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 荒空(あくう)は美しかった。  行灯(あんどん)が淡く照らし、まるで深い谷に咲くイワカガミのようであった。    同じく照らされた老翁は、油断ない眼を白眉からのぞかせている。  里の長、堂寿(どうじゅ)である。    二人は向かい合って座っていた。 「なぜ寺が?」  荒空の問いに、堂寿は眼を細めた。 「公儀による隠れ里併合のおり、我々は寺の計らいでこの里を隠蔽し、維持できたのだ。そのときの恩義がある」  荒空は若く、知らないことも多かった。  堂寿の命は、とある侍の暗殺であった。  詳しく問いただす野暮なことはしなかった。傲慢な侍に元より好感などなく、そんな奴を討てるのだから、いきさつなどどうでもよかった。  妖しく笑った荒空は、会釈をすると、花びらを散らすように飛び去った。  忍びの里を出て、山を一つ二つ越え、早朝、寺にたどり着いた。  青々とした若楓を飛び出し、荒空は、苔むした参道に立つと、山門へ続く階段を見上げた。  雨に見舞われた侍は、この山あいの寺に泊まったあげく、狼藉を働き、逃げているらしい。名は写之介(しゃのすけ)で、浪人の身であると、侍は住職に名乗っていた。  朝露で薄れているが、血の臭いがしていた。  忍びである荒空は、それを即座に嗅ぎ取っていた。    ――坊主を手にかけたか。      妻も子もない浪人なら、気が触れていてもおかしくない。そう見立てた荒空の心に、暗雲が立ち込めた。それは復讐の心でも、ましてや義侠心でもない。純粋な加虐の心であった。    草木が燃え上がるように打ち震えた。  忍びのいた場所に、楓の葉が数枚、舞い落ちた。  ☾  街道沿いの古い旅籠(はたご)に、若い侍が泊まっていた。  山深い悪路を迷い、走り、ようやく人里に出たため、疲労していた。雑に敷いた布団で、侍は右腕を枕にして眠り、ときおり下半身のけだるさにうめいていた。陰茎が苦しいらしかった。  例の写之介である。    灯心が燃えた。  部屋に行灯が灯り、侍の背よりも小さい影が座敷に映った。    その者は、隅にあった香炉を仕舞うと、(ふところ)の短刀を掴んだ。彼の美しい顔をのぞけば、小ぶりな鼻に詰め物をしている。  小袖に着替えた荒空である。  写之介は背を向けている。  その首筋を睨み、荒空は片足を立てると、短刀と右手が渾然一体と感じられたそのとき、ヤッ、と躍りかかった。が、立ちはだかった壁に、荒空は短刀を懐へ返し、振り返った侍に抱かれていた。  鍛え抜かれた半身がはだけていた。  その熱鉄のような肌に、不機嫌な荒空の頬は潰れていた。  ――畜生。  侍の運の良さにうんざりし、荒空は初めの算段に戻すこととした。  侍の半身に手を滑らせ、肩に置いた。 「若旦那さま」  過熟した柿のような、とろけた笑みである。 「女将の計らいでこうして参りました」 「陰間か」  写之介が頬を撫でると、荒空は恥ずかしげに目線を下げた。行灯で胸と腹の筋が浮き上がり、その下には、野袴に隠れた高楼が見えた。それが裏門に入ると想像すれば、荒空は恐怖で身震いしたくなる。  ――手と口で絶頂させてやる。  腹をすえて、侍の衿を引っ掴んだ。  あの笑みである。 「唇を重ねとうございます」  写之介は剛毅な笑みを切り捨て、真顔になった。  そして雨滴の落ちるように、何度も唇を重ねていく。  侍の手は腰を抱き寄せ、忍びの脚は裾からこぼれ出る。侍の後ろで、蓋のあいた香炉がきらめきながら闇に紛れた。忍びがひそかに転がしたのだ。  どんな強者(つわもの)も快楽に溺れ、刀を握ることはおろか、立ち上がることすらできなくなる、催淫の香炉である。半刻ほど前、寝ている隙に仕掛けたのだが、どうやら侍には効きづらいようだ。  荒々しく、写之介の舌が唇を裂き割った。  荒空の舌を絡め抜くように、その舌は暴れていく。  荒空は必死で食らいつく。しかし舌さばきに翻弄されて、酸気をうまく吸えなくなっていく。鼻は詰め物をしている。やがて身を切るように苦しくなり、薄くなりつつある意識に、接吻がやけに大きく響き、目が回る。  電流がはじけた。    背後に下がった荒空は、衿を合わせた格好で、口をぬぐい、荒い息をつく。つねられたときの痛みが、乳首の底に広がっていった。  写之介はしたり顔で立膝をし、(ふんどし)に浮彫になった陰茎を見せつけながら、命令した。 「脱げ」  奥歯を噛みしめたまま、荒空は器用にほほ笑むと、帯をほどき、小袖をむいて、夜道の霧のように肌を立ち昇らせた。  多くの忍器を隠している。  裏返さぬよう脱ぎ落とし、隅にやった。  感嘆した侍が手招きすると、荒空は寄りかかり、もう一度口づけを交わした。    侍のごつごつとした手が、消え入りそうな肌をかき回し、乳首をはじき、つねり、妖艶に這い動く忍びの体は、あわだってすくみ、そり返った。  写之介はその喉に噛みついて、押し倒した。袖から腕を抜きながら、首筋を舐めて、くだり、喘ぎを頼りに乳首をさがした。