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第1話

私の素敵な人 「何言ってんのか全然わかんない」 「わかる努力をしろよ、お前は」 クリスマスイブ。日本の恋人たちはいちゃつきあい、ラブホテルはがっぽり儲かり、まあとにかく思春期には欠かすことができないこのイベントの日に何故か俺は学校にいた。 「えっちしたい」 「したいならさっさとこの問題終わらせてからにしろ」 俺は英語教師による補講を受けていた。 「だってさ、相手とかいないんだよなー。遊びで抱けるやつってどうなの」 「へえ、驚いた。お前そういうキャラだったっけ」 「そういうキャラだよ、好きな人としかしたくないしさ」 ひゅーとせんせは口笛を吹くと、にやりと笑う。 「ピュアだねえ、りゅうくんは」 「てんちゃん先生が汚れてるだけ」 「まあ俺は好きなやつじゃなくても抱けるね」 あ、なんかこの会話前もしたことある。 「この会話夢の中でしたわ、俺」 天ちゃん、その顔は嘘だと思ってるだろう。 「本当なんだけどな」 蓮田龍之介は渋谷にいた。浮かれたカップルたちに紛れて、一人で。今年はホワイトクリスマスだった。降り始めた雪が、龍之介にさらに追い打ちをかけているようで泣けてくる。 今年の三月高校を卒業し、無事に進学できた龍之介は大学生になって初めてのクリスマスを迎えていた。 「こんなはずじゃ、なかったよな」 メールが入ったのは3分前。そこから龍之介の時間は止まったままだ。 「うち好きな人が別にできた」 今頃、元カノは現カレといちゃついているのだろうか。 上を見られなかった。雪が先ほどよりも勢いを増していた。でもきっと、今が青空でも上を向くことはないのだろう。本当に好きだったのだ。 「結局、することもしてない」 龍之介はハチ公の前を去り、東横線の改札へ向かっていた。おとなしく家に帰り、暖かな部屋で一人、ケーキをつつこうと思う。 なかなか急行が来ないなと電光掲示板をぼやぼやと見ていると、そういえば渋谷から横浜に戻るまでに高校時代通っていた駅があるのを思い出す。 去年のクリスマスは天ちゃん先生の補講だった。今思えば去年のクリスマスより今年のクリスマスの方がよっぽどさみしい。 多分、今日も吹奏楽部の練習に付き合う形で天ちゃんは学校にいるだろう。 丁度、ホームに各停元町中華街行きが止まったところだった。こんな寂しいクリスマスは、天ちゃん先生に会いに行こうか。 「天ちゃん」 案の定英語科準備室にいた天ちゃんは、こっちを見て驚いたような顔をした。 「龍か。ホワイトクリスマスだっていうのに寂しい奴だな」 「そういう先生だって仕事じゃん。ねえ、俺いいもの持ってきたよ」 学校の途中にあるこじんまりとしたケーキ屋さんのいちごショート、のホールケーキ。 「二人でホールケーキ食べるつもりか」 「いいじゃん。先生も寂しいクリスマスなんでしょ? なら俺といた方が楽しくない?」 「まあ、それもそうだな」 素直になった天ちゃんは美味しい紅茶を振舞ってくれて、なんとかホールケーキは完食した。 「あ、もう無理。糖分は当分いらない」 「ダジャレ寒すぎ」 「だって俺今すぐに塩舐めたいくらい口の中甘いよ」 「まあ俺もだけど。でも、美味しかった。誰かとクリスマスにこうやってケーキ食べたのは久しぶりだ」 もう部活も終わる頃だろう、と先生は席を立った。 「じゃあお開きにしてくるからそこで待ってろ」 「え、まだ俺のクリスマスに付き合ってくれるの? 俺もう満足だからこのまま帰ってもいいよ」 「だいの大人が子供に奢られっぱなしは格好悪いし……いいから待ってろ」 はーいお疲れ様、今日は解散。各自楽しいクリスマスを過ごすこと。 天ちゃん先生の声が教室ごしに聞こえる。やがてその手は俺の手をひき、街へ繰り出す。横浜駅はカップルで溢れかえっていた。 「こんな人混みで何するの?」 「ショッピング。今日の自分の格好見てみろ、それじゃあ寒すぎる。マフラーでも買ってやるよ」 カシミヤのやつ。