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【16】夢と目合う ※ ※モブユン

 ※さすがにこの一話だけで物凄い文字数になってしまったため、少しずつ小分けにしてあげさせていただきますm(_ _;)m  このお話には「ソンジュ×ユンファ(メインカプ)」と「モブユン」の「濡れ場シーン」があります。ガッツリメインなのはソンユンです。いずれにも該当ページには「※(モブユンには「※モブユン」)」表記をしておりますので、お気を付けてお読みください。  また実はですね、申し訳ありません…!  実は以前のユンファサイドにてカナイ扮するソンジュが「(ユンファの勤務時間の)午前零時~五時」までフルで買ってくれた、というような描写をしてしまったのですが、二人が両思いになるという大事な話のため、あんまりにも描きたいシーンが多すぎた結果元の十万文字いかないくらいの話が醗酵中のパンのように膨らみに膨らみもうパンッパンになり(※親父ギャグ)、そしてユンファのガードが固すぎるのが仇となった結果(※ここまでされてんだから早く好きって言っちゃいなYO!……という作者とソンジュの願いは全然叶えられず)、何とかユンファが恋を認めた時点ではもはや「ふーん、五時間じゃどう考えても無理じゃん(白目)」という段階まできておりました。気が付いたら七十万文字越えてました(※リアタイで校正とかしてるので最終的に何万文字になるかもまだわかってません)。知らんうちに思えば遠くまで来たな俺たち…みたいな状況でした。    つまりその時間の点が変更になっちゃってます……本当にごめんなさい>人<;  そんなグダグダを極めた感じではありますが(※いつものこと)、今回も少しでもお楽しみいただければとっても嬉しいですぅう…っ!※     ×××                           ――虚言(うそ)いへば背中に松が生える。        九条(クジョウ)(ヲク)松樹(ソンジュ)という男は大嘘吐(おおうそつ)きだ。     『虚言(うそ)いへば背中に松が生える』  ――このヤマトの中国地方にはこうした言い伝えがあるそうだ。思うに、これほどに俺の(たい)を成したことわざもないものである。    便利な嘘を吐かなければならない場面というものは、誰しもが人間として生きてゆく以上毎日のように直面する。  あたかも「悪」のように扱われがちな「嘘」というものはしかし、嘘である以上は人の目には見えないというだけで、誰しもの日常の側にひっそりと大小いくつも浮かぶように存在している。――嘘は足を持たない。  嘘に足が生えて地面を踏むときは、嘘が嘘であると暴かれた瞬間のみのことである。    しかし、正直者が誠実な者であるとは限らない。  もっといえば、真実こそが「善」であるとは限らない。  気遣いのない真実は人を傷付け、押し付けがましい真実には人の蔑視が向けられる。また人に信用のされない真実など、結局は嘘とも成り得るものだ。――しばしば極めて個人的な裁判にかけられる嘘というものは、その使い方によって善とも悪とも判断される。嘘とは良くも悪くも華美な(ほこ)であり、嘘とは、良くも悪くも偉大な盾である。  真実はもとより、嘘というものの本質にも善悪などという概念は存在していない。真実、そして嘘とは本来、極めてニュートラルなものなのである。    俺は嘘を()かなければならなかった。  小説家は嘘吐きだ。小説家とは真実に嘘を上手く織り交ぜて、あたかも真実に見せかけた説得力のある嘘をくだくだしく吐く生き物である。    俺は、嘘吐きだ。  俺はこれまでの人生にも、折々必要なだけの多くの仮面を用いて、嘘を吐き続けてきた。    夢想家(ロマンチシスト)は嘘吐きだ。  いつ何時も人に現実的ではないと見做(みな)される夢想を信じ込み、いつ何時も夢を思い描くことをやめず、いつ何時もオルトルイズム(愛他主義)的に夢こそが自他共に必要不可欠なものであると信じ切っている。    夢想家はこう考える。――現実という証拠には数の限りがあるが、夢という空想には数の限りがない。  現実には存在し得ない夢というものを、夢想家の頭はあたかもそれが現実に実存していると考えているか、もしくは「まだ」現実には存在していないだけなのだと考えている。  なお俺にこのようなインスピレーションを与えたのは、かのアルベルト・アインシュタインである。    ――彼はこう言った。   『Imagination is more important than knowledge.  