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 イチョウの若葉が茂っている。公園を囲むビルが暗くなり、白い外灯に内から照らされて、葉の色合いは輝いている。  あたたかい風に包まれて、友也はベンチに座った。お椀型の芝生のたもとだ。  ――男が好きなのか。  フローリングに新聞紙を広げ、父は足の爪を切っていた。ダイニングキッチンからは、母が食器を洗う音がしていた。  父の声は平坦で、母に天気を聞く声音と同じだった。あざけりも非難の色もなかった。それなのに、友也は怖くなった。とつぜん両親が他人のように思え、一八年間すごした家がそらぞらしく思えた。  ――女いるし。  友也は鼻で笑って、そしてその翌日、家を出た。  いま思えば、家出をするべきではなかったのだ。父の言葉を認めたようなものだし、仮に家に帰ってももう、普通を演じることが難しくなる。  友也は寝転がった。若葉がささやくように揺れている。  家出して二ヶ月が経った。声をかけてきた男の家を点々としていた。大学には行っていない。財布がからっぽになった。昨日売り専に応募して、明日が面接だ。ゲイバーみたいな接客は友也にはできないし、ほかのバイトと違って面倒な詮索もされない。性欲を持て余しているから、セックスだって嫌いではない。  うめき声が聞こえた。はじかれたように友也は起き上がり、遊歩道を飛び越えると、灌木の裏に回った。男と目が合った。逃げればよかったと後悔した。スマホは持っていない。どのみち救急車は呼べないし、この街で面倒ごとに関わるべきではないのだ。  男が笑った。ナイフを抜いたように、目はさらに鋭利になった。 「助けてくれよ」  威圧感という表皮には、隠しきれない若い肉が、肌が透け、そのバランスの悪さに、友也はおびえるよりも釘づけになった。  男は石塚と名乗った。同い年だった。肩を貸し、隠れた。公園の奥、遊歩道のつきあたりの、二台ならぶ自販機の後ろだ。座ると、灌木が視界をさえぎった。  石塚は自販機のほうを向いて寝ている。彼の両脚が友也の腰の後ろにあった。足をくじいたと言っていたが、おそらく嘘だ。仕立てのいいスーツがもの悲しかった。友也はあぐらをかいている。自販機のコンプレッサーがときおり鳴った。 「家出か」  起きていたらしい。  友也は爪先を灌木に伸ばし、うなずいた。スニーカーとデニムの裾が、乾いた泥で汚れている。四日前、雨が降った。 「そっちは?」  友也が聞くと、彼は身をよじった。友也はあいだを開けると、けっきょくあぐらをかいて、横を向いた。仰向けになった石塚は、頭の後ろで手を組んだ。袖口に、黒い刺青がのぞく。 「しくった」あくびをし、彼は言った。「手をつけちゃいけねえ金に手を出した。よくある話だ。おまえは?」  石塚が見上げてきた。友也は強がった。  「俺もよくある話だ」 「へー」品定めする顔だ。「てか、喉かわいた」 「金ない」 「コーラ、飲みてえ」 「公園の水でいいだろ」  半身を起こした石塚の息が耳にかかる。 「おまえ、ホモだろ」  ぬるい息が内側に伝って、骨の髄まで石になった。 「この公園で落ち合うのか? ラブホは断られるし、ここですんだろ? それとも野外が好きなのか?」  少なくとも友也は、同類以外と、その手の話はしない。わかり合うことなど、できないのだから。指を軽く握った。体の力を抜いていく。あと二秒だ。あと二秒で、女たらしの男の笑顔をつくろうと決めた。父の前で見せたような、あの、無駄な笑顔。 「手伝え」  覚悟が霧散した。  石塚がベルトをはずす。 「寝たら勃った」  友也は情けなく聞いた。 「でもおまえ」 「俺はいま勃起している。オナニーはつまらんし、女もいない。でもホモはいる」    ボクサーから性器が跳ね上がった。薄明りに、黒く、凛々しかった。 「ぼさっとすんなよ」  伸ばした手が、黒い形をとらえた。ひどく熱い。それほど友也の手は冷たかった。石塚が息をのんだ。