なんだか楽しそうだったのは先生だけじゃなくて俺もだった。俺たち恋人という存在に飢えすぎじゃないですか? それだけじゃないことは流石に分かるけど。 「うん? あれ、いやいや待って。そんな高いのいらないから」 「赤がいいかな。じゃあこれお願いします」 「ちょっと天ちゃんせんせ……」 天ちゃんはパチリとウィンクした。それなりにイケメンの天ちゃんのウィンクはまあまあきまっていて、余計にムカついた。 「ほい、巻いてやる」 くるくると柔らかな素材が首に巻かれる。さっきまで渋谷の街で一人途方に暮れていたのが嘘みたいだ。 「まあ、似合ってるんじゃないか」 「どうも」 「よかった、来たときは泣きそうだったから」 「え、顔に出てた?」 俺は振られたことを話した。先生はふんふんと熱心に聞いた後、ぐはっと豪快に笑った。俺の失恋をよくも笑いものに……! 「怒るなよ。本当に大切な人って、そんな簡単に見つけられるもんじゃないからな。焦りすぎたな」 「俺は大切だと思ってたんですけど」 頬を膨らませると、また笑った。 「龍はまだまだ若いな」 同じくらいの身長、目線。天ちゃんは俺を見ていた。俺も天ちゃんを見ている。 じゃあなんかパッーと食いに行くか!と急に天ちゃんがはしゃいだ。 それが、大一の冬だった。 「天ちゃんきちゃったよ」 「龍……今年も彼女に振られたか?」 「残念ながら振られる彼女もいなかった」 大二のクリスマス、龍之介はまた天ちゃん先生の元を訪れていた。去年もらった赤いカシミヤマフラーを身につけて。 「今年はチョコケーキだよ」 白い箱からホールケーキが顔を出す。 「また去年の悲劇が……」 「去年美味しいって言って食べてたよね」 今年はお礼に何買ってもらおうかなと龍之介はうきうきしていた。 「大学ちゃんと行ってるか」 「もちろん。先生になるために毎日大変だよ」 そう笑う龍之介の顔が眩しい。いつか、龍と同じ職場で働くときも来るのだろうか。 「一昨年のクリスマス、勉強教えてくれたの覚えてる?」 龍の冷たい手が俺の手に触れる。 「ああ、お前補習だったし」 「あの時だよ天ちゃん」 あの時から俺は、天ちゃんに憧れてる。 天ちゃん先生は驚いた顔をして、その後くしゃっと泣きそうな顔をした。 「うん、ありがとう龍」 天ちゃんにとって龍はクリスマスにケーキと、何より欲しい言葉をくれるサンタクロースのような存在だったのかもしれない。 横浜の街は今年も活気付いている。 「今年は本がいいんだよね、詩集」 「龍って本とか読むんだな」 「読む読む。むしろ本読む時間ありすぎて困るくらい」 「勉強は」 してますよ、さっき言ったじゃんと龍が視線をそらす。今年は雪は降らなかった。それでもカップルたちは去年と同じように、お互いの世界に入り込み愛を確認し合っている。 龍はそんな横浜の光景に舌打ちをした。 「そもそもクリスマスってイエスの誕生を喜ぶ神聖なものですよね」 「そうだな」 「まあ俺は毎年天ちゃんと遊ぶの楽しみにしてるからいいけど」 お前、これ俺に彼女できたら全部終わりだからなとゲンコツを作り頭にぐりぐりと力を入れた。えー嫌だな、先生のクリスマスは俺のものなのに。 大型書店にはたくさんの詩集が並んでいた。俺は全くわからなかったが、程なくしてエメラレルド色の森が表紙のものを龍が手に取った。 「これが欲しいです」 スイスの詩人の短編集らしい。 「一冊じゃ心もとないんじゃないか?」 龍はもっと買っていいってこと?と飛び上がらんばかりに喜んだ。バイトをしておらず、お金には苦労しているようだ。それなら友人がやっている店のバイトを紹介しようかと提案したが、学業に専念したいと断られた。いい心がけである。 「天ちゃんこそケーキだけでいいの? 何か悩んでるんじゃないの」 あっと情けない声が出る。龍の顔は見られなかった。彼は今どんな顔をしているのだろう。 「今年は食べるもの買って先生の家に行こうか。デパートのお惣菜を奮発しちゃおう」 龍の手にひかれて、クリスマスがまだ続こうとしていた。 