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第8話 記憶の断片

 秘果の顔が、蜜梨の胸に寄った。甘えるように頬を擦り付ける。  胸が、ドキリと高鳴った。 (恋愛とか、そういうの置いといて、秘果さんみたいなイケメンに、キスとか、こういう風にされると、ドキドキがヤバい)  蜜梨にとって秘果は、ただの腐男子仲間だ。  恋愛感情を抱いたこともない。  秘果に限らず、他者に恋愛感情なんか、持ったことはない。  友人ですら、極力少なく、作っても一定の距離を保ってきたのだから。 (でも……、秘果さんは、何となく特別、だと思う)  助けて欲しい時に名前が浮かぶ程度には、特別だ。 (過去の俺は、秘果さんを、どう思ってたんだろう)  失った記憶の中の自分と秘果は、どんな関係だったのだろう。  思い出したいと思う程度には、気になった。  鎖に繋がれた手を、伸ばせる範囲で伸ばす。  秘果の髪に触れる。柔らかくて、気持ちがいい。 (秘果さんの髪、サラサラ。毛並みが良くて、綺麗……)  気持ちがフワフワして、頭がぼんやりしてきた。 (あぁ……、欲しいな。秘果さんを、食いたい。喰って、殺して取り込んで、一つに、なりたいな……)  頭の中に浮かんだ言葉に、ゾッと寒気が走った。 (何? 今の、何だ? 俺、何を考えて……っ!)  心臓が大きく跳ねて、下がった。  細かな拍動が徐々に早くなる。 「はっ……、はぁ、ぁっ……」  胸が苦しくて、息ができない。  締まる胸の奥に、何かがあるのがわかる。  心臓ではないソレが、拍動している。 「……蜜梨ちゃん!」  上がった秘果の顔に緊張が走った。  その表情に、何とも言えない愉悦が湧き上がった。 「良い……、良い顔だ。やはり、お前が欲しいよ、秘果」  口が勝手に言葉を発する。  腕が勝手に動いて秘果に伸びる。  鎖が動きを邪魔するのが苛立たしい。  ぐぃと強く引っ張ったら、鎖が呆気なく壊れた。   「これ以上、蜜梨を苦しめるな。蜜梨から出ていけ」  秘果の手が白い気で覆われた。  その手が蜜梨の首を締め上げた。 「私を多くの凶と共に凶玉に閉じ込めたのは、お前たち神獣だ。私を抱えて現世に落ちたのは蜜梨自身だ」 「そうさせたのは、お前だろう!」  秘果が怒鳴って、肩がビクリと震えた。  怒っている顔も声も、初めて見たし、聞いた。 (秘果さん、俺の前ではいつも笑ってた。あの秘果さんがこんなに怒るくらい、俺の中にある凶は質が悪いんだ)  穏やかな笑みの秘果しか、蜜梨は知らない。  優しくて、笑いながら蜜梨の話を聞いてくれる秘果しか、知らない。 (知らない? 本当に、知らない? 俺は……)  夢の中で泣く少年の姿が、頭に浮かんだ。 『蜜梨ちゃん、俺を一人にしないで。何処にもいかないで。いなくならないで』  そう言って泣く少年は、いつも蜜梨の名を呼んでいる。 『俺が秘果を守るから。秘果は黄竜だから、将来は桃源を統べる麒麟になるんだ。泣き虫のままじゃ、ダメだよ』  泣き虫な可愛い少年の涙を拭う、あの子供は。 『秘果を喰わせたりしない。俺がいなくなっても、秘果は導仙を得て、麒麟になるんだよ』  凶玉を抱いて、桃源から現世に落ちた。  それしか方法がなかったから。 (そうか、小さい秘果さんの涙を拭った子供は、俺か)  年上なのに泣き虫で弱虫で、だけど誰よりも強くて優しい力を持つ黄竜。  泣き顔を笑顔に変えたくて、秘果の手を引っ張って外に連れ出した。  四凶が秘果を喰いに来るなんて、考えもしなかった。 (俺が秘果を危険に晒した。守りたかったから、生きてほしかったから、だから俺は……)  意識が遠くなる。  記憶が、闇に溶ける。  蜜梨は促されるほうに流れて、目を閉じた。

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