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利用

「俺がおかしくなった原因なんだけどさー」  シリウスがそう語り出したのは僕の羞恥心が落ち着いて、扉の向こうから少し固い声をした隊長が状況を確認しに来た後だった。  罪悪感と困惑で硬直する僕を尻目にシリウスは「はーい」なんて呑気に返事をしてさっさとベッドから抜け出した。見事に全裸のまま扉を開けようとした馬鹿に「服を着ろ」と怒鳴った僕は悪くない。そのあと盛大に咳き込んで慌てたシリウスが急いで僕の所に水を持ってきたところで扉の向こうから盛大な咳払いが聞こえた。 「出て来なくてもいいぞ、ルーヴ。体調はどうだ」 「全然ダイジョーブです! でも今日は無理だから明日からよろしくお願いします!」 「そうか」  差し出された水を飲みながらこいつ腹立つほど元気だなと睨む。 「あー、それで、その、スタクは」  ああそうだった僕は今無断欠勤の状態だ。呑気に水を飲んでいる場合じゃなかったと焦ったけれどシリウスが僕をベッドから立たせないように肩を押さえた。 「大丈夫です」  はっきりとした声が扉に突き刺さった気がした。  思わずシリウスの方を見るけど角度のせいで表情がよくわからない。 「……そうか。じゃあ二人とも明日からまた頼んだ」 「はーい!」  また腹立つほど元気良く返事をしたシリウスが服を着ないままベッドに戻ってきて「おい」と低い声で咎めるが何がいけないの? みたいな顔で見てくるから何も言えなくて溜息を吐く。  水が入っていたグラスをベッドの側にあるテーブルに乗せるとうつ伏せの状態からシリウスの方に体を向ける。するとやっぱり普段よりなんだか柔らかな目をしたシリウスが僕の顔に掛かった髪を丁寧に耳に掛けて嬉しそうに笑う。  昨日訳もわからずとんでもないことをされたのに、全ての元凶である馬鹿が心底嬉しそうな顔をするから僕は何も言えなくなる。これでこいつがもう少しでもいけすかない男だったのであれば、僕は目覚めた瞬間規約違反だろうがなんだろうが渾身の魔法でこの部屋ごと馬鹿を処刑していただろう。  付き合いが長いせいか、ずっと世話係をさせられているせいか、僕はこいつにはどうしたって強く出ることができない。  大きく溜息を吐く僕を気にすることなく、当然のように僕を抱き締めて頭部に擦り寄って来る馬鹿に何度目かわからない非難の声をあげようとしたところで冒頭の言葉を言われたのだ。 「その話はこの状況じゃないとダメなのか」 「だめ」 「なんでだ」 「なんでも。こうじゃないと俺が嫌!」  シリウスは頑固だ。一度決めたら絶対に折れない。折れる時はシリウスが確実に間違っていてそれを理詰めで全否定した時だけだ。だからこういう「なぜダメのか」が説明出来ない場合は早く折れる方が吉だと僕は理解していた。 「……で、原因は?」  諦めて体から力を抜いた僕にシリウスは機嫌良さそうに口角を上げてそれなりの力で僕を抱き締める。苦しいと訴えると案外素直に力を抜いてくれるのだからこいつの頑固になるタイミングは読めない。 「原因は虫だなぁ。俺の中からは多分すぐみんなが取り出してくれたと思うけど、多分あいつ寄生した時から毒みたいなの出してる」 「は、毒?」 「死ぬようなやつじゃないよ、ダイジョーブ」  子供をあやすみたいに背中を叩きながら「俺生きてるし!」と元気に続ける様子にそれもそうかと無意識に詰めていた息を吐く。 「多分媚薬みたいな感じ、無理矢理発情させるってタイプ」 「…だからお前様子がおかしかったのか」 「うん、まあそんな感じ」  思い出すのは昨夜の出来事。目を覚ましたと思ったら急に僕の腕を引いてベッドに組み敷いたシリウスの姿。 