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第六章 恋のはじまりと揺れる未来21

***  姉ちゃんが特別講義してからというもの、俺はなんとか落ち着きを取り戻し、宿題に集中することができた。講義を教わるまでは、陽太のことが気になって仕方なかったのに、おでこコツンという近距離の方法を覚えただけで、不思議と満たされてしまった。それは陽太も同じようで、俺と手をつなぐことなく宿題に果敢に取り組んでいる。 「よし! 日も傾いてきたし、そろそろ帰らなきゃだな」  陽太がお父さんに言われたこと――家の人が不在のときは、俺とふたりきりでいちゃダメという取り決めもあって、こうして並んで宿題ができるのは、共働きの両親がいなくても、姉ちゃんがいるときだけ。それか図書館のみだった。 「陽太、復習を兼ねて最後におでこコツンしてもいい?」 「ああ、そうだな。復習は大事だ」  陽太と額を合わせた瞬間、胸の奥がじわりと熱くなった。鼻先がかすかに触れそうで、呼吸が混じる。唇には届かない――まさに寸止め。 (……なのに、どうしてこんなに甘いんだろう。触れたいのに触れられないほうが、余計に苦しい)  おでこから伝わる陽太の体温が、まっすぐに心臓を震わせる。息をするたびに、欲望が押し寄せてきた。ほんの数センチ、前に進めば届くのに。 「悠真……これなら怖くないし大丈夫だろ?」  額を合わせたまま囁かれる声はすごく優しくて、余計に焦がされた。 「……陽太は平気なの?」 「あぁ。苦しくない。むしろ、すごく安心する。しかもフェロモンの微調整だってバッチリだ」  満足そうに笑う陽太を見て、胸がちくりと痛む。陽太はこれで満たされてる。俺のことを思い、ルールを守ってちゃんと喜んでくれている。 「ありがとな、悠真。俺こうしてれば、ちゃんと調整できる気がする。これ、続けていこうぜ」  陽太は、親指で“ぎゅっ”と合図をくれたので、俺も同じように握り返した。 (だけど俺は、これだけじゃ足りない――)  本当は、唇に触れたかった。夢の続きみたいに、抱きしめられたかった。おでこコツンは確かに甘い。けれど、その寸止めの甘さがかえって俺の心を苦しくさせる。  欲しいのは、もっと深いぬくもり。胸の奥に巣食った熱は、おでこだけじゃ冷めてくれなかった。  手を握り返しながら、心の中では必死に抑えていた。自分だけが欲張りなのかと思うと、言えない気持ちが重くなる。 (もしかして俺って、ワガママなのかな。でも、どうしても……)  陽太を困らせたくない。フェロモンのことだって、彼はアルファとして気をつけなきゃいけないのに。  自分の気持ちを押し込めようとした瞬間、頭の中に姉ちゃんの顔が浮かんできた。 (……姉ちゃんだったら、なにかわかるのかな)  姉ちゃんは、恋愛についてあんなに詳しく教えてくれた。きっとアルファの彼氏と付き合ったことのある自身の恋愛経験が、そうさせているのだろう。  もし相談したら、このどうしようもない「足りなさ」に名前をつけてくれるんじゃないか――そんな気がしてしまった。 ***  昼間に陽太と一緒に宿題をこなしたので、夜はリビングのソファに腰を下ろし、テレビを眺めるふりをしていた。  けれど頭の中に流れているのは、陽太にしてもらった“おでこコツン”ばかり。甘さで胸がいっぱいになるはずなのに、逆に足りなくて、じっとしていられない。まるで熱に浮かされたみたいに、何度もその瞬間を思い返してしまう。  隣で雑誌をめくっていた姉ちゃんが、ちらりと俺を見た。 「なに、そんな難しい顔して。宿題のこと?」 「……違う」  思わず否定して、それから言葉に詰まる。姉ちゃんは雑誌を閉じて、俺の方へ向き直った。 「ふぅん。じゃあ、陽太くんのことでしょ?」  図星を指すセリフに、心臓がびくっと跳ねた。 「な、なんで」 「わかりやすいんだもん。さっき部屋であんなに“甘酸っぱい実技”をやってたんだから」 「……っ!」  耳まで熱くなるのを自覚しながら、顔を隠すように俯いた。言葉を発することのできない俺を急かさずに、姉ちゃんは黙ったまま見つめる。しばらく沈黙が続いたあと、ぽつりと口を開いた。 「帰り際におでこコツン、陽太にしてもらった」 「よかったじゃん」 「でも……それだけで、陽太は満足そうにしてたんだ。俺はもっと……触れたいって思ったのに」  やっとの思いで絞り出すと、姉ちゃんの表情が一瞬だけ真剣になった。 「悠真としては、物足りなかったんだ?」 「うん」  正直に答えると、姉ちゃんは小さくため息をついて苦笑した。 「そうだね。わかるよ、悠真のその気持ち」 「えっ?」  姉ちゃんは、視線を宙に泳がせながら言った。 「前に言ったことあったよね。アルファの彼氏がいたこと。彼はすごく優しくて、私を大事にしてくれた。でもお互いに気を遣いすぎて、最後は“これ以上踏み込めない”って壁にぶつかったんだ」  姉ちゃんの声には、少しだけ懐かしさと寂しさが混じっていた。 「彼とキスしたいって思っても、なかなか言えなかった。甘えたいのに、抑えてばっかりで。気づいたら、隣にいるのに遠い人になってたんだよね」  俺は息を呑む。まさに今、感じていることと重なって。 「だから悠真が物足りないって感じるのは、悪いことじゃないんだよ。むしろ大事な気持ち。だってそれって、相手を求めてる証拠でしょ」  姉ちゃんは、すごく優しく笑った。 「でもね、その気持ちをそのままぶつけるんじゃなくて、“どうすればふたりとも安心して甘くなれるか”を考えるの。今日教えたルール、覚えてる?」 「合図とか、距離とか」 「そう。それを守りながら、ちゃんと“欲しい”って伝えてみな。陽太くんはきっと、悠真のことを受け止めてくれると思うよ」  胸の奥がじんわり温かくなる。 (……俺、陽太に言っていいんだ。物足りないって、もっと近づきたいって)  胸の奥がじんわり温かくなり、次に会ったときは必ず――そう伝えようと心に決めた。

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