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第2話 ディレの森

 月明かりを反射して花弁が青白く光っている月下草。  湿地にしか群生せず、月明かりを浴びて開花するこの花には鎮静効果があり、ポーションや薬によく使われる。  ただし、それらに使えるのは月光を浴びて発光している状態のものだけ。  従って、採取は晴れた夜に行い、月が昇っている間に、収納したものの時を止めるマジックバッグやマジックボックスに入れなければならない。  生活には欠かせないものではあるが、湿地という地理的に嫌悪される場所や時間的制約から、月下草の採取依頼を受ける冒険者は少数だ。  だからこそ、ライリーはこの仕事で稼げているわけだが。 (月下草を三十株っと。よし、これで最後)  依頼分の量を採取し終わって腰を上げようとすると、じっとこちらを見つめる二対の光る目に気付いた。  雪のような真っ白な体毛に、赤い瞳。  額には先が細く尖った角が伸びている。  一角兎だ。  二匹は肩を寄せ合い、草むらの中からじっとライリーを凝視しており、少しずつ、少しずつ距離を縮めてきている。  その大きさは成人男性であるライリーの両手に収まるほどの大きさだ。   (好奇心が強い。体も小さいし、春に生まれた子たちかな)  一角兎の毛皮は柔らかく、高額で市場に出回る。  しかし、こんなに小さな個体では、どんなに柔らかな毛皮でも使い物にならない。  何より、生まれたばかりだというのに狩るのは可哀想だ。 「ほら、父さんと母さんのところに戻りな」  一角兎と目を合わせ、追い払うように手を振ると、彼らは言葉を理解したかのように背を向け、森の奥へと駆け出した。  幼くとも魔獣には違いない。  白い兎は、あっという間に見えなくなった。  一角兎の背中を見送ったライリーは、泥で汚れた手を川で洗い、その辺にあった腰掛けにちょうどいい岩に座ってマジックバッグを漁る。  夜食用に入れていたジンジャークッキーを取り出し、鼻から下の顔を覆っていた黒色のネックガードを引き下げてクッキーを口の中に放り込んだ。  ほろほろと崩れる食感とジンジャーの風味が絶妙にいい。  辛いものは苦手だが、これは大好きだ。  ジンジャークッキーの虜になり、自分で稼ぐようになってからは在庫が切れないように定期的に買い、常備している。  ライリーはクッキーの美味しさに何度も頷き、次の一枚に手を伸ばした。  持ってきたジンジャークッキーをすべて食べ終わり一息ついたところで岩から下りると、月下草を摘む前に仕掛けていた罠を見に行く。  罠には見事にスライムが二匹掛かっていた。    スライムは汎用性が高い。  ゴミや下水の処理、果ては調教してペットにするなどなど。  つまりは生け捕りが必須だ。  力加減ができる冒険者なら生け捕りは簡単だろうが、ライリーはそこまでの技術は持ち合わせていない。  そのため、いつもこうして罠を仕掛けていた。  スライムは好奇心が強く警戒心が薄いため、同じ場所に同じ罠を仕掛けていてもホイホイ入ってくれる。 (可愛いなぁ)    キューキューと鳴いているスライムたちに頬を緩ませながら洞窟蜘蛛の糸でできた網の中に移動させ、それを肩に担ぐ。  見た目通り軽い彼らはこのまま手で持って帰る。    本当はマジックバッグに入れていきたいが、しかし、命あるものは入れられない。  そのため、月下草や仕留めた獲物、食べ物は入れてもいいが、それ以外を入れてしまうと事切れてしまうのだ。  そもそも、仮になんでも入れることができたら誘拐し放題の世の中になってしまう。  罠をマジックバッグに収め、忘れ物がないか確認をしてから立ち上がると、ライリーはディレの森の出口を目指した。  森は夜ということもあり他の冒険者たちの姿はない。  夜、森の深いところには夜行性の凶暴な魔獣が出る。  そのため、討伐依頼やレベル上げ以外では夜にディレの森に入る冒険者は滅多にいない。  ライリーは森の浅いところに用があるため、夜でも恐れることなく出入りしている。  稀に獰猛な魔獣に遭遇することもあるが、魔術を使えば逃げ切れる。  多少の危険はあるが、人目につかない。  