110 / 244

第28話 トロイの木馬

 浅倉卑弥呼(あさくら ひみこ)が退室してすぐ、彼女をこっそり見ようとしていたウツロたちと、廊下(ろうか)の途中でかち合った。 「あ……」  ウツロ、真田龍子(さなだ りょうこ)南柾樹(みなみ まさき)の三名は、とっさの出来事に何と声をかけたらいいのかわからなかった。  ただ目の前の中年女の『(やなぎ)(えだ)』のような髪型が面白いなどと考えていた。 「失礼」  浅倉卑弥呼は三人の横をスルーしていった。 「テレビと同じ人だね」 「当たり前だろ?」  真田龍子と南柾樹は、とりとめもない会話をした。 「いかにも仕事ができますって感じだけど、あの人が『組織』の送り込んだ刺客(しかく)なのかな……?」 「さあな、俺にはただのおかたいおばちゃんにしか見えなかったけど」  組織が刺客を放ったというのはあくまで推測に過ぎないから、二人とも果たしてあの女性がと懐疑的(かいぎてき)だ。  (おそ)いかかってくるというわけではなかったし、やはり思いすごしだったのかと、彼らは考えた。 「におい」  ウツロがボソッとつぶやいた。 「においがしたね、メンソールのにおいだ」 「タバコじゃね?」  ウツロの指摘に南柾樹はサクッと返した。 「それが何かあるの、ウツロ?」 「いや、何もないとは思うけれど。ちょっとキツいにおいだったから」  嗅覚(きゅうかく)(するど)い彼ならではの気づきだったが、それに特別危険があるというわけではないようだ。 「で、どうするんだよ。行っちまったけど」 「敵って雰囲気でもないし、うーん……」  南柾樹と真田龍子は首をかしげている。 「何もないなら、それに越したことはないと思うけれど……」  ウツロも同様だった。  ただそのメンソールのにおいが、なぜか彼の頭に引っかかっていることを(のぞ)けば――    *  浅倉卑弥呼がエントランスを出て中庭(なかにわ)にさしかかると、今度は(おく)れて帰宅した星川雅(ほしかわ みやび)遭遇(そうぐう)した。 「どうも」  浅倉卑弥呼があいさつをすると、星川雅はペコリと会釈(えしゃく)をして、そのまま横をとおりすぎた。 「……」  浅倉卑弥呼はチラリと顔をうしろへ向けて、遠ざかっていく少女の背中を見つめた。  しかしすぐ向き直って、ツタの張りめぐらされた白壁(しろかべ)の門をくぐった。  こんななんでもないワンシーン。  だがこのとき、少なくとも二名の人間が、さくら(かん)に『トロイの木馬(もくば)』が侵入(しんにゅう)していたことに、しっかりと気がついていた―― (『第29話 公認会計士・羽柴雛多(はしば ひなた)』へ続く)

ともだちにシェアしよう!