For knowledge is limited,whereas imagination embraces the entire world,stimulating progress, giving birth to evolution.  It is,strictly speaking,a real factor in scientific research.  (想像力は知識よりも重要だ。知識には限界があるものだが、想像力にはその限界がない。想像力は世界を包み込み、進歩を促し、進化を生むのだ。厳密にいおう。想像力こそが、科学研究における真のファクターなのである。)』    ――()も方便である。  嘘とは空想であり、イメージであり、誇りであり、便利なツールであり、盾であり、矛である。――すなわち嘘とは夢である。夢とは空想だ。夢とはイメージだ。夢とは誇りだ。夢とは便利なツールだ。夢とは時として自他を守る盾になり、夢とは時として勝利を(もたら)す矛ともなる。    さて、俺というのは確かにどうしようもない大ぼら吹きだが――俺は俺の夢想家の誇りに懸けて、月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)に捧げている俺の愛には何ら一切の嘘がないと()()()()をしよう。    この愛とは我が唯一神への絶対服従的な信仰心である。  断言する。俺の愛は僅少(きんしょう)なひと欠片(かけら)さえ月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)以外の者へと注がれることはない。  むしろそれは不可能とさえいえる。すなわち俺が浮気、不倫、かの男神の至上の美貌以外に惚れ込み、月華で造られたかの蒼白い肉体以外に渇愛をするなどということは、まずもって未来永劫有り得ないことである。    なぜなら俺は、あの夢のように美しい()()()()――月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)に魂から惚れ込んでいるために、かの美貌にしか肉体も精神も(みなぎ)らないからだ。  月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)に対する俺の愛とは永久機関である。注ぎながら作られ、作りながら完全に、完璧に、残滓(ざんさい)とて残さず全て、未来永劫あの月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)へのみ注がれてゆくという絶対的真実は全く、今となっては自明というのさえも(はなは)だ馬鹿らしいほどだ。    大嘘吐きの俺が自負するところ月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)への俺の愛は、実直かつ誠実なる真実の愛を極めたものである。なぜなら、  ――月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)が、生来の夢想家である俺にとっての「愛すべき夢」であるからだ。    彼は俺の確固たる希望であり、叶えたい願望である。  憧憬の過去であり、理想の今であり、幸福の未来である。夜空に住まう光り輝く美しい俺の神であり、闇夜の道しるべとなる美しい俺の月である。    俺が終生の信仰を誓った我が唯一神であり、俺を慰め導く理想の聖人であり、俺へ敬虔(けいけん)なる信奉を捧げる(まも)るべき信者である。    庇護欲を掻き立てられる世にも尊い貴石であり、何も恐れず、世の闇へと誠実な剣先を鋭く光らす騎士である。  俺の尻を鞭で叩く優秀なる騎手であり、俺の目前に垂れ下がった(そそ)られる高麗人参である。俺のつがいとなるべき完璧なる我が銀狼(ぎんろう)であり、俺と一つとなるために苦境を味わった優美な王子様である。    盲愛の俺が仕えるべき賢王であり、俺が溺愛する愛奴である。俺を悪戯に誘惑する華麗な胡蝶であり、俺を魅了する妖艶な優曇華(月下美人)である。  俺の命令無しには生きられぬ憐れな淫魔であり、俺の肉体に命令をしてくる俺の媚薬であり、俺の惚れ薬、俺の愛、俺の恋、俺の性欲、俺の美、俺のエロス、俺のタナトス、俺の宿運、俺の人生、俺のリビドーそのものである。  俺を耽溺させる美貌の夢魔であり、俺を甘い夢へと誘う清廉な睡魔でありながら、俺が抱き締めてうっとりと眠れる――俺にとっての月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)とは、まさしく信奉を捧げて愛する他には生きる手立ても与えられないような、夢想家の俺が人生を懸けて渇愛するべき「美しい夢」なのである。    