173 / 244

第11話 龍虎飯店

 実家へ帰省している真田姉弟(さなだきょうだい)をたずねて、ウツロは大衆食堂・龍虎飯店(りゅうこはんてん)へと足を運んだ。 「あ……」  のれんをくぐって扉を開くと、一番奥の小上がり席、壁を背もたれにして、姫神壱騎(ひめがみ いっき)がチャーハンを食べている。 「やあ」  彼はレンゲを止め、ウツロをほうに笑顔を送った。  びっくりしながらも中へと入って、そちらのほうに歩を進める。 「おお、ウツ……佐伯(さえき)くん、よく来てくれたな」 「ウツ……悠亮(ゆうすけ)さん、いらっしゃい」  真田龍子(さなだ りょうこ)らの父・真田恭次(さなだ きょうじ)と、真田虎太郎(さなだ こたろう)が厨房から声をかけた。 「おやっさん、虎太郎くん」  すると奥のほうから、母である真田静音(さなだ しずね)も顔をのぞかせる。 「あら、ウツ……佐伯くん、いらっしゃい。龍子は出前に行ってるから、座ってちょっと待っててちょうだい?」 「あ、はい……」  一連の様子を横目に、姫神壱騎はニコニコとしている。 「モテモテだね、ウツ……佐伯くん?」 「あ、いや……」  少ないがほかの客も何人かいたから、一同はウツロの本名を呼んでしまわないように配慮した。  もっとも姫神壱騎だけは、わざと間違えそうになったフリをしたのだが。 「なんでえ、知り合いだったのかい?」 「ええ、ちょっとしたね」  ウツロは答えながら、姫神壱騎の向かいに座った。 「この春から黒帝大学(こくていだいがく)へ入学して、教育学部にかよってるんだ」 「そうなんですね。どうしてまた、教育学を?」 「保育士になりたくてね。子ども、好きだから」 「はあ……」  あれほどの実力を持つ剣士が、保育士志望とはちょっと意外というか、そのギャップにウツロはポカンとした。 「実家のある岩手も人が少なくなってね。将来は地元へ戻って、家業の道場と二足のわらじって感じかな」 「それは、すごいですね」  雲をつかむような感じがする。  ひょうひょうとしてはいるが、父上を殺害されているからか、一挙手一投足にどこか、深い悲しみがかいま見られる。  ウツロはそんなふうに考えていた。 「しばらく前からうちで働いてくれてるんだよ。まさか龍子や虎太郎だけじゃなく、佐伯くんとも知り合いとはな」  真田恭次が中華鍋を振りながら語りかけた。  ウツロは「は~ん」という表情をする。  そして小声で話しかけた。 「探りを入れるためですか?」 「謝るよ、ごめんね。どうしても君たちのところへたどりつきたかったんだ。やっぱりっていうか、森に近づくためにね」 「……」  ウツロは内心悲痛だった。  そこまでして、父上の仇を……  目の前の少年の人生を想像し、彼は複雑な心境をいだいた。  俺とどこか似ている。  そんなふうに思索していると―― 「あれ、ウツ……悠亮?」 「龍子、おかえり」  デリバリーを終えた真田龍子が、スニーカーをキュッキュッと鳴らしながら、店の裏口から入ってきた。  かっこうはいつもどおり、ジャージの上着にロングスパッツ姿である。  何の気なしにあいさつをしたウツロであったが、 「てめぇ、悠亮! 親をさしおいておかえりたぁどういうことだ!?」 「す、すみません……」  父・真田恭次から怒号をおみまいされた。  店内にいる数名の客たちは驚いて、一斉に彼らのほうへ目を向ける。 「なんだ? 龍子ちゃんの彼氏だったのかい?」 「やったな、恭ちゃん。亡くなったオヤジさんも安心するだろうぜぇ?」 「これでこの店も安泰だな、うんうん」  いずれも古くからの常連ばかりだったから、こんなふうにして店主をからかってみせた。  