やりづらく、友也は彼の股に入って、逆手で受け止めた。固さを確かめるように動かす。陰毛が風に震えている。 「でかいか」  友也はうなずいた。  石塚はスーツから煙草を出し、一本引き抜いた。めくれた口の端に歯がこぼれる。二人は同い年だ。石塚の生意気さが腹立たしく、友也は小指で先端をぬぐった。濡れていた。友也のそこもきつくなった。  石塚は自販機にのけぞると、腰を前に突き出した。 「あ~、最高だわ」  くわえた煙草に火をつけようとする。空振りばかりだ。それに、友也は追い打ちをかけた。石塚の半身がのたうった。友也の鼻は陰毛にくすぐられ、舌には男の苦い味が広がっていく。最悪だ。コイツ、洗ってない。友也が睨み上げると、石塚は「わりぃ」と笑って睨み返した。  火がついた。石塚がさらに腰を突き出して、片手をついた。友也は唇をすぼめると、一度全長を引き出し、ひといきに咥えた。ペニスが奥でもだえる。苦しくて鼻で呼吸すると、煙草の香りが男の味に絡んでいく。体勢も、石塚の大きさも、自分のペニスも苦しかった。その苦しさで喉が狭まり、友也は喘ぐ。唾液で、石塚の味が薄まっていく。彼の脚に力が入った。腰が逃げた。やっぱり怪我はしていない。  舞った煙草を、友也は目撃した。そのあとには、切羽詰まった顔が迫っていた。闇が降りた。かさついたものに、唇を押し潰される。目隠しの手がはなれ、外灯が広がった。キスされたのだと、友也は気づいた。石塚の表情は見えない。  彼は友也の頬に頬をあて、言った。 「入れたい」  腕を握る体温を感じ、友也は頷いた。「ああ」  濡れたペニスが抵抗する入口をこじ開けていく。敏感な亀頭が締まり、火傷したように石塚は歯を食いしばった。亀頭の半分が過ぎると、するりと滑り込んだ。必死に脱力していた友也は、脳天に駆け上がった白い痛みに耐え、思わず力を入れた。 「ハハッ、めっちゃ締まる」  石塚が片尻を叩いた。叩かれた反動で、友也は唾液を落とした。イチョウの幹に両手をついて、うつむいている。 「アナル、初めてだけど最高」石塚は背後から胸を抱きしめた。「これでおまえに胸があったらな~」 「いらない」  言い返すのに、また力が入った。その窄まりが、力強く広げられる。声をあげた友也の背中を、石塚は押し下げた。背中がそりかえり、パーカーがめくれた。石塚は手を入れると、腰を掴んで動かした。 「おまえはおまえだもんな」  窄まりの奥で、快感が火花になる。そこに何があるのか、自分の体なのに、友也は何ひとつ知らない。けれどたしかに、肉体の隅々にいま、火の粉が舞い上がっていた。  ペニスがひやりとした。石塚がしごく。 「野郎にぶち込まれて、おっ勃ててる。それがおまえだ」  ドスケベ、と石塚は吐き捨てた。  反論したくても、できない。膝が笑っている。立っているので精いっぱいだ。友也は集中した。屈服などしたくない。しごかれる気持ちよさに乗って、後ろを絞めつけた。石塚が手をはなした。彼が乱暴に腰を掴み、打ち込んでいく。友也も応えた。唾液を流し、涙目になりながらも、窄まりを押しつけた。火種が大きくなる。 「……逝くぞ」  優しい声だった。  若葉が鳴り響いた。  燃え上がるように、二人は射精した。    ⁂  彼はイチョウを見上げていた。  実家から電車で、新宿にやって来たのだ。なぜこんなに遅くにと、母は心配していた。けれど、もう大学二年生だ。それを言い訳にして、最後に、ちゃんと帰ると約束した。  公園に、ひと気はなかった。    彼は何かを追うように歩いた。暗いビルに見下ろされてお椀型の芝生をおり、ベンチの前で足をとめ、それから灌木の向こうに行った。そしてしばらくとまってから、公園の奥へとゆっくり進んでいった。  光のなかに、男が立っていた。自販機の前で、コーラを飲んでいる。  ――同じ日に会おうぜ。  胸には、男との約束が灯っていた。  了

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