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王の幼馴染みーオルダーノ王子とエラディオー
薔薇の庭園に近づいていくと、複数の華やかな笑い声が耳に飛び込んできた。
ちょうど薔薇の花が最盛期で、よく肥えた土から豊かに枝や葉っぱが広がっている。色は様々で、艶やかな赤色、可憐な薄い赤、明るい黄色、無垢な白色など、色とりどりに咲き誇っている。その薔薇の花の間の小道を躊躇うことなく進みながら、エラディオは声がする方へ向かった。
「まあ! 王子さまったら!」
黄色い歓声が上がる。
小道の先に、噴水が見えてきた。噴水は磨かれた石で作られ、円状の形をした台座の中央に女性の石像があり、両手で掲げた壺から水がなだらかに滴り落ちている。台座の中は水が一面に揺らめき、滴り落ちている箇所だけが小さく波打っている。
エラディオは鬱蒼と足を止めた。噴水の台座には、自分の両隣に侍女を侍らせたエラディオの主君がいた。
「おや」
気配も消して現れたエラディオに、振り向いた二人の侍女は明らかに動揺したが、オルダーノは動じるどころか満面の笑みを湛えて歓迎した。
「どうしたのだ、私のエラディオ」
エラディオは表情を変えることなく、奥歯を噛みしめる。全くこのお方はと、毎回呆れる。悪戯を見られた子供のように、自分が不本意な立場に置かれると判断した途端に、甘えるような言葉を出すのだ。
「どうしたのではありません、オルダーノ様」
何度同じ台詞を吐いているのだろうと、エラディオは少々頭が痛くなった。それほど自分に説教されるのが嫌であれば、侍女たち相手の戯れを止めればよいのにとつくづく思うのだが、オルダーノの女性好きは熟知しているので、その度に無理だろうと諦めている。
「お探ししておりました」
「ああ、そう。私のエラディオは今日も素晴らしい。我が国の偉大な芸術家であるブオーナが彫り込んだ石像のように、精悍で逞しく美しい。私にはとても眩しい」
歯の浮くようなお世辞を、エラディオはいつものように聞き流した。
「陛下がお呼びです」
ヴィローカ王国の第一王子にして皇太子であるオルダーノは観念したように息を吐くと、左右の侍女たちの腰に回していた腕をそれぞれ優雅に引っ込めた。
「仕方がないね、愉しいひと時だったのに。お前たちもエラディオの小言を喰らう前に、早くお行き」
弾かれたように二人の侍女は立ち上がると、自分たちが仕えている王子へ名残惜しそうに挨拶をし、エラディオへも頭を下げて足早に立ち去って行った。
「怖い顔をするんじゃない」
オルダーノは一人になった台座の上に両手をついて、にこにこと微笑む。
「お前は朴念仁過ぎる。あの子たちを愉しませるのは、王子としての務めだよ。誠心誠意仕えてもらうためにもね」
「仰っている意味がよくわかりません。わからなくとも構いません」
エラディオはぬっと一歩踏み出し、オルダーノを前にして立つと、両腕を組んで仁王立ちになる。
「オルダーノ様、物心ついた頃からお側に仕えている者として、申し上げねばなりません。何度も申し上げておりますので、不幸なことに、この舌に刻まれてしまっております」
「私もだ、エラディオ。何度も耳にしているから、お前の惚れ惚れする声を聞くだけで、心の中で星が光り輝き出すよ。その星はお前の言葉だ。心が暗い夜空となり、私を締めつける。星はだた輝くだけ。私を照らさない」
エラディオは思わず空を仰いだ。オルダーノはこういう言い方で人を煙に巻く。詩を歌いあげるような言葉の編み出しようは、いっそのこと詩人にでもなればよいのではと思うくらいだが、生憎オルダーノは国を継ぐ王子であった。
「夜空であろうと星であろうと、一切どうでもよろしい、王子。侍女たちを相手に羽目を外されるのは、いい加減になされよ。貴方様は王を継がれるお方なのですから」
