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掃除

 今日も今日とて僕とヤードはハイルデンさんの下で仕事をしていた。  とは言っても午前中は訓練があったのでこの部屋に来たのは午後になってからだ。それに今日は書類の整理ではなく、単純に乱雑が過ぎるこの部屋の掃除が目的だ。  室内にある机という机に積まれた書類、いつからあるのかわからない茶器に酒瓶。きっともう捨ててしまっても問題がないだろうぐしゃぐしゃに丸められた紙。数日間仕事に集中していたから気が付かなかったが、この部屋はとても汚い。  どうして酒瓶があるんだと思ったが、この部屋の長を思い浮かべてその思考も捨てた。  そして当のこの部屋の主人であるハイルデンさんはさっさと逃げてしまった。掃除が大の苦手で曰く「オレがいると倍以上の時間が掛かる」そうだ。  だから今この部屋には僕とヤードしかいない。 「…この部屋今日だけで片付くかな…」 「無理だな。明日も頑張ろう」  今から出る大量の埃を懸念して僕たちは口に布を巻いている。  目元しか見えない状態だが、それでもヤードの顔が今からの作業に辟易しているのがわかった。 「…せめて、毎日ちょっとずつでも整理してくれてたらな…」 「無理だろ、ハイルデンさんだぞ」  見た目ばかりは芸術品のように整っている彼だが、性格及び素行は大層悪い。酒癖もだ。  それでも魔法の才能が一級品で、尚且つ頭の出来も良いから学生時代も兵士になりたての頃も周りが異様に苦労したらしい。その苦労がこの部屋を見るとよく分かる気がした。 「…ここでこんななら、あの人の部屋、どうなってんだろ…」 「魔境だな」 「ヒィ」  あまりにも膨大な書類とゴミの数に流石に額を押さえたが、言われたからはやるしかないのだ。 「やるぞ、ヤード」 「はい…」  僕たちは腕捲りをして戦いに挑んだ。  正直普通に魔物を倒す時よりも全然大変だった。まだ床に落ちているゴミを集めるところは良かった。問題なのは書類の方だ。 「ねえスタク! これ期限明日とかだけどぉ!」 「これは昨日までだ」 「ねえこの書類って隊長に確認して貰わないといけないんじゃないの⁉︎」 「これはハイルデンさんのサインが必要だな」 「……スタク」  普段は温厚で優しい光を宿しているヤードの目が据わっている。僕は思わず姿勢を正した。 「俺今からハイルデンさん探してくる。スタクはそのまま作業してて」 「わかった」  布のせいで口元は見えないが、きっと笑っていたと思う。けれど全身から立ち上る圧がすごくて僕は頷くことしか出来なかった。  こういうタイプが怒る時が一番怖い。  地鳴りのようなオーラを背負って部屋から出ていくヤードを見送って僕は黙々と作業を続けた。今日も天気が良いおかげか窓から入る光が舞い上がる誇りに反射して輝いている。輝いているのだが如何せん数が多い。もはや埃が乱舞していると言っても過言ではない。  こんな環境下で数日作業をしていたのかと思うと気が遠くなる思いだが、手を進めていれば少しずつでも片付くもので、床に散らばっていたものは綺麗に片付いたし酒瓶も茶器もなくなり見た目からして部屋が広くなった気がする。  そうこうしていれば俄に廊下が騒がしくなり、この部屋を散らかした張本人と笑顔に圧があるヤードが帰ってきた。ハイルデンさんは床に物が無くなったのを見て「もう十分」と言っていたが、僕とヤードはそれでは終われない。  そこから先は僕はあまり口出ししなかった。というよりそんな暇が無かった。  ヤードは怒ると作業効率が見違えるほど上がるタイプの人のようで、文句を言いそうになっているハイルデンさんを笑顔で封殺し嫌だ嫌だとシリウスのように駄々を捏ねるのを全て無視して書類を押し付けていた。  そうやって処理されていく書類をまとめ、時には他の部署に持っていき、必要なサインを貰ったりまた部屋で掃除をしたりすればあっという間に時間は過ぎて外はオレンジ色に染まっていた。  