これもライリーが月下草採取の依頼を受ける理由のひとつだ。  ディレの森を抜け、しばらく街道を歩いていると街が見えてくる。  サニーラルン国の南に位置する、ハルデラン。  肥沃な土地と質の良い水に恵まれ、国内でも有数の農耕地帯で、それを目的とした交易で栄えている。    ディレの森は、そのハルデランの北東に位置している魔獣ひしめく深い森だ。  魔獣の種類も多く、その体から獲れる素材や群生している薬草を求めて冒険者たちがやってくる。  そうして、さらにハルデランは栄えてきた。  そんなハルデランの街中の、やはり北東に位置する冒険者ギルドにライリーは向かった。  冒険者ギルドの一階は依頼の橋渡しをするカウンターと掲示板、食堂兼酒場になっている。  二階と三階は旅をする冒険者向けへの宿泊施設だ。  食堂が酒場も兼ねているのは、冒険者に酒飲みが多いことが理由だが、一番の理由は情報交換のため。  冒険者にとって情報は生命線。  ギルドの食堂は、冒険者たちの社交の場なのだ。    深夜の時間帯にも関わらず、一階は酒盛りをする冒険者たちの声に満ちていた。  狩で獲得した魔石を巡り、トランプで賭けをしているようで、ゲームが進むたびにどっと上がる歓声が鼓膜を破りそうなほど煩い。  ライリーは下品で野蛮で煩い彼らが嫌いだ。  彼らを冷たく一瞥したライリーは、耳を塞ぎたくなるのを我慢し、カウンターでひとり晩酌をしながら待機していたギルド職員、もといギルドマスターのジャクソンのところへ一目散に歩いていく。    ジャクソンは壮年で、刈り上げた小麦色の髪に整えられた髭がトレードマークだ。  がっちりした体格と厳つい顔に反して面倒見がいい。  ギルドに初めて訪れた時、ライリーはフードとネックガードで目元以外の顔を隠していた。  だというのに、ギルドの仕組みがわからず戸惑っていたライリーに声をかけ、どんな依頼を受けたいかなどの最低限の項目を聞き取り、それに見合った必要な装備を教示し、ついでにおすすめの装備屋に口利きしてくれたのがジャクソンだ。  その上、ディレの森を案内してくれたり、魔獣との闘い方なども教えてくれた。  感謝してもしきれず、もう足を向けて寝られない。    世話になっているのは間違いなく、可愛がってもらっている自覚もある。  ただ、恩があったとしても、過去の経験からギルドや冒険者に良い印象を持っていないライリーは、ジャクソンのすべてを信用しきれずにいた。  心に生まれた黒い感情は、中々消えてはくれないのだ。 「おかえりオリバー。怪我はないか?」 「ただいま帰りました。怪我はありません。依頼の件と、ついでのものです」  冒険者としての名前で呼ばれると、ライリーは依頼を受けていた月下草を取り出してカウンターに置き、スライムたちは直接ジャクソンに渡した。    そもそも人見知りであるが故に初対面時から素っ気ない態度を取ってしまい、ジャクソンに慣れたころには引っ込みがつかなくてそのままの態度だ。  その方が深く関わらなくて都合が良いが、よくしてもらっているのに、という罪悪感が少しある。  心の内ではそれなりに懐いているのに、それが表に出せなくてもどかしい思いを抱いたまま、自分を変えられずにいるのも悩みのひとつだ。 「お、スライムか。最近品薄だったから助かる。鑑定するからちょっと待ってな」  ジャクソンは並んだ今日の成果を目視で状態を確認しつつ、鑑定魔法を使ってさらに質を確かめる。  ギルドマスターであるから、多少お酒が入っていても迅速かつ正確な鑑定ができるそうだ。  初めは本当に大丈夫かと不安を抱えたが、相応の報酬が支払われているため、そういうものだと納得している。 「よし、今日の報酬はこれな。気をつけて帰れよ」 「はい」  ライリーはジャクソンがカウンターに置いた報酬のコインを受け取り、軽快な音を響かせながら財布の中に収めていく。  ついでのスライムのおかげで報酬もそれなりに多く、純粋に嬉しい。  黒い布で覆われた口元が弧を描く。  たが、相変わらずジャクソンと親しく話すきっかけを掴めず、ライリーは言葉少なに返事をして踵を返した。

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