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第四章 運命の番と一歩の距離16

***  部活が終わって、教室に置いているスクールバッグを取りに戻ると、めずらしく佐伯が自分の席でなにかをしていた。街並みの夕焼けを映す窓際から離れた席にある佐伯の傍に、小走りで駆け寄る。 「佐伯、お疲れ。居残りしてまで、なにかすることでもあったのか?」  委員長の俺のサポートをしてくれるのはありがたいものの、佐伯の負担になるのが心苦しかった。 「誰かさんが、体力テストの結果なんていう特殊なものを入手したのを見て、ちょっと考えることがあってな」  なぜか近づく俺に、睨みを効かせる。もともと佐伯の目つきは鋭い仕様なので、睨まれただけでゾワッとせずにはいられないし、無性に謝りたくて堪らなくなる。 「だ、だってよ、それがあったら、競技の振り分けが楽になると思ったんだって。人気の競技が取り合いになってジャンケンになるのも、不公平感があるじゃん」 「皆を黙らせるのに、体力テストの結果を突きつけて、クラスメイトそれぞれに合う競技に参加させるアイデアを提供したできる委員長は、随分とお疲れみたいだな」  机に頬杖をつき、俺から視線を外したことにほっとして、佐伯の前にある席に腰かけ、大きなため息をはいた。 「そりゃ疲れるさ。ラットのフェロモンは別として、ここのところきちんと微調整を心がけているおかげで、フェロモン絡みの騒ぎを起こしてない。特に今日は、めっちゃ気合を入れたんだ」 「気合を入れるなにかが、月岡との間にあったということなんだな」 「さすがはアルファの副委員長さま。読みを外さないところがすげぇ! 週末悠真が、ウチに遊びに来るんだ」 「はいはい。そうやってすぐにおだつところが、西野の悪いクセだぞ」  書き込みしていたシャーペンで俺を差し、眉間にシワを寄せる。 「佐伯のアドバイスのおかげで、少しずつだけど悠真と仲良くなってる。……と思いたい」  これまでのことを振り返りながら口にしたら、俺を差してしたシャーペンをノートの上に放り、胸の前に腕を組んで、気難しそうな表情で語る。 「月岡は1年のときから、あんな感じだ。笑顔で接しているが、きっちり見えないラインを皆に引いて、不用意に近づけないようにバリアを張ってる」  1年から悠真と同じクラスで委員長だった佐伯は、人をよく見ている。だから俺以上に、機微に聡いんだろう。 「その原因は?」 「バリアを張ってる相手に、それを聞いたところで素直に喋ると思うか?」 「俺そこまで悠真に、バリアを張られてる気がしないんだけど」 「おまえの場合『失礼しやーす』って、無遠慮に相手の|懐《ふところ》に土足で入り込み、相手の戦意をここぞとばかりに削ぐから、月岡がバリアを張る暇がなかったんじゃないのか?」  目の前でゲッソリした面持ちで説明された時点で、佐伯の|懐《ふところ》にも俺がドカドカ踏み込んだのがわかった。 「佐伯の戦意を削いだつもりは、全然ないけどさ」 「おまえの莫大なフェロモン量と濃度を目の当たりにして、喧嘩を売ろうとするアルファは誰もいない」  肩を竦めながらわかりやすい返事をされたが、正直よくわからない。実際俺のフェロモンは皆がいい匂いだっていうし、それを嗅いだ相手はアルファを含めて、気分を良くして仲良くなるだけなのだ。 「それに月岡には、不思議なことがほかにもある」 「アイツの頭のいい理由は、高槻学園に通ってるお姉さんに勉強を見てもらってるからだぞ」  悠真共々、頭のいい佐伯が指摘しそうなことを言ってみる。 「だったらますます謎だ。なんで姉が高槻に通ってるのに、弟は公立中学に通ってるんだ? 中等部がある学校なのに」 「それを言われると、確かにそうだな。今の成績を考えたら、高槻でも充分にやれるハズなのに」  利き手をグーにして左手のひらを打つと、佐伯は口の端をひん曲げて変な表情を浮かべた。 「月岡からその話を聞いた時点で疑問に思えない、ピンク色に染まったおまえの頭をなんとかしろ!」  佐伯は忌々しそうに舌打ちし、書き込みしたノートを見せてくれた。 「西野の頭が回らない分、部活動に入ってないメンツを集めて、自主トレしようと考えた。まずは、基礎体力をあげよう思う」 「その自主トレする場所、俺が確保してやる。長谷川っちに相談してみるな」 「それは助かる。練習メニューは……」 「それもあとで佐伯に連絡するわ。今読んでるバスケの本で、基礎体力トレーニングっていう項目があって、まとめてる最中なんだ」 「ナイスタイミングだな。そういうところが早いのは助かる」  佐伯の考えを先回りするのは、めちゃくちゃキツいけど、やるだろうなと考慮する部分に必ずアタックしてくれるのは、こちらとしてもすげぇ助かった。 「西野、月岡にはまだ謎がある」 「唐突だな、なんだよ?」 「体育の時間、着替えるだろ」 「運動するんだから、当然だよな」  当たり前のことを告げる佐伯に、神妙な顔を見せつけた。 「月岡、首の付け根にいつも大判の絆創膏をつけてる」  そう言って、俺の左側の首の付け根に指を差した。 「それって――」 「アルファなら、思い当たるフシがあるだろ」  そう言われた瞬間、ラットになったときのことを思い返した。悠真に抱きついたときに感じた、触れたところから伝わるぬくもりや、すっと通った首筋が目に入ったとき、犬歯を突き立てたい衝動に駆られたが――。 「……噛みたくなるのは、そこだけじゃないし」 「そうだけどな。でも月岡が張り巡らせるバリアに関連付けると、辻褄が合うとは思わないか?」  注がれるドライな佐伯の視線から逃れるように、顔を俯かせた。 (悠真がアルファに襲われたことがあるかもしれない過去があるなら、アルファの俺、手を出したら絶対に嫌われるだろ)  佐伯は唖然とする俺の考えを読んだのか、右手人差し指を立てて、見るように促した。 「西野、まずは事実確認することからはじめろ。相手の興味を知ったなら、次はこれまでの恋愛遍歴を知って、相手の好みをリサーチし、それに近づくように努力する」  立てた細長い人差し指が俺の額をピンポンし、グイッと顔を押した。それに抵抗するように、首に力を入れて踏ん張る。 「さすがは恋愛マスター。オメガらしくない、暴れ馬の榎本を恋人にしてるだけあるわ」 「委員長の西野がしっかりしてくれないと、俺の仕事が確実に増える。それを未然に防ぎたいだけだ」  そう言い放った佐伯の目の下が若干赤く染っているのは、見なかったことにしてあげよう。 「西野、事実がわかるまでは、いつもどおりに月岡に接すること。アイツも俺と同等に、人の顔色を窺っているんだからな」 「わかったって。努力してみる……」  そう佐伯に了承したものの、次の日から悠真に気を遣ってしまい、ぎこちなく接してしまった俺。週末にきちんと俺の家で悠真と話し合いをして、心のわだかまりをなんとかしようと考えたのだった。

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