177 / 244

第15話 桜屋敷の会合

「東京へ下ります」 「……」  鮮やかな青い羽織の中年男性がスッと口を開いた。  そばにいるもうひとりの男性、年の頃は少し下であるが、その男は茶せんを動かす手を止め、言葉に耳をそば立てる。  京都府京都市左京区、土地の名門・三千院家の屋敷。  桜に囲まれていることから通称「桜屋敷(さくらやしき)」とされ、半分観光名所のようにもなっている。  奥屋敷の上座に座っている剣神(けんしん)三千院静香(さんぜんいん しずか)は、着物のえりにかかる長髪を揺らし、茶の入れられた黒織部(くろおりべ)の器を手に取った。  打ち身は2メートルに届く長身、年齢は50歳近くであるが、眉目秀麗なその顔立ちは、実年齢よりもゆうに20歳は若い印象を与える。 「静香さま、本当によろしいのですか? お体に障ることは明白でございますぞ?」  控えて座っている濃緑の羽織の男は、主人が茶を飲み終えるのを待って顔を上げた。  その眼光は爛々(らんらん)としていて、しかし光は当たっていない。  三千院静香は器を置くと、おもむろに語り出した。 「重々承知しております。しかし、わが友・龍聖(りゅうせい)嫡子(ちゃくし)壱騎(いっき)くんたっての申し出とあれば、むげにすることもできないでしょう。彼は若いながら、すぐれた実力と武の精神を兼ね備えているもののふです」 「しかしながら静香さま、そのお体では……」 「このことを知っているのは霊光(れいこう)さん、あなたを含むごくわずかの人間です。決して壱騎くんに漏らしてはなりませんよ? 彼を苦しませるわけにはいきませんから」  話を聴くその男、名は百鬼院霊光(ひゃっきいん れいこう)。  三千院静香に幼い頃からつかえており、主人には勝るとも劣らない剣豪である。  しかし過去に、実践の場において負傷し、光を失っている。  三千院静香はそっと、胸もとに手を当てた。 「わたしはもう、長くはない。後生です霊光さん、最期を迎えるそのときが来る前に、わが友・龍聖、そして壱騎くんの無念を晴らしてあげたいのです」 「静香さま……」  百鬼院霊光は覚悟を決めた。 「七本桜(しちほんざくら)よ、聴いてのとおりです。かの地にはおそるべき罠がしかけられているに違いありません。くれぐれも慎重にかかるのです」  障子の向こうに複数の影。  大きいものから小さいものまで、計6体ある。  三千院静家の御庭番(おにわばん)、百鬼院霊光自身を筆頭とする武芸者衆・七本桜だ。 「霊光さん、お願いがあります」 「は、なんでございましょう?」  三千院静香はかしこまって申し立てをした。 「かの地、朽木市(くちきし)へ、遥香(はるか)も同行させたいのです」  障子の奥の影たちは代わる代わる顔を見合わせた。 「なんと、遥香さまを……? それはまた、なぜゆえにございますか?」  百鬼院霊光は顔を傾けた。 「よい勉強になると思うのです。それに、わたしが遥香といっしょにいられる時間も、おそらく残り多くはない」 「なるほど……静香さまのお気持ち、深くお察し申し上げます。心得ました、周囲を固める者たちの選別も含め、すぐに手配いたします」 「申し訳ありません、わがままを言ってしまって」 「何をおっしゃいますか。遥香さまも鍛錬を重ね、日に日に腕を上げておられます。必ずや心強い存在となるでしょう」  百鬼院霊光をはじめとする七本桜は退室し、あとには当主・三千院静香だけが残された。 「ぐ……!」  ずっとこらえていたが、ついに抑えきれなくなって、口に手を当てた。 「ごふっ……」  鮮血が手のひらを赤く染め上げる。 「ふう、ふう……」  そばに忍ばせてあった布地で、彼は吐血をぬぐった。  着物をはだけ、胸もとをのぞく。  めりこんだ(こぶし)のあとが、心臓の位置にくっきりと浮きあがっている。  しかもその傷跡は、なにやらもぞもぞとうごめいているのだ。 「刀隠流体法(とがくしりゅうたいほう)、奥義・八代影王(はちだいえいおう)……」  三千院静香は着物を直し、呼吸を整える。 「刀隠影司(とがくし えいじ)、あの男をこのままのさばらせておいては、この国に、いや、世界にとって大きな災厄を招きかねない。加えて最古のアルトラ使い・魔女ディオティマまでもが……」  彼は深く息を吸い、目を閉じた。 「しかし何よりも、何よりも……わが奥義・三千世界(さんぜんせかい)の継承を急がねば。正道であれば遥香ですが、あるいは、あるいは……」  カッと見開いた目、その凛とした姿は、剣神の名に恥じることのない決然たるものである。 「とにかく、時間がない。早く、しなければ……」  桜の舞い散る庭園、宿命を背負った男は眼光鋭く、しばらくその光景を目に焼きつけていた。

ともだちにシェアしよう!