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第六章 恋のはじまりと揺れる未来3

***  気づけば、窓の外はすっかり夕暮れだった。カーテンの隙間から差し込む光がオレンジに染まり、部屋の中に長い影を落としている。 「……けっこう進んだな、宿題」 「うん。陽太とやると、ほんと捗る」  悠真はベッドの上で、俺の隣に横になりながらほほ笑んだ。横顔が少し眠たげで、なんだかやけに色っぽい。  さっきまでノートと教科書にかじりついてたはずなのに、いつの間にか手は止まり、俺たちはふたりでベッドに横になり、ぼんやりと天井を見上げていた。  繋いだ手はまだそのまま。指を絡ませながら、少しも離れようとしない。時折、小指だけをゆるく擦り合わせると、悠真が恥ずかしそうに笑う。その仕草がかわいすぎて、胸がきゅうっとなった。 「悠真このまま、もうちょっとだけ、こうしててもいいか?」  俺がそう聞くと、悠真は小さく頷いた。 「いいよ……俺も陽太を帰したくないって思ってた」  束縛を感じさせる悠真のセリフに、心臓が跳ねる。けれどそれは不安じゃない。嬉しくて愛しくて、どうしようもなく甘いやつだ。  でも――。 「……って、言ってる場合じゃないかも」 「え?」 「時計見てみろよ。もう五時半」 「……やば」  悠真が一気に跳ね起きた。その勢いで、つないだ手がふわっと解ける。けど、まだ熱が残ってた。 「そろそろ、朱音さんが帰ってくる時間だよな?」 「そう。ていうか帰って来ていて、リビングにいるかも……」  悠真がドアの外に耳を澄ます。その姿はまるで、ふたりで作戦行動してるみたいでなんか楽しかった。 「玄関の音、まだしてない。今のうちに!」 「了解っ!」  俺はそっと立ち上がり、荷物を肩にかける。足音を殺して階段を下りるふたり。声を出さないように、顔を見合わせて小さく笑った。  だけど玄関の影に、誰かの気配が確実にあった。 「悠真~、そこにいるの?」 「っ……姉ちゃんっ!」  悠真が息を飲んで俺を見た。どうする? って目で訴えかけてくる。けど俺は、逆にちょっと吹き出してしまった。 「階段の下、向こう側からは見えないよな」 「……うん」 「じゃあ、あとでちゃんと“家を出た風”に挨拶してくれれば問題ない」  俺は小声で言って、指先で悠真の手を掴んだ。ほんの数秒だけ。さっきまで握ってた手を、最後にもう一度ぎゅっとする。  それから、そっと指を離して――靴音を立てずに玄関の戸を開けた。ドアの隙間から夕焼けが差し込む。空はすっかり茜色で、さっきまでのふたりの時間が夕焼けに包まれて、そっと背中を押されるみたいに終わっていった。 「じゃあ、また連絡する」 「うん、今日は来てくれてありがとう」  階段の上の影から、悠真が小さな声でそう言った。俺は笑って手を振るフリをして、戸をそっと閉めた。  でも胸の奥では、もう次に悠真に会える瞬間のことばかりが、あたたかく渦を巻いてる。 (……まだまだ悠真と過ごす“ふたりの夏”はこれからだ) *** (んー……やけ静かね。この静けさ、逆に怪しいじゃないの)  冷蔵庫から取り出したグレープフルーツジュースのパックを片手に、リビングへ戻った。  私が帰宅したとき、玄関に見慣れないスポーツシューズが一足あった。それなのに家からは、人のいる気配がまったくしない。悠真は出かけずに、夏休みの宿題をするって言ってたのに。  ジュースを飲みながら、リビングの様子をチェックする。テーブルの上にはふたり分のグラス。ストローは片方、まだ濡れてる。 そのストローの口元が、ちょっと凹んでる感じが悠真のじゃない。そしてソファのクッションが、微妙に沈んでいるあたりも。 (ふたりで仲良く並んで座ってたな、これは……)  階段を上がる音は聞こえない。代わりに、キッチン横の壁越しから――。 「姉ちゃん? ジュース冷やしてたの、飲んでもいい?」  しれっとした声で呼びかけてきた弟に、私はニヤリと笑ってから答えた。 「どーぞー。というかさぁ……」  わざとゆっくり話す。 「陽太くん、何時に帰ったのー?」  しばらく間が空く。さっきまでの即レスとは明らかに違う。階段の途中で固まってるであろう弟の気配に、こっちもわざと沈黙で返す。 「……さっき」  もごもごとした声を出しながら、リビングに顔を出す悠真。あからさま過ぎる弟の動揺に、笑いを隠すのに必死になった。 「ふーん?」  私はストローでジュースを吸う音を立てながら、ソファにどかっと座る。 「別にいいけどね?」  そう、なにも問題はない。普通に仲のいい友達が遊びに来て、宿題をして帰っただけなんだから。ほんとにそれだけなら。  でもね――。 「弟の顔がちょっとだけ赤いとこも、クッションのへこみも、ストローの濡れ具合も、あと……うふふっ」  ふと、自分のスマホを見てニヤッと笑う。 (……駅前の防犯カメラの位置、全部把握している姉としては、“こっそり帰らせた感”が微妙に甘いんだよねぇ)  言葉に出す気はない。でも、弟には伝わってると思う。明日あたり、アイスでも買ってこようとするだろうな。今みたいな動揺した顔で。  でもまあ。 (――悠真が笑ってるなら、それでいいか)  ストローをくるくる回しながら、私はテレビのリモコンを取った。  弟が“ちゃんと好きになった人”を大事にしてるなら、それだけで姉としては、もうなにも言うことはない。

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