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第55話 崩れた均衡

 テーブルに並べられた料理はあと僅か。  空腹が満たされれば、食事のペースは自然と落ちていく。  デザート枠で持ってきたスイートポテトや桃のタルトは、一口分だけ欠けていた。  饒舌になったライリーとユリウスが交わした会話はどこまでも広がり、巡っていく。  それはとても楽しくて、心地良い。  雲のようにふわりと浮くような酔いは、複雑な思考を空へと飛ばす。  話題は、何となく避けていた自分自身のことへと移り変わった。  ギルド職員としての仕事も影としての仕事も楽しんでいるライリーに比べ、ユリウスは一年前の混乱が収まった後も近衛騎士の仕事に追い回されているようだ。    近衛騎士の仕事は名誉なことで、多少の苦労があってもやりがいを感じている。  しかし、近衛騎士の中でも粛清された者が出たことで、新人近衛騎士たちの教育は未だ続いている。  教育係を任されたユリウスの嘆きは止まることを知らない。  彼らがやってしまったミスの尻拭いに振り回され、その愚痴が延々と続いていく。  それを聞いていると、ユリウスの現状があまりに可哀想でならない。  ライリーは励ますように、項垂れるユリウスの肩を叩いた。   「そんだけ働いて、昇格はないわけ?」 「あったよ。ヒラ隊員から部隊長になった」 「おめでとう。あ、だから教育係になったってこと?」 「そういうこと。いずれはと思っていたさ。でも、何もこんな忙しい時に昇格してくれなくてもいいだろ」 「ユリウスが優秀だからこその昇格だろ。頑張れ」 「おう」  ライリーはほとんど空になっていたユリウスのグラスにポティーンを注ぎ、自分のグラスもポティーンで満たす。  ユリウスにグラスを渡せば、酔って思考回路が単純になっているのか、顔が明るくなった。    今だけは、嫌なことは忘れよう。  景気良くグラスを鳴らし、ポティーンを煽る。  何杯目なのかもよくわからないが、泥酔まではしていない。  まだまだ飲むつもりだが、一時休憩と決め、グラスをテーブルに置いた。 「でもさ。早々に近衛騎士になって、今は部隊長だろ。色んな人から声掛けられるんじゃないのか?」 「まあな。生き残った貴族のジジィ共から見合い話が持ちかけられてうんざりだ」 「でも、見合いしているんだろ?」    見合いの話をするつもりはなかった。  しかし、何も心の傷を抉る話題を深堀りしなくてもいいだろうに、酔った勢いでユリウスの見合い話に食いついて、しかも嫌味ったらしく聞き返してしまった。    心臓が胸から飛び出しそうなほど跳ね、口の中が急激に乾く。  すぐに深酔い防止に用意していた水が入っているグラスを傾けたが、手が震えているために水を溢してしまった。  胸元が濡れ、冷たさが心臓まで伝わる。  ライリーの酔いが一気に覚めた。   「なんで知っているんだ」  低く唸るようなユリウスの声。  それに、ライリーの唇が震える。   「ミカエラ殿下から聞いた」 「あの人は余計なことを」  舌打ちをしたユリウスは酒の影響もあり、目が据わっている。  見合い話をしたライリーか。  ライリーに告げ口したミカエラか。  それとも両者に怒っているのか。    怒りを隠そうともしないユリウスに、ライリーは心の底から怖くなった。  酒の力も借り、やっとスムーズに話せるようになったというのに、また居心地の悪い雰囲気に戻ってしまった。   (これ以上、嫌われたくない)    気持ちが先走り、焦ったライリーは思ってもいないことを口にしてしまう。   「いいじゃん、可愛い嫁さんを迎えられるんだし。ユリウスならいい父親になると思うよ。だってあれだけ俺の面倒見てたんだからさ、だから……」 「ライリー、ちょっと黙れ」 「俺はお前にお祝いを言おうと」 「聞きたくない! お前にだけはおめでとうって言われたくない!」  