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第24話 君とは付き合いたくない(4)

(…久しぶりに抱かれてしまった…)  光輝は風呂場の前で先ほどのことを思い出していた。まだ頭が多幸感でふわふわする。 (う…嬉しい…)  光輝は火照る頬を冷ますように両手で包んだ。  奏汰の手は相変わらず優しかった。指も掌も唇も柔らかくて気持ちが良かった。肌と肌が合わさった時の融解していく感覚を奏汰に初めて抱かれた時ぶりに感じたような気がする。  奏汰との性行為は、自分が主導しても気持ちは良かったのだが、精神的にも肉体的にも余裕がなくて深く味わっている余裕がなかった。  何も考えずにただ与えられ続けているのは心地が良かった。けれどそれが奏汰にあのセリフを言わせたのかもしれない。 『根っからのネコちゃんだなあ』  光輝は奏汰の言葉を思い出して暗澹たる気持ちになる。あれはどういう意図だったのだろう。これまで光輝は頑なに奏汰に抱かれるのを拒んで彼を抱くことを頑張っていた。  確かに上手くはなかっただろうし、奏汰が望むようなことを完璧にできていたとは思わない。その証拠に奏汰が達することはほとんどなかった。  光輝には奏汰の放った言葉はそれを裏付け、まるっきりダメだと言っているような気がしてならない。  ポジションに関しては本当にどちらがいいとかはなかったのだ。どっちもできるようになった方が彼氏ができやすいんじゃないか…と打算的なことを考えていたくらいで、とくにこだわりはなかった。  それでも奏汰に抱いてもらった時の体験は、向こうにその気がなかったとしても甘美な記憶として光輝の中にへばりついていた。  だから、本当はもう一度彼に優しくされたくて仕方なかったのも事実だ。それが見透かされてた…?光輝は首を傾げた。    それはそうと、風呂場の前に無造作に置かれた白いバスケットには奏汰が今日着ていた綿の白いシャツが脱ぎ捨てられていた。光輝はごくっと生唾を飲み込んだ。別に匂いフェチというわけではないのだが、光輝は好きな人の匂いが好きだ。嗅いでいると安心する。特に奏汰はいつも香水をつけているので良い匂いがする。  ちらっと奏汰を確認するとベッドとローテーブルの間に挟まってスマホを眺めながら電子タバコを吸っている。ワンルームの奏汰の部屋は、玄関からメインルームの部屋までの廊下の途中に浴室とトイレがあるが視覚を遮るドアはない。脱衣所もないので廊下で脱ぎ着をすることになる。  光輝は奏汰がこちらを見ていないのを確認するとサッとバスケットからシャツを抜き出して、首周りの辺りを鼻に近づけてみた。香水のシトラスのような香りと奏汰の汗の匂いが混じって甘いような少ししょっぱいような、ふわふわした匂いがした。 (いい匂い…)  光輝は顔をうずめるようにシャツを抱きしめた。これ家に持ち帰れないかな…とか考えていると、 「何してんの」  呆れたような声が真横でした。  驚いて顔を上げるといつの間にか奏汰が若干引き攣った顔で光輝を見ていた。 「………!?」  「俺も入りたいから早くシャワー浴びちゃってよ…」  と言って隣のトイレに入ってしまった。用を足す音を聞きながら光輝は固まった。  顔がカッと熱くなる。全身の毛穴が開いて汗が溢れ出るような心地がした。光輝は奏汰が出てくる前に急いで浴室に飛び込んだ。 「すみません、変なことして……」  光輝は床に座って奏汰に謝った。 「別にいいよ…俺よりマシだよ…」  奏汰は先ほどと変わらず、ベッドとローテーブルの隙間に座りながら苦々しい顔で呟いた。 「何がですか?」  しかし、光輝は奏汰が何を比較しているのか全く分からなかった。ゆえに、とぼけたつもりは毛頭なかったのだが、奏汰は僅かに苛立ちを含んだ声で言う。 「え、わざと言ってる?スルーしてくれてるつもり?それとも君の理想と違って都合が悪い?」  