だが、彼自身はことごとく()()()()()()()()()なのであった。    嘘が必要だった。  少なくとも今のユンファさんには、彼の現実に(かな)うもっともらしい嘘が必要なのである。    ユンファさんもまた嘘吐きだ。  彼も酷い大嘘吐きなのである。――ユンファさんには嘘が必要だ。今の彼には俺の、誰かの、自分の、()()()()()が必要なのである。    真実の愛には、嘘が必要なときもある。  であるから俺は、折々細々(こまごま)とした嘘を言わなければならなかった。  とにかく俺は、ユンファさんのその猜疑心(さいぎしん)の極僅少(きんしょう)な隙間を巧妙に潜り抜けなければ、彼の信用を得るに足らない。――真実を受け入れるだけの余裕がない者にとっての真実とは、極めて残酷なものにもなり得る。    なぜなら真実とは、どうしても隙間には入り込めないほどに強大だからだ。――些細な嘘より抱えた真実を手放す瞬間にこそ、人は思慮深く慎重になるべきである。  相応しくないタイミングで真実を放ってしまえばともすると、真実は、時として人の征く道を阻むように立ちはだかる壁ともなりかねない。…悪ければ真正面から立ち向かってぶつかっていってしまうような、真実にはそういった攻撃的で愚直な側面もまたあるのである。    俺は、俺の夢を裏切るような嘘を――ユンファさんの悲しい嘘を――見留め、見守り、ときには愛して、そして、その全てを許さなければならない。    ユンファさんに、俺の真実の愛を伝えるためにだ。  ――これは世にも悲しいあべこべである。  この俺の悲しみを例えるのなら、結婚式の際に神前で誓った通り、これまでは愛する伴侶に対して一度も嘘を吐いたことのなかった誠実で正直者の夫が、伴侶のためとはいえ、ふいに愛する伴侶へと嘘を吐きざるを得なくなった――生きるよすがというほど、信奉というほど、自分が信じ続けてきた誠実な愛を、神を裏切ってしまった――かのような悲しみである。  あるいは正直者だった伴侶の裏切りに、その人の冷えきった唇が呟くしかない悲しい嘘に気が付きながらも、愛を()ってすればこの目を伏せることしかできない、今の最適解を理解した頭と相反する心の悲嘆に苦しむ、無力で哀れな夫の悲しみである。    俺の嘘が功を奏したこともまた真実だ。  数々の嘘によって俺はユンファさんに、いくつかの俺の真実を信じてもらえたのである。  しかし――その喜びの裏側に汚れとなってへばりついている侘しい悲しみはいまだ、いくつもいくつも、小さく小さく俺の背中にべったりと張り付いたまま時折(うごめ)いて、蠢いては時折俺にその存在を思い出させ、そして俺の思考を蝕んで虫食いに、どうも数多のそれらはそうして俺から離れてくれる気配がない。    だが俺はユンファさんのために、ここは清濁併せ呑むべきなのである。――俺は吐きざるを得ない嘘をも慈しみ、そしてすべてを愛するべきなのである。    だからこそあえてこの背に纏わり付く無数の――俺の吐いた、ユンファさんが吐いた――嘘は――「夢」だということにしよう。  夢も嘘もある意味では空想上に存在するものである。  夢は嘘ではない。――確かに見ているものだからだ。  しかし夢は真実でもない。――現実ではないからだ。    嘘と真実の中間にあるものが夢である。  夢は嘘ではない。――しかし嘘は夢なのである。  嘘か真実かと決めつけられる前の嘘は夢である。  嘘だったという真実が明らかになる前の嘘は、嘘ではないのだ。  嘘か真実かの確証のない嘘は嘘ではなく、夢なのである。――嘘吐きの俺が吐いた嘘は嘘であり真実ではないが、その真実が彼の目に映されるそのときまでは、嘘は嘘ではなく、「愛のこもった夢」なのである。    すると俺の背に張り付いている無数の嘘はもしか、この背の松に糸を張ってへばりついた無数の(さなぎ)か。  蝶になる前の蛹は、もはや芋虫とはいえないが、まだ蝶だともいえない。蛹の中で眠りながら、美しい胡蝶となる日を夢見る芋虫だったものは、どろどろと溶けて今はまだ確かな形を持たない――蛹といういかにも中途半端ながら希望の詰まった存在はおよそ、夢にもっとも近い存在なのではないだろうか。  中身を覗けばグロテスクだ――しかし忌み嫌われながらも芋虫として必死に生きた、その努力の末に得た、美しい希望が詰まっている。    俺の背中で蠢いているうち、そこに安息を見出した俺の無数の夢たちは、この背の影向(ようごう)の松にへばりつき、そうして無数の眠れる夢の塊()となった。