「…じゃあ全部魔物のせいか」  あの熱に浮かされたような表情も声も、溶けそうな程の甘い視線も全部魔物が作り出したものなのか。そう理解して僕はほんの少し安堵したのに、僕を抱く男は大きな目でぱちぱちと音がしそうな程瞬きを繰り返した。 「あ、それは違うよ」 「は?」 「覚えてない? 俺がアルを抱く前になんて言ってたか」 「はあ⁉︎」  咄嗟に距離を取ろうと胸元を突っぱねるのとシリウスが「よいしょ」なんて呑気な掛け声で僕を組み敷いたのは多分同じくらい。またしても単純なパワー勝負で負けた僕は顔面の中心にこれでもかと皺を寄せる。 「覚えてないの?」  僕を見下ろすシリウスの目に心臓が締め付けられるような心地がした。つまり居心地が悪い。  普段うるさい奴が静かになるとそれだけで居心地が悪い。それにいかんせんこいつは常人よりも数倍以上の目力があって、じっと見られていると物理的に体を射抜かれたような気になる。 「アル」  平坦な声で僕を呼ぶ。  昨日のことを無理矢理掘り起こすみたいな空気に抗いたいのに、頭は勝手に昨日の記憶を辿っていく。  そうして思い出したのは、様子がおかしいとシリウスに訴えた時のこと。  思い出して、僕の目は徐々に見開かれる。 『利用した方が良いやつだって思ったんだよね』 『アルはさ、優しいから』 『俺のこと拒めないでしょ?』  ぱちんと泡が弾けたみたいに鮮明に思い出した記憶に、僕は口を小さく開いた。 「…お前、僕を利用したのか」 「……ぇ」 「魔物の毒に侵されているってわかっておきながら、それの対処法も分かっておきながら、僕がちょうどそこにいたからって理由で利用したのか」 「え、ぇ」 「僕は」  どうしようもないくらい不愉快だった。  感じたことがない程の怒りが腹の奥で煮え立つのがわかる。 「お前の性欲まで世話しないといけないのか」  出したことのない声が出た。自分でもこれだけ低く冷たい声が出せるのかと思った。シリウスの目が動揺に揺れたのを見て力任せに体を押す。  すると呆気なく離れたのを見て僕はそのままベッドから抜け出した。  でも下半身はまるで自分のものじゃないみたいに力が入らないし、やはり様々な場所が痛い。それでもなんとか動けているのはきっと僕が自分でも思っている以上に怒っているからだ。  服を着てタイを締める。  後ろでシリウスが目をぐるぐるとさせながら僕を見てあ、とかう、とか言って不自然に手を伸ばしているが無視をしてドアノブに手を掛ける。 「待って」  切羽詰まった声がすぐ側で聞こえる。背後にシリウスが立っているのがわかって顔だけ後ろを見ると、そこには捨てられそうな犬みたいな顔をした男がいた。  ほんの数分前なら絆されていたその顔にも今は何も感じない。むしろ怒りが加速している。 「…しばらく僕に話しかけるな。関わるな」  反応を見る前に扉を開けて廊下に出る。  ああクソ、痛みで歩きづらい。でもそれを顔に出すのも態度に出すのも絶対に嫌だ。かといって医務室に駆け込むのはもっと嫌だ。歯を食いしばり前を睨んで歩いていると丁度前から向かって来る隊長と目が合った。  隊長の目が俄には信じ難いものを見るように見開かれる。 「お、おま、どうし」 「仕事下さい」 「え」 「仕事を下さい。今すぐに」 「ぇ、あ、じゃあ、書類整理頼むわ…」 「はい、ありがとうございます」  びし、と音がつきそうな程きちんと頭を下げたのはそうでもしないと怒りで魔法の一発や二発ぶちまけてしまいそうだったからである。平常心を保つべく歯の間から細く息を吐きながら僕は仕事を任された部屋へと向かった。

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