いっぽう妻の真田静音は、ガサツ丸出しの亭主に嫌気がさした。 「あんた、お客さんの前で! 龍子のフィアンセをどなるんじゃないよ!」 「そうなの? ねえ?」  いつの間にやらそうなっていたのかと真田龍子はギョッとし、照れくさくなってジャージのすそをいじった。 「うるせぇ! 大事な娘の股ぁ開かされて、親として看過できるかい!」 「つべこべ抜かすな! やっとこさ捕まえた優秀な種なんだよ!? 文句があるならてめぇが股でも開いてな!」 「なんだと、このあばずれが! パリコレだかチ〇ブラ違反だぞ!?」 「それを言うならポリコレにコンプラだろうが! この類人猿! てめぇなんざ間違って人間になったんだよ!」 「ほざくな、サル女房! そういうてめぇはそのエイプさまの種を宿したくせに!」 「言わせておけばぁ! 表へ出ろやぁっ!」 「望むところよおおおおおっ!」  真田夫婦は延々と、このように昭和臭漂うえげつない会話劇を繰り広げている。  さすがの常連客たちも、これには失笑を禁じえない。 「サルだってさ」 「ここは惑星だったのか?」 「虎太郎くん、あんな人間になっちゃダメだかんな?」  真田虎太郎は恥ずかしくなるいっぽう、にぎやかなやり取りにほっこりとした。 「楽しいね、ここ」  姫神壱騎はあいかわらずニコニコとしている。  これは本心からだった。  居場所があるのはよいことだ。  自分の故郷、そして家族や仲間たちのことを思い出し、ちょっぴり気持ちが楽になったような気がした。 「ウツロ、姫神さん、なんだかごめんね? ゆっくり食事したかったはずなのに……」 「いや、いいんだよ、龍子」  口ではそう言ったが、彼女が向かいの相手のほうに立ったことに、ウツロは少しムカッと来た。 「ラブラブだよね、二人とも」 「え、いや……」  かつがれた両者は顔を赤らめた。 「ウツロくんさ」 「はい?」 「龍子ちゃんが自転車に乗ってるとことか、想像してた?」 「は?」 「ピチピチのスパッツがサドルにこすれるところとか――」 「貴様っ! 俺の龍子を侮辱する気か!?」  もちろんわざとやったのであるが、挑発を受けてウツロは激高し、思わず叫んでしまった。  真田夫婦をくちびるをタラコにしている。 「俺の? いま、俺のって言った? ねぇっ!?」 「あ、いや……」  いくら娘の彼氏とはいえ、それはないでしょう。  そんな態度を二人はぶつけた。 「てめぇ、悠亮! 二度と立たねぇようにしてやる!」 「バカか貴様っ!? 龍子にしこめなくなるでしょっ!」 「百年立ったらまた来たよっ!」 「ジュウミンヤっ!」  ウツロへ襲いかかろうとする夫と、それを止めようとする妻。  まるで昭和の漫才であるが、姫神壱騎はプッと吹き出してしまった。 「なんかいいね、ここ。久しぶりに笑った気がするよ」 「姫神さん……」  涙をこらえる彼であったが、ウツロはそこに、この先輩剣士が置かれた状況を察し、胸がしめつけられた。 「森花炉之介(もり かろのすけ)、いったいどうやって探すおつもりですか?」  単刀直入にそうたずねた。  当然、姫神壱騎へ向き合う気持ちの表れである。  それにきづかない当事者ではなかった。 「ありがとう、ウツロ。どうやらやつはいま、ここ朽木市(くちきし)にやってきているらしい。こうなったら手当たり次第に――」 「その必要はありませんよ?」 「……」  一同は店の入口を見た。  そこには羽織袴姿の中年男が立っている。  杖を持ち、まなざしは動かず、瞳孔の形状はさびた鉄パイプの断面のように見えた。 「森っ、花炉之介えええええっ!」  色男の顔面はたちどころに崩れ、悪魔のおたけびのように咆哮した――

ともだちにシェアしよう!