書類の山は半分と少し片付いたくらいだろうか。残りは明日だなと僕が息を吐くのと「オレを敬えやあ‼︎」と叫んでハイルデンさんが机に突っ伏すのは似たようなタイミングだった。  いつも煌めいている髪が今日は少しくすんで見えるし、表情にも疲労の色が濃く乗っている。こんなに疲弊したハイルデンさんを見るのは初めてだった。 「はいじゃあ今日はここまで。明日もよろしくお願いします」 「は⁉︎ お前明日もこのオレをボロ雑巾みたいにするつもりか⁉︎」 「あははやだなー、元々ハイルデンさんがちゃんとしてくれてたら良かっただけの話ですよね?」 「ぐ、ぐ…!」 「じゃあお疲れ様でした。スタクも行こうか」 「あ、うん。…お疲れ様でした」  項垂れているハイルデンさんに軽く頭を下げてから部屋を出る。  何度か廊下と部屋を往復していたが改めてあの部屋からゆっくりと出てみると全身から埃っぽい匂いがするなと思った。  前方を歩くヤードが不意に足を止めた。それに気付いて僕も足を止めると、口と鼻を覆っていた布を取ったヤードが振り返った。その顔は見ているこちらが不安になる程弱りきっていたが、そうなった原因が僕にはなんとなくわかった。 「…お前も案外怖いもの知らずだと思うぞ」 「違うんだよぉおおお」  癖のある茶髪頭を両手で抱えながらヤードがその場に崩れ落ちた。  ヤードは怒りで作業効率が鬼のように上がるが、その時の自分の態度や発言を正気に戻ってから激しく後悔する性格のようだ。今も廊下に体を預けたまま頭を抱えて「殺される」「終わった」などとネガティブな言葉を繰り返している。  その様子がおかしくて吹き出すとヤードが信じられないものを見るような目で僕を見た。 「? どうした。反省は終わったか」 「いや、終わってないけど…」 「そうか。…まあでも気にしなくてもいいと思うぞ。ハイルデンさんは本当に気に障ったらあんな癇癪じゃ済まないだろうし、最後言い返せて無かったから思うところもあったんじゃないか?」 「癇癪って…」 「癇癪だろ。あれはシリウスより酷い」 「……あー…、そうかも」  細く長く息を吐き出したヤードが壁伝いにゆっくりと立ち上がる。少しは切り替えたらしいがまだ後悔の残っていそうな後ろ姿を見て隣に行くとおもむろに背中を叩く。そうしたらまたしても化け物を見るような目で見られた。 「なんだ」 「いや、えっと」 「ああ、馴れ馴れしかったか、悪い。距離感を測るのが昔から苦手なんだ」  一歩後ろに下がるとなんとも言えないヤードの目が僕を見下ろしていた。ああそうか、ヤードは僕よりもずっと背が高いのか。 「お前、背が高かったんだな」 「え」 「知らなかったよ、同期なのにな」  ぱちぱちと音が鳴りそうな程瞬きをしているヤードを見て首を傾げていれば廊下の後ろの方から声と猛烈な足音が聞こえた。「げ」という僕の声にヤードが苦笑する。 「おいシリウス廊下は走るな」  どうっ、と音がしそうな勢いで抱きつかれて思わずよろけるが僕が転けるなんてことをシリウスが許す筈もなくて僕はそのまま胸元に顔を押し付けられた。髪に鼻を埋められている気がして大変不愉快だ。  それと同時にシリウスの濃い匂いがするのも嫌だ。 「アルー、ただいま! あれ、なんか今日アルすんげえ埃っぽい匂いすんね? 風呂入んねえの? あ、ヤードじゃんやっほ! ……え、待ってというかお前ら距離近くない?」 「お前の方が近い、匂いを嗅ぐな、離れろ暑苦しい」 「え、やだ」  多少腕の力は緩んだが全く悪びれていない顔に苛立つと僕は予備動作無しでシリウスの脛をそこそこの力で蹴る。すると痛みに馬鹿はうずくまり、その場から僕は離れる。 「行こうヤード」 「え、でも」 「馬鹿は放っておけ」  背後ではシリウスの啜り泣く声が聞こえていたが僕は無視して風呂場に向かった。

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