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52 役立たずの蝶

                  「………、…」    やはり、そうか…――。  さすがに五蝶も馬鹿ではなかったらしいが、これではユンファ殿が、あまりにも哀れで哀れで仕方がない。  また伏し目がちになる、その切れ長の美しい、真っ白なまぶた…――黒々とした長いまつ毛は震え、しかし。   「…というのも…ジャスル様は、僕との間にできる子を何か、政治的に利用なさりたいのだと聞きました。しかし、長はそのことを見抜いていた上で、余命少ない僕を嫁がせたのです」   「………、…」    それを言い切ったあとユンファ殿は、なぜかにこっと笑った。――そして俺の目を、その透き通った薄紫色の瞳をうっすらと濡らして、じっと見つめてくる。   「…そして、“鱗粉”の力が強い僕を見せれば、まずジャスル様は僕を選ぶと、長はわかっていたのです。…それに、あの小屋に幽閉されていた役立たずの僕なんか、五蝶にいてもいなくても同じこと。むしろ厄介払いも兼ねられて良かったと、みな本当に喜んでいました…――そりゃあ他の蝶なら、こんな遠く離れた国に連れて行かれたら困る人も、寂しがる人もいるだろうけれど…、…僕には、そんな人いません」   「………、…」    わかった。…寂しげに笑うこのユンファ殿は、悲しく傷付いているその事実を受け止めた上で、しかしそれに沈み込まないようにと気を張って殊勝に、わざとこうして笑みを浮かべているのだ。   「…家族にさえ、疎ましがられておりましたから。僕が居なくなって喜ぶ人はいても、僕が居なくなったことで悲しむ人なんか、あの国にはいません。…ましてや余命も短く、確実に選ばれる“淫蕩な魂”を持つ僕だからこそ…――僕ほど、この婚姻に相応しい蝶はおりませんでした」   「……、…」    しかし、それでは…――このユンファ殿は結局、ほとんど五蝶のために差し出された、生け贄のようなものではないか。  生まれ故郷で死ぬことすら許されず…国のために、好きでもない中年の醜男と結婚させられ、そして国のために、このノージェスで死ね…と――それも、自分のことを疎ましがり、冤罪を着せてあの小屋に閉じ込めていた五蝶の者たちのために、…そやつらのためだけに、せめて最後くらいは国の役に立ち、ノージェスで死ねというのか?  なんなら、あのジャスル様に犯されて犯されて、犯されて尽くしてから死ね、ということでもある。――ジャスル様の、彼らの子どもを利用しようという思惑がわかっていた上で、このユンファ殿を、その人の元へ嫁がせたのだから。    ましてや、結局このノージェスでもまたユンファ殿は、役立たず、この役立たずめと罵られることだろう。  いや下手すれば、死ぬまでそう罵られ続ける運命かもしれぬ…なぜ子を孕まぬのか、この役立たず、と――そもそも子を孕まねばユンファ殿は、お披露目の段階にすらいかない。  ともなれば、あのジャスル様が腹を立てることは確実、それこそ、このユンファ殿をどのようにするかさえわからない…――しかしおそらく、そのことさえわかった上でリベッグヤ殿は、五蝶は…このユンファ殿を、あのジャスル様の元へと嫁がせたのだろう。    一人を犠牲に、国民全員を救う、か。  国というのは結局、そういう非情な選択をすることも時にやむを得ない場合がある――とは、いえどもであろう。  …であっても苦しいことよ。あまりにも残酷で、人の心のない奴らよ。よほどこのユンファ殿より欠片の愛もなく、悲しく卑しい奴らめ、いやに腹立たしいことよ。  俺の悲しみは、この顔に滲んでいたか。――ユンファ殿はむしろ、にこっとまた頬を上げて笑い。   「…はは…、この縁談を呑むことくらいしか…僕は、五蝶の役には立てませんから。――でも、僕がこのノージェスで、子を成さぬまま死ねば…僕は五蝶の国の民を、きっと救うことができます」   「……、……」    それでいて笑えるのだから、悲しいほどに健気な人である。…まるでそればかりが、自分の存在意義のように思えているのだろう。――次にもユンファ殿は眉尻を下げ、そしてやはり笑った。……あまりにも悲しい笑顔だが、あまりにも美しい笑顔だ。   「…やっと少しでもお国の役に立てるのだから、僕は光栄なくらいです。…ふふ…、ふしだらで、どうしようもない淫乱…“淫蕩の罪”なんて犯して…その上、僕はなんの役にも立たない、穀潰しでした。――ならばむしろ僕は、あの小屋から死ぬ前に出られただけ、…誰かに見初められ、こうして結婚ができただけ、幸せ者なのかもしれません」    そう言うとユンファ殿は、おもむろになかば、その細身の体を返した。  …そして彼は、その顔を横へ向け――あの両開きの大きな窓から見える月を、遠く眺めつつ微笑む。  白く美しいその微笑は、半分が月光に照らされて青白く、もう半分はくっきりと翳り…その月明かりがよりユンファ殿の美貌を、はっきりと濃いものにして浮き出たせている。   「…蝶族の者はみな、そんな目の上のたんこぶの僕を、貰おうとはとてもしてくれなかったけれど…、でもきっと、これで少しは、見直してくれているかな……」   「………、…」    これほどに殊勝なユンファ殿が、どうして厄介者扱いをされ…――そして微々たる幸せすら知らず、この異国の地で死んでゆかねばならぬのか。      己が境遇にも重なれば、俺はもういよいよ悟る…――()()である。…もう無理だ。      もうごまかせない。…俺は…――。        

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