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セット扱いは今のうち

 何故かこの場で誰よりも困惑しているヤードが僕とハイルデンさんを交互に見るけれど、ヤードも低い声で呼ばれて意識をハイルデンさんに向ける。  静かな部屋に二人の声がして、やがてそこに足音が混ざる。  一歩ずつ近くなる音に僕は吐き出したくなる溜息を堪えて顔を向ければ、そこにはやはり気落ちした様子のシリウスがいた。 「…これ、先輩から」  差し出された書類は二枚。名前の欄を見ると同じ班の二人だとわかるが、その筆跡に僕は眉を跳ねさせた。 「書いたのお前か」 「!」  犬であれば垂れていた耳がぴんっと尖ったとわかるほどの勢いでシリウスの目が開く。 「質問に答えろ」 「そう! 俺が書いた! 先輩たち字がクッソ汚いからって俺に書いてって言って来た!」 「…あの先輩方は…」  本来書類は自分で書かなくてはならない。だがしかしここは動物園、あまりの字の汚さに代筆を頼む人たちがいるのも事実だし、作業効率が上がるならそれで良しとハイルデンさんも了承している。  渡された二枚の書類には多少勢いのある右肩上がりの字で文章が書かれていた。  男が書いたと一目でわかる字だが、バランスが良くて読みやすい。  今まで解読させられていたものが全て古代文字のような物だったからか、今の僕にはこの書類がどんな高尚な本よりも立派な物に見えた。 「…お前、馬鹿なのに綺麗な字書くよな」 「‼︎」  どんよりと曇っていた目がばあっと輝く。  目が潰れそうな程の輝きに顔を顰めるが、もうその顔にシリウスが落ち込むことはなかった。 「馬鹿は余計だけど確かに俺って字上手いよな! 母さんにさ文字くらい綺麗に書けってガキの頃から言われてて」 「知ってる。その話はもう何回も聞いた」 「そうだっけ⁉︎ じゃああれは? 俺がガキの頃親父のお気に入りの羽ペン間違えて燃やした話! あの羽さー、なんかすげえ珍しい鳥の羽だったらしくて」 「おい馬鹿」 「俺の名前は馬鹿じゃない!」 「ルーヴ」 「やだ!」 「おいヤードこいつどうにかしろ」  途端に止まる気配もなく喋り出したシリウスに僕は頭を抱えた。この馬鹿、とシリウスを責める気持ち半分受け入れ体制を作ってしまった自分に馬鹿がと怒っている気持ち半分の心境だ。こうなったシリウスは中々止まらないのを僕は知っている。  助けを求めてヤードの方を向くが、何かを悟ったような目で「俺にどうにかできると思ってるの…?」と無言のまま訴えてくる。  ならばハイルデンさんだと目で助けを求めるが意図的に僕を無視しているのか視線が交わることもなければ止めているのにも関わらず小鳥の如く喋るのをやめないシリウスを止める素振りも見せない。クソ野郎がと額に青筋を立てるけれど、なんとか気分を落ち着けようと細く長く息を吐く。 「──シリウス」 「‼︎ はい! 俺シリウス!」 「黙れ」 「はい!」  ああ、千切れんばかりに振られている尻尾が見える。  相変わらず恒星の如く輝く瞳に照らされて僕は灰となって消えてしまいそうだ。 「ルーヴ、お前今度オレに良い酒持って来いよ」  それまで頑なに僕の存在を無視していたハイルデンさんの声に結構な勢いで顔を向けると、そこにはしたり顔のその人がいて今度こそ盛大な舌打ちが室内に響いた。  それにゲラゲラと腹を抱え、片手で俺を指差しながら憎たらしい顔で笑う人が自分より年上で更には上司だなんて思いたくない。だが悲しいかなこの人は先輩で上司だ。同期にするような罵詈雑言を並べ立てるわけにもいかず睨んでいればヤードが「どんまい」とでも言うように親指を立てているのが見えた。 「? はい! あ、俺も何か手伝います! 書類整理とかはやりたくねえけど運ぶのとかは得意!」 「おー、じゃあオレが仕分けしたやつを各部署に持ってってくれ。不備の説明とかもあるからそこはヤードを同行させる」 「はい!」 「俺ですか⁉︎」 「おう、お前だ。