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第79話 追憶の空

「ソランさま!」  ウサギのぬいぐるみを携えた少女がこちらへと走ってくる。  孤島に立つ小国・ザンニバル王国。  世界最小の国連加盟国ながら、海洋・鉱山資源やテクノロジーなどの科学産業により、世界的な影響力を持っていた。  ソランはその国王・ザンニバル11世の一粒種であり、当然のちの王位継承者としてエリート教育を受けている。 「また王宮から勝手に抜け出して! 国王陛下に叱られてしまいますよ!」  少女は両手を振りまわしながら叱責する。 「わかってるよレイン。でも僕は、みんなと遊んでいるほうが好きなんだ」  ソランは青みがかった銀髪を揺らしてけだるい顔をした。  レインはザンニバル王の忠臣に当たる人物のひとり娘であり、彼とは幼なじみの関係にある。  年齢も同じであることから、父王がていの良い「見張り役」としてそばに置いていたのであった。 「ほら、早く行きましょう!」  レインが手を伸ばしてくる。  この国は絶海にあって思想・文化的にも開けており、国民も柔軟な考え方を持っていた。  そのある種の証明として、職業や身分に関係なく人々は分け隔てない交流をしていたし、治安も長い期間安定している。  現王の名君たる証左であった。 「ソランさま!」 「ソランさまだ!」  大人たちはソランへわが子を見るようなまなざしを持っていたし、子どもたちも彼と仲良く遊んでいる。  まさに地上の楽園といった風情であった。 「ソランさま、実はわたし……」 「あ――」  レインが何か言いかけたとき、空が暗くなった。  雨が降るのかな、ソランはそう思って顔を上げる。  雲ではない、何やら黒い、うごめく物体の群れ。  飛行機の連隊だ。  中心にひときわ大きな飛行船が浮いている。  モーツァルトの歌劇「魔笛」の序曲がこだました。  黒い鳥が黒い卵を産みはじめる。  街が吹っ飛んで、レンガが豆のようにまかれた。  ガラスがヘドロになった。  何もかも泡になった。 「デア・フォーゲルフェンガー・ビン・イヒ・ヤァッ!」  バリトン歌手が高らかに歌う  人間に穴が開いていく。 「ハイッサ! オプザーサァッ!」  ホーミングが王宮のほうへ飛んでいく。 「レイン――!」  瓦礫の下からその手が出ていた。  ソランは咆哮する。  ウサギのぬいぐるみを手に取り、王宮へと走った。  空は赤くなっていた。    * 「ヨハン兄さん! せっかくわたしの新兵器が試せると思ったのに、これでは実験にならないよ!」 「おまえが火薬の量を間違えたんだろうヴァルター? 昔からそうだ。100年以上何も学習していないね」  二人の青年、のように見える者たちが口げんかをしている。  足もとには国王が倒れていた。  血がしとどに流れている。  少年はナイフを握りしめた。 「おい、ちょっと……」 「何か飛んでくるね」  王座が吹き飛んだ。 「やりすぎだ兄さん! これでは何も残らんではないか!」 「文句はおまえの部下に言いなさい。まったく、血の気の余った連中だねぇ」  空が見える。  赤い空。  誰かが近づいてくる。 「あれあれ、ぬいぐるみがボロボロですね」  女性だった。 「帰る家もないでしょう? わたしといっしょにいらっしゃいませんか?」  力が欲しかった。  この国をもう一度復興させる力が。 「ぎ、ひ……」  流す涙など、もうない。  彼の目は空と同じ色になった。 「さあ」  怪人・バニーハートは、このようにして誕生した。 <参考音源> 歌劇 「魔笛」 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 作曲 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 サー・ゲオルグ・ショルティ(指揮) 序曲 https://www.youtube.com/watch?v=AZsej47Yb34 アリア 「俺は鳥刺し」 ヘルマン・プライ(バリトン) https://www.youtube.com/watch?v=cPWMq0UrNk8

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