「うわ、汚い」 先生の部屋は散らかり放題で、いかにも一人暮らしといったところだった。 「まあ男一人だとこうなるよな」 「本当に彼女いないみたいで安心した」 なんでそういうこと、言うんだ。彼は買ったばかりの惣菜を机の上に置きマフラーを剥いで意味ありげに笑った。確かに俺は悩んでいた。 「先生気づいてるでしょ」 徐々に龍が近づいて来る。 「悩みって俺のことだよね」 そんな顔するな。 「俺の口の中、まだ甘いよ」 ああ、俺は誘われているのか。 触れるだけのキスをした。龍に舌でこじ開けられて、受け入れる。それからは負けじと夢中になる。やがて龍を押し倒した俺は、息の荒いままワイシャツのボタンを外していく。本能だった。 「何か言うことは?」 龍は目を細めて、とびっきり幸せそうにふふふと笑う。 「天ちゃんこそ、何か言うことは?」 首筋に舌を這わせながら耳元でひとつ呟いた。 その瞬間、龍が俺の体に腕をまわしてきゅっと抱かれた。 「てんちゃん、ごめんね」 何故だか龍之介は懺悔する。 目を覚ますと龍はいなくなっていた。昨日のことを思い出して俺は頭を抱えた。 「好きだ」 に、龍は 「ごめんね」 と答えた。それも泣きながら。それにも関わらず、俺は龍を求めたのだ。 「朝に、聞こうと思ってたのに」 昨日の痕跡は綺麗さっぱり消えている。龍が片付けて行ったのだろう。一度、きちんと話さなければいけない。卒業時にラインを交換したので連絡はつくだろう。しかし蓮田龍之介は見つからなかった。 ブロックでもしていただろうかとリストを見るがどこにもない。アカウントを削除したようだった。龍と仲の良かった奴らに聞けば他の連絡先がわかるだろう。 大三のクリスマス、龍はまたもや天ちゃんに会いに来ていた。 「天ちゃん、今年はふわふわのチーズケーキだよ」 その机は空っぽで、椅子にも誰も座ってないない。吹奏楽部だろう。トランペットの音が場違いに響く。 「おお、龍。今年も彼女できなかったのか」 「できなかったんじゃなくて作らなかったの、天ちゃんのためにね」 「なあ龍に聞かなきゃいけないことがある」 俺は天ちゃん見えるのにね。 「なーに」 箱らチーズケーキを取り出して、お茶の準備もする。もちろん二人分。 「どちらが死んでる?」 天ちゃんの声は全然暗くない。むしろ明日の天気雨? くらいの抑揚のなさだ。 「さあ、俺には天ちゃんが見えるし、天ちゃんには俺が見えるよね」 そもそも大一のクリスマス、デートをドタキャンしたのは龍だ。あの日、何故だか天ちゃんに会わなければいけない気がしたのだ。 それからの記憶が龍にはない。気づけば次の年も天ちゃんに会いに行っていたし、今年だって。 さっきから龍の顔が見にくい。ぼやぼやと白い何かに覆われている。 「龍、俺は来年、この学校からいなくなるよ」 あの日、帰ってきたメールには信じられないことが書かれていた。 「先生知らなかったの?龍は今行方不明。去年のクリスマスにいなくなったらしい」 彼は今にも泣きそうな顔をしている。 「好きだった」 そう呟いたのはどちらだろう。俺は抱きしめるばかりで、龍の流す涙は温かい。これで、どうして死んでいるなんて言えるんだろう。 「ねえ、えっちしたい」 「ここ教室だぞ」 「教室じゃなかったらしてもいいんだ?」 龍はさっきまでの涙が嘘だったみたいに、それでも目を赤く腫らしたまま意地悪く微笑んだ。 「そういえばせんせは好きじゃなくても抱けるんだっけ?」 「好きだよ」 「信用できない」 やっぱり龍は冷たい。思えば過ごしたのは少しの時間だった。それでも嘘じゃない。少しの間だけでもお前の隣にいた彼女が泣けるほど羨ましい。 一度目は立場が二人を分け、二度目はどうにもならない距離ができた。 もう龍の顔はよく見えない。かすかな温もりと少しだけ触れる唇。 「死んじゃうくらい、好きだった」 さようなら、私の素敵な人。

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