そしていずれ彼らは変態し――俺の背から無数に飛び立つ、美しい胡蝶たちとなることであろう。  であるから彼らは、その日を夢見て今はただ、俺の背に(まも)られて眠っているだけなのだ。    醜い芋虫が見た夢――夢見て蛹の中で眠り――やがて、美しい胡蝶へと変態をする。  そうして無数の夢を背負っていると見做(みな)すなら、俺はすこしも不愉快には思わない。  では神のように慈しもうではないか。今は愛おしくすら思うよ。――貴方の嘘も、俺の嘘も。    ――すべては愛おしい俺の夢である。  すべては俺が愛すべき、俺の愛する貴方である。    だから今はお眠り。安心してお眠りなさい。  狼少年とはならぬよう気を配りながら、信じてもらえるようにと()を生む。――きっとこれからも俺はしばしば、愛を()って貴方へと優しく、小さな()()き続けることだろう。  そして俺は、貴方の()をすべて喜んで丸ごと呑み込み、貴方のすべてを許し続けることだろう。  俺の背の松に蓄積されてゆく小さな嘘は全てが夢の蛹であり、そして、やがては胡蝶となりゆく真実の愛なのである。    だが――。  俺はいつか貴方に、ありのままの真実を言いたい。  俺の愛に嘘はない。だからこそ俺は、貴方に幾度(いくたび)も嘘を吐いたのだ。――どうか理解してほしい。  俺の嘘は、貴方が俺の真実を信じられるようになるまでの、美しい夢がどろどろに溶けた悲しいグロテスクな悪夢なのである。    どうか許してほしい。嘘を悪だなどと軽々(けいけい)に裁かないでほしい。  ――例え許されざることであったとしても、俺は貴方を愛しています、月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)さん。    本当はね、ユンファさん――俺は、俺の嘘も真も、九条(クジョウ)(ヲク)松樹(ソンジュ)という一人の男のそのすべてを、貴方に知っておいてほしいのです。    俺のすべてを受け入れてくれというのではありません。  ただただそれが俺の真実であると、貴方には知っておいてほしいのです。    貴方は綺麗だよ、ユンファさん――。    そして叶うのなら、俺の言葉が俺にとっての真実であると、貴方には信じていてほしいのです。  けれどもこうなってしまってはもはや、悪魔の証明といえるでしょうね。過去の真実を証明する手立ては今にありません。それは過去にしかないのです。人がやがて忘れてゆく今の真実、すなわちやがて忘れ去られてゆく過去にしか、過去の真実はないのです。    俺は過去の真実を鮮明に知っています。  しかし、何が嘘か真実かを確実な形で明らかにすることは、きっと俺にもできません。    ですから――貴方には信じてほしいのです。  貴方が俺のことを信じてくださる以外にはもう、真実を真実とする方法はないのです。    俺は知っています。俺には見えています。  もう期待なんかさせないでくれと、強いて諦念の膜を張ろうとする貴方の目の悲しさは過去同様、必ずその期待を裏切られると悲観的な予測をしているからこそなのでしょう。    しかし俺だけは、貴方の期待を裏切らない。    俺は貴方の夢も叶えてみせる。  だからその代わり――どうぞ俺のことは、せめて俺のことだけでも、信じてください。    俺の愛を、言葉を、俺のすべてを、どうぞ貴方は安心して信じ切っていてください。  そうしていずれ、貴方が俺の愛を信じられるようになった暁には――俺が貴方へ、そして、貴方が俺や自分自身に悲しい嘘を吐く必要がなくなった、そのときには――俺はきっと、やっと貴方に真実を告げられることでしょう。  そのときにきっと俺は解放されます。俺は、俺の背から晴れ晴れと羽ばたいてゆく無数の胡蝶を、感動もひとしおにただ「何と美しいのか」と眺められることでしょう。    俺たちの苦労が報われ――俺たちの夢が叶い、俺たちの夢見ていたことが俺たちの真実となり――無数の美しい胡蝶が羽ばたいてゆく――俺と貴方がその結実の自由を見られたそのときには、    ――どうぞ、笑って。  警戒や猜疑心などではなく、たとえ俺の真実を真実だとは信じられなかったとしても、せめて貴方には「全く夢見がちだな、この夢想家(ロマンチスト)め」と心から笑ってほしいのです。  俺はユンファさんのそうした恩寵がいつでも欲しいのです。        ――いずれ。  これも俺が叶えたい小さな()の一つだ。      これは俺のくだくだしい自己正当化である。  俺の自己弁護的な――卑しい懺悔なのである。           

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