まるで口喧しい乳母のようだと、エラディオは自身にうんざりした。自分がオルダーノに仕えているのは、小言を喰らわすためではない。次期国王になるオルダーノを護るためだ。
「わかっている、エラディオ」
オルダーノはたっぷりと頷く。
「お前が私を想ってくれているのは、朝に太陽が東の山の峰から昇るほどにわかりきったことだ。私はそんなお前が愛おしい。愛している、エラディオ」
オルダーノは両目を瞑り、左手で胸元を押さえ、右手は手前に差し出した格好で歌うように紡ぐ。その姿はまるで芝居がかっていて劇的だ。
「……」
エラディオも頭の痛さを堪えるように目を閉じた。苦虫を嚙み潰したようという表現が相応しい顔つきで、頬が若干引き攣っている。
「私の気持ちがわかるか、エラディオ」
「どうでもよろしい、王子」
勢いよく両目を開けると、デ・オルネラス家が誇る武人としても名高い勇猛さで、王子に厳しくにじり寄る。
「今、私がわかることは、貴方様を国王陛下の元へ連れて行かねばならないということです。さあ、お立ちなされ」
私のエラディオ、愛しいエラディオ、愛しているエラディオ。まるで三文科白のように耳元で繰り返し囁かれている。息を吐くように自然と口から洩れるのは一種の才能だろうと、エラディオは馬鹿げた感心をした。
「お前は情緒が足りないね」
オルダーノは肩を落として聞こえるようにため息をつくと、ようやく腰をあげた。
「私がこれほど愛を囁いているのに。お前の魂はどこを飛んでいるのだろうか。早く掴まえないと、私の純真な心が押し潰されそうだ」
「私の魂は、オルダーノ様が陛下の元へ向かわれましたら戻りますので、心配ご無用です」
身も蓋もなく切り捨てると、素早く脇へ退き、王子へ前を開ける。
「さあ、お早く。陛下がお待ちです」
皇太子を呼んでいるのは、恐らく最近の隣国の情勢についてだろうとエラディオは憂慮していた。国境のロザンテの森の見廻りから戻って来たばかりである。
オルダーノは脇で直立不動の姿勢を取っているエラディオへちらりと視線を流すと、こめかみを手のひらで撫でた。
「父上の元へ参る前に、一つ聞かなければならない」
「何でしょう」
「お前も私を愛しているんだろう、エラディオ」
オルダーノの口元が幼子のようにひん曲がっている。
「愛していると言わなければ、私は行かない」
エラディオは呆れたようにポカンと口を開けた。このような時に何を言うのかと思ったが、幼い頃から共に育っている間柄である。オルダーノがヘソを曲げているのは聞かなくてもわかった。仕方がないお方だと、口元にやんわりと苦笑いが浮かぶ。
「そのような当たり前のことを、一々仰らないでいただきたい」
鮮烈な気性そのままに告げる。
「オルダーノ様と私が愛しあっているのは、言うまでもないことです」
お互いの息遣いや肌の匂いまで知っている。
身体を抱く甘ったるい手触りは、いつも至福の瞬間だ。
エラディオは下を向いた。何やら阿呆のように恥ずかしくなってきた。
「そうか」
対して、オルダーノは嬉しそうに破顔する。
「魂が戻ったようだな、エラディオ。今度は私の魂が舞い上がっていきそうだ。その前に、早く父上の元へ行くぞ」
「はい」
どうやら曲がったヘソは無事直ったようだとほっとして顔を上げると、オルダーノが腕を伸ばして、エラディオの頬を撫でた。
「本当に素晴しい、私のエラディオ」
耳元で囁く麗しい声。
耳朶に触れる甘い息。
やがてオルダーノは身を離し、頬も手放すと、踵を返した。
遅れて、エラディオはオルダーノの背中を追っていく。頬が熱くなっているのをオルダーノに見られなくて良かったと思いながら――
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