ユリウスの怒号が耳を劈いた。  テーブルに叩きつけられた拳には青筋が浮かんでいる。  並べられていた皿は鈍い音を立ててぶつかり合い、端にあった何枚かは落下して絨毯の上に転がった。   「なにを、言って……」  大きな音に体をびくつかせたライリーは、ユリウスの顔を見て言葉を失った。    何故、苦しそうな顔をしているのか。  何故、泣きそうな顔をしているのか。  何故、縋るような目でライリーを見るのか。    ライリーの言葉は、どれだけ深くユリウスを傷付けてしまったのだろう。  それを知る術は、ひとつしかない。   「俺が、どれだけ見合いを苦痛に感じていると思う」 「見合いは、自分で受けているんじゃないのか」 「そうだ。すべてはお前を忘れるためだ」 「俺を、忘れる……?」  何故、見合いを受けることがライリーを忘れることに繋がるのか。  ユリウスが何を思い、何を考えているかわからない。  ライリーは一言も聞き逃さないようにユリウスを凝視し、固唾を飲んでユリウスの言葉を待った。  ユリウスはライリーを一瞥し、髪をくしゃりと掴んだ。  そして、その腕で目元を隠しながらソファに背を預け、深いため息を吐いた。   「一年にも満たない期間しか一緒にいなかったのにライリーを探してしまう。朝起きても、仕事している時も、寝る時だって。だから忘れたいのに、誰に会ってもライリーの面影を探してしまう。おかげで見合いは台無しだ」 「ちょッ……ちょっと待って、それじゃあまるで、まるで……」  ライリーが好きだと言っているみたいだ。  ユリウスから逃げるように、王都を発ったあの日以降、ライリーの心には常にユリウスの存在があった。  それこそ、ユリウスが言うように朝も夜も、仕事している時も、いるはずがないユリウスの姿をずっと探していた。  どれだけ忙しくても、ユリウスのことを考えない日など一日たりともなかった。    それは、思い出にしようとしても消すことができない想いがあるからだ。  ユリウスのことが好きで好きで、どうしようもなく好きで、愛おしいからだ。    では、ライリーと同じように、毎日ライリーを思い出し、その面影を探していたユリウスは……?    あり得ないことだと思っていた。  万にひとつもないことだと諦めていた。  理性は、これ以上期待するのはよせと、けたたましく警報を響かせ、立ち止まれと警告している。    しかし、ユリウスにあんなことを言われてしまえば、理性が何と言おうと期待してしまう。  夢を、見てしまう。 「こんな風に伝えるつもりなかったのに」  ユリウスは「クソッ」と口汚く悪態をつくと、唸りながら掴んでいた髪を荒々しくかき混ぜた。  それも、数秒間のこと。  肺にあった空気をすべて吐き出したかのような深いため息を吐くと、手早く髪を整えて腰を上げる。  そして、期待する心と、それを否定する理性の狭間で、指先すらも動かせないライリーの前に跪き、硬く握られたライリーの両手をそっと掬い取った。   「ライリー。俺はライリーが好きだ」  少し上擦っているユリウスの低い声。  冷たく凍えた手にユリウスの温もりが伝わり、熱い奔流がライリーに流れ込んできた。  それがライリーの全身を巡り、全身に染み込んでいく。  鼓動が震える。  これは現実だと知らしめるように、体がじわじわと熱くなっていく。  ユリウスが、ライリーを好きだと言う。  はっきりと言われて嬉しくないわけがない。  恋愛対象として好きだと言われている、はずだ。    ユリウスの言葉をそのまま受け取ってもいいのだろうか。  彼が言う「好き」が、男同士の深く熱い友情のことだったらどうする。  好きの種類を履き違えて好意を示したことで、ユリウスから拒絶されてしまったら、今度こそライリーは立ち直れないだろう。  ライリーは自分の心を曝け出すのが怖くなった。

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