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第1話

「は……え……ここ、どこ……?」 日頃からの残業でクタクタになりながら、いつも通り帰路についていた山田は、ふと気づくと鬱蒼とした森の中に立っていた。 街灯の並ぶ市街地を歩いていたはずだ。それがどうして、こんな人の気配すらない森の中に迷い込むことがあるだろうか。 疲れた頭をフル回転させ、状況を整理しようとする。 「……いや、さっぱりわからん」 考えるより動こう。そう結論づけた山田は、重い足を前へと運び出した。 ⸻ 「お腹すいた……。ベッドで寝たい……」 歩き始めてどれほど経っただろうか。 時間の感覚が曖昧なのは、腕時計が止まり、スマホも電源が入らない状態になっていたせいだ。 山田の体感では2〜3時間は彷徨っている気がする。 バッグの中にあった飲みかけのペットボトルの水も残り少ない。 眠気はピーク。シャワーも浴びてないし、当然、食事もしていない。 ――なんでこんなことになったんだろう。 明日、いや、もしかしたら今日の仕事はどうなるのか。 不安が頭の中を占める中、前方に何か大きな影が見えた。 「……人?」 それが人影だと気づいた瞬間、山田は心底ホッとし、思わず駆け寄った。 しかし、その直後、何か違和感を覚える。 その人物は、地面にうつ伏せに倒れた誰かに跨がり、顔を近づけて何かをしていたのだ。 不穏な空気を感じ、足を止める。さらに近づいて見てみると、倒れているのは黒髪の人間で、 跨っている男はその首元に顔を埋めていた。 ――これは……まずい。 山田はそっと踵を返そうとした。だが、遅かった。 その男がゆっくりと顔を上げ、山田の方を見たのだ。 翡翠のように透き通る緑色の瞳が、こちらを真っ直ぐに捉える。 状況が違えば「綺麗だ」と思ったかもしれない。だが今は、それどころではない。 男はにっこりと笑った。 「あれぇ〜? そこで何してるの?」 口元には赤黒い――おそらく血だろう――液体がべっとりと付いていた。 異様な雰囲気が、さらに強くなる。 男は立ち上がり、山田へと歩み寄ってきた。 「どこから迷い込んできたのかな〜?」 距離を詰めながらも、男は終始にこやかだ。 その態度が逆に、恐怖を掻き立てる。 山田は自然と後ずさりしていた。 「あ、あの……その人、どうなってるんですか……?」 恐る恐る尋ねると、男は興味なさげに倒れている人間に目を向けた。 「ああ、こいつ? 屋敷から逃げ出したからさ。だから追いかけて、お仕置きしたの」 「お、お仕置きって……?」 「それ、聞いちゃう〜?」 くすくすと笑いながら、男は答える。 「血を吸って、殺したんだよ。オレ、吸血鬼だから」 そう言って、口を三日月状に吊り上げ、鋭い八重歯を見せてきた。 「ていうか、オレばっか話してるじゃん。今度はキミのこと、聞かせてよ」 男はさらに近づいてくる。 もう、手を伸ばせば触れられる距離だ。 山田はそれ以上後ろに下がれず、身体が恐怖で固まっていた。 「なんでこの森にいるの?」 「ど、どうしてって……気づいたらここにいました」 「ふぅん、面白いねぇ。この森って、怖い噂があるから、普通の人は近づかないんだけど」 「……怖い噂って、なんですか?」 反射的に聞き返してしまった。 「この森には人殺しの吸血鬼がいて、迷い込んだら最後、血を吸われて殺されるって噂。……ま、オレらのことだけどね!」 男は自分の腹を抱えて大声で笑い出した。 もはや、山田の全身から冷や汗が流れ落ちている。 ――逃げたい。今すぐにでも。 だが、ここで下手に刺激したら何をされるかわからない。 とにかく穏便にこの場を離れる方法を……。 「その……えっと……あの……」 「なぁ〜に?」 ダメだ。何も思いつかない……! 山田が本気で走って逃げようかと覚悟を決めかけたその時―― 「おいキララ! 勝手に一人で行動するなって、何度言えばわかる!」 背後から、別の男の声が聞こえてきた。 「え〜、だってこいつ捕まえたからいいじゃん〜。ちゃんとお仕置きも済ませたし?」 「それとこれとは別だ。 いざという時、一人だと困るだろうが」 声の主が近づいてくる。 山田が恐る恐る視線を向けると、長い黒髪をひとつに束ねた長身の男が歩いてきていた。 彼と目が合う。 「キララ、その人間はどうした?」 「オレもよくわかんないんだよね〜。 どうやらこの森に迷い込んだらしいけど」 長身の男――レインと呼ばれたらしい彼は、山田をじっと見つめる。 「君、見慣れない格好をしているな。名は? どこから来た?」 「えっと……山田一といいます。住んでいる場所は、〇〇県〇〇市ってところで……」 警戒しながらも、山田は正直に答える。 「〇〇県〇〇市……聞いたことがないな。それに、『山田』という名前も珍しい」 レインは山田を、さらにまじまじと見た。 「君……ここの人間ではないな。正確には、この“世界”の人間でもない」 「え……?」 言っている意味が理解できず、山田は唖然とする。 「レイン、それどういうこと?」 目の前の男もといキララが代わりに尋ねてくれた。 「キララは知らないかもしれないが、時折、異なる世界から人間が飛ばされてくる事例があるらしい。 まだ報告は少ないが、風の噂程度には聞く話だ」 「ふーん……全然知らなかった〜」 「まあな、実際に見た者は少ない」 レインは山田をじっと見据えた。 「ヤマダ、と言ったな。君、この国の名前を言えるか?」 「いや……ここ日本…ですよね?」 山田はレインの言葉を信じられず、不安と混乱が入り混じったまま答える。 レインは短く「なるほど」と言い、キララの方へ視線を移した。 「キララ、こいつを新たな“清掃係”に任命する」 「ふーん、まぁ面白くなりそうだし異論はないよ」 山田の意思を無視して話がどんどん進んでいくのを山田はただ呆然と聞いていた。 「そうと決まれば、早速私たちの屋敷に戻ろう」 レインの人差し指が、どういう原理かはわからないが、紫色に光る。 「……あの、急にそんな勝手な話を進められると困ります…! それに俺、仕事に行かなきゃ会社に怒られ――」 「――あ〜〜、ちなみに」 必死に反論しようとした山田だったが、キララの言葉に遮られる。 「ヤマダ君だっけ? ここはキミが言ってた“日本”って国じゃないよ。 それに、オレの知ってる限り周辺国にもそんな名前の国は存在しない」 「……は?」 キララはニヤリと不気味に笑う。 山田はその言葉が信じられず、ただ呆然とする。 「つまり、レインが言ってたように、キミはオレたちとは“別の世界”からやって来た人間ってこと」 「それって……どういうことですか……!?」 山田は必死に状況を理解しようと、恐怖すら忘れてキララに詰め寄る。 だが、キララが何かを言うより先に、山田の全身がふわりと浮かぶ感覚に襲われた。 その浮遊感が、レインが指を光らせたことによるものだと気づいたのは―― 次の瞬間、視界が真っ白になり、気がついたときには、森ではなく、目の前に巨大な屋敷がそびえ立つ開けた場所に立っていた時だった。 :

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