光輝は混乱した。一体、何のことを指しているのだろうか。光輝は頭をフル回転させ、ここ最近の記憶を思い巡らし、この前の夜のことに思い至った。奏汰が初めて後ろだけで達してくれた日。 「え?それって奏汰さんがいかがわしい隠語とか叫んでたこと言ってます?」  奏汰はあの日、何やら卑猥な単語を叫んでいたことを妙に恥じていたようだが、光輝はそんなことより、いつもイキにくい奏汰がどうにかこうにか、ではなくて自分と繋がった部分でイッてくれたことがただただ嬉しかった。やっと心も繋がれたような気持ちがしたのだ。  それに、あの時は奏汰が何も聞いてくれるなというオーラを醸し出していたものだから、結局そのことは言及せず、いつの間にか忘れていた。 「わーー!なんで今度ははっきり言うんだよ!」  奏汰は顔を赤くして頭を抱えた。 「すみません…俺ほんとに気にしてなくて忘れかけてました…」  へへ、と光輝は笑ったのだが、奏汰はなんだか切羽つまったように詰めてくる。 「なんで!?あの時めちゃくちゃ引いてたじゃん!」 「……」  光輝は一瞬その様子に気圧されて黙る。  どうにも奏汰はずっと気にしていたようだ。だから今日は抱かれてくれなかったのかもしれない。その真意はともかく、光輝は再度否定する。 「いや別にちょっとびっくりしただけですってば…」 「もうなかったことにしたいんでしょ、だから忘れてたんでしょ」 「はい!?」  なんだか言葉が全く届いていない気がする。 「恥ずかしいし情けないし惨めだ…」  奏汰は突然自己完結をすると、急に落ち込みだした。光輝はわけが分からず再び混乱した。なぜこのタイミングで落ち込みだすのか全く分からない。 「恥ずかしくてもいいじゃないですか、こ、恋人なんだから!」  光輝はやや躊躇って、恋人という言葉を使ってみた。けれど奏汰には響かなかったらしい。 「……………」  奏汰は前の夜のようにタオルケットを被って籠城することはなかったが、心を閉ざしてしまったようだ。暗い顔で一点を見つめている。 「俺だってさっきの見られて恥ずかしかったし、もっと恥ずかしいことも奏汰さんに言えますよ!初体験の時、スカート履かされた話します!?」  一体何を口走っているんだ、と思いつつ光輝はどうにかして奏汰に元気になってもらいたくて思いつくままに喋った。 「な、何それ…」  奏汰がやや引いた声を出すので、光輝も少しだけ我に還り冷静になる。 「と、とにかく、そんなことで俺は奏汰さんに幻滅なんかしないです。奏汰さんがそんな気持ちにならないように俺もっと頑張るから」  光輝は奏汰にすり寄ると奏汰の頭を抱えるように抱き着いた。こんなことで奏汰を手放してたまるものか、と光輝は思う。 「君が頑張れば頑張るほど惨めな気持ちになってくる…」    しかし、光輝の鼓舞も虚しく奏汰はさらにマイナスな言葉を吐いた。 「えっ?なんでですか?」  光輝の心臓は痛みを感じるほどドキンと脈打った。なんだか不穏な空気になってしまっている。このままやっぱり別れたい、と言われてもおかしくないような雰囲気だ。それだけは嫌だ。ここまで来たのにそんな結果は絶対に嫌だ。嫌だ、振られたくない。 「だって君の期待に応えられないもの…。君がいくら頑張っても俺は君の理想とは程遠いだろうし、君が努力してくれてるのに、なかなか気持ち良くならないし…大体君だって抱かれたいタイプじゃん…」    奏汰は、相手の期待通りに振る舞えないのが気持ち悪いのだ。頑張ってはみたけれど体は正直でなかなか思うようにいかない。妥協をしてくれない。  多分、自分が満足していないのだから、光輝だって満たされていないだろうと思う。光輝はずっと自分を満足させたくて努力しているのだから。   けれど光輝ではもの足りないと思ってしまう。光輝には全て曝け出せない。だから光輝も満たされない。それに光輝は意固地になっているだけで、本当は自分などを抱きたいわけじゃないだろう。  