よし行って来い」  しっしと動物を追い払うような雑な仕草で二人を部屋から追い出したハイルデンさんの視線が向く。面白そうな光を宿したまま、口角を吊り上げて笑う様はどう見ても悪役だ。 「なんですか」 「お前はオレに感謝しろよ」 「は?」  意味がわからなくて眉間にこれ以上ない程の皺を寄せる僕を見てけらりと笑う。 「ナカナオリのきっかけ作ってやったんだから感謝しろって言ってんだよ」  その発言で僕の機嫌は地に落ちた。 「…そんなこと頼んだ覚えはありません」 「おおそうかい。じゃあ言い方を変えよう」  ぞんざいに足を組み、机に肘をついて合わせた指の上に顎を置いたハイルデンさんの目は変わらず鋭い。 「ガキの喧嘩に大人をいつまでも巻き込むんじゃあねえよ。ここは学園じゃねえ」  さくりととても軽く体をナイフで刺されたような心地だった。 「お前ら二人は目立つ。腕が立つからな。しかもルーヴは騎士団長の息子だ。本人がどんなに周りと同じ扱いを望んでたとしても組織ってのはそう簡単なもんじゃねえ。しかもそいつが才能に恵まれた天才とくれば更に扱いは面倒になる。で、更に面倒なのはあの大型犬はお前の言う事しかまともに聞きゃあしねえってことだ。お前、それをわかってて放置したな?」 「…僕は、あいつの世話係じゃ」 「だろうな。別に飼い主で居ろって言ってんじゃねえよ。放し飼いするならそれなりの教育をしてから放せって言ってんだ」 「……?」 「協調性を学ばせろ。残念ながらあいつはお前の言う事しかまともに聞かねえ。騎士団長とかご家族ならなんとかなるかもしれねえが、ここでその役割が出来るのはお前だけだ」  僕の表情は依然として不満なままだ。その顔を見てハイルデンさんがパチリと瞬きをした。髪と同じ色をした豊かな睫毛が頬に僅かに影を作った。 「お前らがセット扱いされるのは今のうちだけだぞ」 「…ぇ」 「お前の先はどうか知らねえが、ルーヴはほぼ間違いなく王都に戻るだろ。協調性はねえが才能は十分だし、何より父親が父親だ。先で恥かかねえようにお前が教えてやれ」  ハイルデンさんは言いたいことを言い切ったらしく僕から視線を外して山のように積まれた書類に手を伸ばして目を通し始めた。それを見て僕も書類に目を落とす。あとで質問に行く為に分類別に書類をまとめながらぼんやりと今言われた言葉を考える。  まず、僕は周りからほぼ押し付けられる形でシリウスの世話係をしてきた。僕はそれを仕方ない事だと割り切っていたけれど、この前の出来事をきっかけにその関係が少し歪になったのは僕にもわかる。それによって周りに起こっている弊害も。  そのおかげで向けられる視線だったり先程のハイルデンさんの言葉だったりは僕にとっては不愉快なものに分別される。仕方ないと思って引き受けていた世話係が周囲にとっては「そうであって当然」と思われていることに不満を感じたんだ。  だからハイルデンさんから出た言葉は僕にとっては不愉快であったはずなのに、頭を殴られたみたいな衝撃があったのも事実だ。  シリウスは、いずれ僕の隣からいなくなる。  当たり前の未来の筈なのに、僕はその可能性を今この瞬間まで考えてこなかった。どこかでずっと僕はシリウスの世話係として生きていくのだろうなと思っていた。だから今回の出来事も、いずれは鎮火して元に戻ると思っていたし、戻ったらそのままこれまで通りの日常が続くのだと思っていた。  だけどそうではないのだ。時間が進み、歳を重ねれば人は変化する。それは自分自身が望もうとそうでなかろうと、周りが勝手に変化させていく場合だってある。変わらないものなんて有りはしない。  だから僕たちもいずれは別々の道を歩むのだ。  その結論に行き着いた時、ちょうど名前を呼ばれた。僕の思考はまだまとまっていなかったが、手元にはちゃんと分類別に分けられた書類がある。  頭と体が別々に動くように、人の道もいつか別れるのだろうかとぼんやり思った。

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