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第28話 奏汰の迷走(3)

 翌日、奏汰が目を覚ますと光輝が狭い部屋の中を往来して何かをしていた。寝ぼけ眼でその様子を見ていると家事をしてくれているらしい。時計を見ると朝の八時を回ったところだった。かなり爆睡してしまったようだ。  光輝がぱたぱたと往復をして洗い終わった洗濯物をベランダに運んでいる。カーテンを開けると慣れた手つきでピンチヒッターに小物をかけて、シャツをハンガーにかけていく。首回りが伸びないようにと裾からハンガーをかける術は光輝が教えてくれた。  今日もカンカン照りでよく乾きそうだった。 「コウくん」  奏汰はむくりと体を起こして光輝を呼び止めた。 「良かった…帰らないでくれたんだね」  帰るチャンスはいくらでもあっただろうに、居残って家事までこなしてくれたのは、まだ情が残っていると考えていいのだろうか?と奏汰は少しだけホッとして光輝を見つめた。  光輝はそれには答えずに、洗濯物を干す手を止めて奏汰の額に手を当てにきた。 「熱、下がってますね。とりあえず水分補給してください」 「うん…」  光輝は冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出すと奏汰に渡した。 「あと、冷蔵庫の肉とか消費期限過ぎてるもの処分しちゃいましたよ。今日燃えるゴミの日だったんで」  最後に会った日に光輝が色々と買ってくれたものを奏汰は無駄にしてしまった。元々自炊は好きでも得意でもないが、あの日以来、料理をする気など起きなかったのだ。 「ごめんね…」 「別に…」  光輝はそっけなく答えると洗濯を干しに戻ってしまった。奏汰はベッドに腰かけてその様子を見ていた。白いタオルやシャツが揺れている。その白さに照らされて光輝がきらきら光って見えた。奏汰は繊細なガラス細工を眺めているような気持ちになって目を細めた。 「コウくん」  と奏汰は呼びかけた。光輝は奏汰の方に顔を向ける。逆光になって顔が陰る。その陰影が綺麗だった。 「好きだよ。君のこと、好きになった」 「………」  光輝は何も答えなかった。 「俺とちゃんと……これからも付き合ってくれませんか」 「…………」    それでも光輝は何も答えずに洗濯物を干し続けた。奏汰もそれ以上は何も言わずに光輝のことを見ていた。 「じゃあ、俺帰る」  洗濯物が済んで、光輝がリュックを掴んで帰り支度を始めると、奏汰はベッドに腰かけたままおもむろに話し出した。 「カイくんとはちゃんと別れたよ」  光輝の動きが止まる。 「あの日は…カイくんに二度と連絡しない、もう会わないって言ったんだよ。そのために会ってたんだ…」 「そんで、最後の記念にヤってたんですか?」  光輝は皮肉な笑みを浮かべて言い放った。 「そんなわけないよ!君と付き合ってる間、カイくんには連絡一つしてなかった!」  奏汰は慌てて否定した。 「それで久しぶりに会って盛り上がっちゃった的な?」  光輝は半笑いで奏汰を見つめ、冷ややかな態度を崩さなかった。 「違うよ!何もしてない!話をしてただけだよ」 「何も?キスしてたじゃん」  やはりキスしていたのを見られていたのか…と奏汰は弱りきった表情をした。 「それは、あれは…挨拶みたいなものだったんだよ」 「はぁ!?欧米かよ!?」 「昔そんなギャグ言ってる人…」 「うるせぇな!そもそもセフレと会ってなんにもしないとかある!?どう潔白を信じろって言うの?もう会ってる時点でアウトだろ」 「それは…本当にごめんなさい…」  光輝の言っていることは全て正しい。何も言い返せないし弁明のしようがないように思えた。 「会うにしても、なんで俺の前に会うんだよ!せめて日にちズラせよ馬鹿っ」  その通り過ぎて奏汰はぐうの音も出ない。けれど怒ってもらえるだけマシだ。無視され続けるよりずっといい。  奏汰は項垂れたまま光輝の言い分を聞いていたのだが、そのしおらしい姿勢が余計に光輝を苛つかせた。  傷ついたような姿を見せないで欲しい。傷ついたのはこっちだと。 「大体、連絡先消して欲しいって言ったじゃないですか!何で会ってんの?別れるならもう連絡しなきゃいいだけじゃん。だってその人は奏汰さんがアクション起こさないと何もしてこないんでしょ?奏汰さんが会いたいから連絡したんでしょ!?」  光輝は捲し立てて息切れしたのか、怒って興奮しているのかは分からないが、荒く呼吸をしていた。正直、光輝が怒っている姿は怖かった。怒られるのは怖い。普段デレデレしていて従順で可愛らしい面しか見てなかったので余計に怖い。 「カイくんは俺にとってほんとに大事な人だったんだよ」  奏汰は項垂れながらもぽつりぽつりと言葉を紡いだ。光輝に分かって欲しかった。光輝に理解をして欲しかった。自分がどれほどカイに縋っていて、どんな思いで別れ、光輝を選んだのか。知って欲しかった。 「そんな簡単に拠り所を消すなんてできなかった…君だってカイくんのことは好きなままでいいって言ってたじゃない。俺だって、それは悪いと思ったから付き合うのやめようって言ったはずだよ……でも君が」  と言いかけたところで奏汰はハッとした。光輝が泣きそうな顔をしている。 「ご、ごめん…俺が悪いのに…」  奏汰は慌てて立ち上がって、光輝の背中をさするように触れた。 (何やってるんだ俺は…この子を責めるようなことを…)   「そうだけど…確かにその人のこと好きなままでいいって言ったけど…でも会うのは、キスしてるとこ見られるのは…ダメじゃん…」  光輝は涙を必死に抑えるような声で絞り出すように言った。 「………」 「ほんとに馬鹿…」  光輝はそう言い捨てるとしばらく黙った。奏汰も何を言っていいか分からず黙ってしまった。と、同時に光輝のことを舐めていたと思い知る。   謝れば、時間を置けば、君が好きだと告白すれば許してもらえるような気がしていた。光輝が衝動的に自分と距離を置くのは今に始まったことじゃない。それに自分は疚しいことはしていないのだ、と思っていた。  好かれてあぐらをかいていたのだと痛感した。 「やっぱり二番とか三番とか無理だった」 「え?」 「一番じゃなきゃ嫌だった」  光輝はどこか遠い目をして独り言のように呟いた。 「ごめんなさい。奏汰さんとはもう無理です。俺も他の人探すから。奏汰さんも俺のこと忘れて。振り回してすみませんでした」  去ろうとする光輝の両腕を奏汰は掴んだ。 「なにそれ!?結局俺のことなんか最初から全然好きじゃないじゃん!君は俺に理想押し付けてただけでしょ!?それで理想通りじゃなかったから幻滅したんでしょ!?」  怒号する奏汰に対して光輝はひどく冷静な瞳で、 「そうだったのかも」  と呟いた。途端に奏汰は全身が冷えていくような感覚に陥った。これは、そうだ、絶望感だ、と思い至る。見放された絶望感だと。  奏汰は手の力が抜けて、光輝のことを放した。 「君は俺のこと好きじゃなかったの?」  奏汰は再び問う。奏汰の眼鏡の奥で瞳が揺れた。 「もうよく分からないです。奏汰さんも罪悪感で俺のこと好きだって思いこんでるんじゃないですか?それかセフレの人切っちゃったから俺しかいないって思ってるだけとか。なんにせよ、俺じゃなきゃ生きていけないとかはないですよ」  だから、さよなら。と告げて光輝は行ってしまった。

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