こんなのはもう八方塞がりだ。こんな傲慢でいいのか、自分を好いてくれている子が報われなくていいのか。時間を無駄に使わせているのではないか。  ずっと奏汰をモヤモヤさせていたものが堰を切って溢れてしまい、奏汰は泣きたい気分になった。   「そんな…奏汰さんは今のままで充分です。今の奏汰さんが好きです。俺のこともそんな一ヵ月そこらで好きになってもらえるなんて思ってないです。奏汰さんがまだ俺に壁作ってることくらいさすがに分かってますよ」 「そうなの…?」 「いつか一番好きになってもらうから大丈夫って言ってるじゃないですか。前から思ってたんですけど、人のこと勝手に分析して勝手に決めつけないでくださいよ。俺が言ったことの方を信じて欲しいです」  光輝は奏汰の手を取った。奏汰の手は大きくて暖かい。この手をずっと握っていたいと思った。 「………」  奏汰は抵抗しなかったが困ったように眉を下げて光輝を見た。 「そんな急いで結果出さなくてもいいじゃないですか……いつも百点じゃなくていいですよ。合計百点取れたらいいんじゃないですか」 「君は真っ直ぐすぎる……」  奏汰は脱力したように呟いた。そしてしばらくじっと俯いていた。 「えっ」  奏汰の様子を眺めていた光輝は慌てたような声を出した。奏汰は目と鼻を赤くして涙ぐんでいた。 「泣いてます…?」  光輝は涙を浮かべて俯いている奏汰をじっと見つめた。自分より年上の男が泣くところを間近で見たのは初めてだった。なんだか不思議な高揚感が沸き上がってくる。庇護欲と嗜虐心が同時に沸き起こるような気持ちだった。 「なに…?」 「…ちょっとSの人の気持ち分かったかも」 「え?」 「奏汰さんが泣いてるの見て可愛い、いじめたいって思っちゃいました…」 「そう……」  奏汰は少しだけ笑ったような気がした。 「でも奏汰さんが悲しくて泣いてるのは嫌なので、慰めますね。よしよし」  光輝は奏汰の眼鏡をそっと外すと、奏汰の頭を胸の中に収めるように抱きしめて優しく撫でた。  パーマのかかったふわふわした髪を梳くように撫でた。何度も何度も。 「………」  奏汰は心地よくて目を閉じた。  翌日、土曜の午前中特有の緩んだ空気の中、駅までのやや長い道を二人は歩いた。今日別れたら、テスト期間が明けるまで会わないことになっている。  午前中とはいえ既にムッとするほどに暑い。そのせいか二人は言葉少なに歩いていた。  駅まで着くと、改札の前で 「それじゃあ試験のあとにね」  と奏汰は笑った。    なんだか昨夜は何も起きなかったかのようだ。奏汰はいつもそうだ。何かあっても、次の日にはなんでもなかったかのように振る舞う。少しだけ距離が縮んだように思えた光輝は僅かに寂しさを感じた。しかし、いつものことだと切り替えた。  奏汰の住んでいる町は大学から二駅離れた住宅街だ。改札を通るとすぐホームといった小さい駅だ。周りにもちょっとドラッグストアやコンビニがある程度で閑散としている。土曜日の午前というのもあいまって人もほとんどいなかった。そのせいなのか、奏汰は光輝を改札の前でふいに抱きしめた。 「っ……」  人の目のある場所で手を繋ぐこともちょっと触れることも、とにかく親密に見える行為を拒む奏汰がこんなふうにハグをしてくることは初めてだった。  今日の奏汰は何の香水もつけていなかった。奏汰本来の匂いがした。 「またね」  光輝は白昼夢でも見ていたのではないかと思ったまま駅のホームで電車を待っていた。    奏汰は結局カイの連絡先を消せないでいた。カイとはもう二ヶ月近くあっていない。カイはこちらが連絡しなければ決して連絡してこない。それもセックスの誘い以外は返事もくれない。 「…………」 『会いたい』  と奏汰は送信した。

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