できない。――僕が臆病者だというのは大いにあるが、何より正直、それは狡 くはないだろうか。
僕は今でこそまだ頭が働いているが、たとえ抑制剤を飲んでいたとしても、それでもやはり多少は思考能力がいつもより下がる。――そして、そのオメガ排卵期がきている一週間以内に本 来 の 形 で の 結 婚 するかどうかを決めろ、というのは、僕には判断できないことだ。
そもそも今決めろ、というのにしたって、結婚というのは勢いだけで決めてよいものなのか。――僕の不安解消のため、丁寧に理論建てて説明していただいたあとでは申し訳ないのだが、僕はソンジュさんと本 当 の 意 味 で 結 婚 してよいものなのかどうか、いまだ決めあぐねている。――はっきりいえば、僕にはもっと時間が必要だ。
「…ソンジュさんのその計画や、予測を疑っているつもりはないんですが…、正直、本当にそうして上手くゆくかどうか、確証もありませんし……」
ソンジュさんは確かに頭の切れる人である。
そして、彼の計画や夢、推測もまた、そうなりそうだ、という予感がする。――しかしそうはいっても、本当にそうなるかどうか、というのは…僕にも、もちろんソンジュさんにも、はっきり言い切れることではないはずだ。
未来は絶対にこうなる。――と言い切れる人は、この世にはいないのである。
「……ソンジュさん、ただ……」
僕は一旦落ち着こうと、震えている両手でまた、ミルクティーの入っているティーカップを取った。――そしてそれを、口元へ持ってゆきながら。
「…もし本当に、どうしても僕と普 通 の 結 婚 がしたいなら、…その、まずは…――貴方のご両親に打診をして、それから…じゃないでしょうか」
僕は予想の話ではなく、いっそのこと――玉砕覚悟であっても――ソンジュさんのご両親に直接、堂々と、この婚姻の話をするべきなんじゃないかと思ったのだ。
「…………」
「……、…」
ソンジュさんは返事をしない。
ミルクティーのふくよかで濃厚な香りを近くに感じてはいるが、僕の震えている手は、カタカタとティーカップを揺らし、中のミルクティーを波立たせるだけで、飲もうとはしない。――今待っているソンジュさんの返答次第では、すぐに僕は何かを言うべきだと思っているからだ。
結婚というのはもちろん、当人二人だけの話ではない。
ましてや、九条ヲク家に生まれているソンジュさんともなればいよいよ、まずはご親族に結婚や僕のことを認められなければ、彼も僕も大団円とはならない。
それに、認めてくれるはず。だから結婚した。――そうして事後報告なんかしてしまったら、それこそ合否がどうあれ彼のご両親は、どのみち良い気はしないことだろう。
なかなか待っていても返事がないため、僕は再度。
「…つまり僕らの結婚は、まず、ソンジュさんのご両親に認められてから……」
「いえ、それはできません。」――しかしソンジュさんは、僕の言葉を遮った。
そして彼は、固い声でこう続けた。
「一週間。なぜ俺が、貴方との“恋人契約”を一週間としたのか…――それは…俺の両親が今、一 週 間 の 旅 行 に 行 っ て い る か ら です。」
「……、それは、どういう……」
ご両親が、一週間の旅行に行っているから。
つまりソンジュさんは、ご両親の目が無い今だからこそ、そのお二人の目を盗むようにして、僕とその“恋人契約”――すなわち僕と結婚をするための前座を、執り行ったというのか。
「…今はまだ、これ以上は言えません…――しかし、どのみち俺は、事後報告でなければ……」
「ならば尚の事、僕は貴方とは結婚できません。――そんな、…当然だが、ご両親の了解無く結婚なんて…、契約結婚でさえ本当は、どうかしてると……」
ソンジュさんのご両親に、「どうかしている」と言われても反論などできないだろう。
そもそもその理由は今これ以上言えない、なんて言われてしまっては、先ほど理路整然とながらもアピールされた話だって、結局は希望的観測というふうに思えてしまう。
ソンジュさんのことは信頼したいが、それではとてもできない――いや、それじゃしきれないところがあるのだ、どうしても、申し訳ないが。
「…それは、約束と違うじゃないか…」
低く、のっぺりとした声で僕を脅すようなソンジュさんに、僕は内心焦る。が――。
「…ご、ごめんなさい、でもそうじゃないですか、…それこそご両親に何も言わず僕なんかと結婚したら、どのみちご両親は良い気しない……」
僕はそこまで言いかけて、ハッとした。
ソンジュさんが、グウゥと僕の背後で、唸っていたからだ。
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