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第五章 恋の鼓動と開く心9

***  ここで寝ていても聞こえてくる、保健室の向こう側のくぐもった喧騒。陽太が出て行ってすぐにはじまったそれに、どうしたんだという疑問と不安が、胸の中をひしめき合った。  クラスメイトのためなら、平然と身を呈する彼のことがわかるせいで、どうにも心配でならない。しかも今回は間違いなく、俺絡みで誰かと言い合いになっているのではないだろうか。  やけに低い声のあとに聞こえた『無理です。お引き取りください』という怒気を含んだ陽太の口調が、揉めていることを示した。  それをなんとかしようと、気を遣って俺がその場に出て行ったら余計に混乱させるハズだと考え、あえて顔を出さないように我慢した。  静かになったなと思った瞬間、保健室の扉が開閉される。陽太が戻って来たのか――あるいは、陽太が言い合いしていた相手が入って来たのかわからない。  パーテーションに、やって来た相手の影が目に留まる。誰が現れるのかとハラハラしていたら、笑った陽太が顔を覗かせた。俺は慌ててベッドから起き上がり、彼の手をぎゅっと握りしめた。 「陽太……陽太っ!」 「ごめんな、心配かけて」  気まずそうに頭を搔く彼の腕を引っ張って、上半身に縋りつく。 「わっ! ゆ、悠真!?」 「良かった……ちゃんと戻って来た」 「悠真、ダメだ。俺の理性を試そうとするなって!」 「理性?」  聞き慣れない言葉に反応して顔をあげたら、真っ赤な顔した陽太が慌てふためき、両腕をバンザイする。 「俺は悠真が好きだから、こんな場所で抱きつかれると、マジでヤバいんだ……」 「陽太、俺が好きなの?」  ヤバいというセリフで、やんわりと陽太の体を手放す。傍に感じていたポカポカがなくなるだけで、寂しくて堪らなかった。 「友達としての好きじゃなく、恋愛感情で俺は悠真が好き――」  両腕を上げたまま、選手宣誓みたいにハッキリとした口調で告げられた。 「……どうして俺なの?」  不意に、疑問が口から突いて出る。幼なじみの智くんも、中学生のとき同じことを言ってたっけ。 「陽太と違って俺はベタで、どこにでもいるごく普通の同性なんだよ。アルファの君が好きになる相手じゃないのに」  ガックリと気落ちしてしまった。俺と友達になったワケは、そういう感情があったからなんだって。  俺の気を惹くために普段読まない本を読んだり、他愛ないことでわざわざ話しかけたり。しまいには中間テストで学年5位以内を目指すなんて、平気で無茶ぶりをする。恋とはなんて、馬鹿げているんだろう。 「悠真だからだよ」  それは静かに、だけど弱々しい感じじゃなく、耳の奥に響くように陽太の声が届いた。 「悠真は俺のフェロモンがわからない。ほかのヤツらは、俺の出したフェロモンに簡単に魅了される」 「お祭り騒ぎになるくらいだもんね」  そのことを思い出して少しだけ笑うと、陽太は真剣なまなざしで俺を見据える。 「ソイツらと違って、悠真はアルファの俺じゃなく、ひとりの男として俺を見ているのがわかるんだ」  陽太はゆっくりと両腕を下ろし、その場に跪くと、俺の利き手を握りしめた。 「さっき、五十嵐がおまえに会いに来た」 「つっ!」  どうして陽太が俺の幼なじみのことを知っているのか聞きたいのに、喉の奥が一瞬で干上がってしまい、思うように声が出せない。 「俺が会わせないように説得してるところに、佐伯がちょうど現れてさ。2対1になったことで、あっさり帰ってくれたんだけど……」 「良かった。ふたりに何事もなくて」  バース性の絡むケンカは想像つかないけれど、アルファ同士ならきっと、フェロモンを使ってやりそうだなと思った。 「アイツ、今日は大人しく帰ったけど間違いなく、おまえに会いにやって来る。中学時代のことを謝るために」 「そんなの、今さらだよね」  陽太に掴まれている利き手に、視線を落とした。強く握られていないそれを外すことは可能だったものの、彼から伝わってくるポカポカのおかげで、不安な気持ちが幾分和らぐ。だから余計に手放すことができなかった。

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