荒空が身をよじり、声を漏らす。下をしごいてやりながら、花の蜜を吸うように乳首を含み、噛んだ。    忍びの息は乱れていく。  乳首の(くだ)を通って電流が散り、陰茎が侍の手で震えた。  そして忍びの太ももには、褌ごしの陰茎があたっている。その雄々しさにおびえながらも、己に欲情しているという愉悦が、酒のように満ちて、それを、侍のもたらす電流が焦がし、攪拌(かくはん)させていく。そのくり返しに、忍びは気がおかしくなりかけていた。  起き上がった写之介は、帯をはずし、褌をずらした。行灯に照らされた陰茎が、突き出された。 「舐めろ」  恍惚とした表情で、荒空は頷いた。 「……はい」  触ると熱く、手の内で伊勢海老のように跳ねた。  亀頭の水分を、陰茎の底まで塗り広げ、往復する。  侍が吐息を漏らし、立ち上がった。  舌を出した荒空は、侍の余裕がる笑みを見上げながら、亀頭を咥えた。  舌に、苦みが浸透していく。  清めるように舐めると、侍がびくついた。  尖らせた舌でカリ首を超え、陰茎をくだっていく。鼻をくすぐった陰毛から、男の臭いがむせ返る。     ――侍とて、せんなき男。    愉悦に浸りながら、荒空は舌で弄びながら呑み込んでいく。  突然、陰茎が喉を貫いた。  陰茎が舌を強引に押しのけていた。  嘔吐しそうになり、荒空の眼玉が濡れる。 「先刻までの余裕はどうした」  咥えたまま睨み、荒空は、噛み切りたい血気をこらえた。  ――殺すのは造作もない。  それよりも、培ってきた淫術を愚弄されるのが悔しい。  侍が容赦なく頭を押さえ、腰を動かした。  口を埋め尽くす陰茎が、必死で絡めつく舌を突き破っては、下がり、一転、喉を突き上げる。  息ができず、男の味が充満していく。  荒空の身が腐ったように脱力し、痙攣し、半眼になる。 「負けたか」  ひたいを汗で光らせ、写之介が言った。  その嘲りが荒空の意識を起こした。  酸欠だと気づくや、荒空は頭を引こうとした。が、強引に押さえ込まれ、我を忘れて鼻に力をこめた。詰め物が飛んだ。  甘すぎる香りがなだれ込み、酔いがのしかかった。  ゆるんだ喉を陰茎が貫き、荒空はその反動で後ろに倒れた。  忍びの顔すれすれを、左の手足が踏み抜いた。  抜き放った白刃が喉で止まった。  張り詰めた陰茎に喘ぎながら、写之介の汗は滴り、忍びの頬を濡らす。 「油断したな」    侍の鼻には詰め物がしてある。  催淫の香炉に気づき、対策していたのだ。    荒空の顔は、踏まれた椿のように、だらしなく崩れていた。切っ先になど眼もくれず、侍の肉体をかき抱き、よだれを垂らして告げた。 「――犯して」  獲物を欲し、うずいていた裏門に、男根が(たけ)り狂った。喉を裂くように荒空は鳴き、侍のそれを絞めつけた。そして写之介が食いしばってうめく()に、締まった壁は柔らかくなり、再び欲し、うねる。誘い込まれて侍が突き上げると、荒空の心臓は止まり、もたらされた震動だけが体内に爆ぜていく。  それは写之介にも響き返り、両者はうめき合う。    空っぽになる意識で、互いに思う。  ――お前はどんな日々を歩み、ここで巡り会ったのか。  荒空は写之介を抱き寄せた。  写之介は荒空に口づけをした。  互いの震動は一体となり、ひとつの心臓のごとく高鳴って、そしてその高鳴りに押し出されて言葉もなく、互いに射精した。  そのとき、銀光が並んだ。  左右に乱れて(ふすま)を裂き、現れ出たのは、薙刀を構えた集団である。かつての僧兵の姿で、しかしその眼は暗く、頭を包む白袈裟(しらげさ)は喉の血を付着させている。  死者の臭いだ。  転がる荒空を追って、薙刀が畳を突き刺していく。  新しい酸気を吸って、壁に足がつくなり振り返った荒空は、香炉を投げた。それを打ち払った僧兵に体当たりし、後続はなだれを打って倒れていく。  侍と並び、荒空は聞いた。  写之介の側にも、僧兵が倒れ伏している。 「死骸が動いているのか」 「みな、殺された僧侶だ」 「誰に」 「住職だ。妖に憑かれている」  あの血の臭いに、荒空は合点がいった。    両者が端的にいきさつを述べた。    侍は、己を食おうとした住職を返り討ちにし、藩へ上申するため逃げていたのだ。 「どうする?」  薙刀を受け流して首を斬り、写之介は聞いた。  燃えるような笑みが浮かんでいる。  荒空も同じ笑みを浮かばせた。  ももの裏に、白い液が垂れていく。 「お前との決闘は、このあとだな」  「いや、俺は忙しい」 「逃げんのか!」  荒空が睨み上げると、写之介は鼻で笑った。 「貴様はケツでも洗ってろ」 「な!」  先の痴態を思い出し、荒空は真っ赤になった。 「お前だって、くせえちんぽ洗ってろ」 「そんなに気に入ったか」  侍の腹にかかった白濁の液が、腹の(うね)を流れ、陰毛に絡まっていた。  その下には、荒空よりも立派なものがぶら下がっている。  荒空は虚勢を張った。 「張り形よりかーっ、マシだな」 「そういえば奇怪なお香でケツがゆるんでいたな。なしだと、さらに締まるのか」 「お前、気づいてたのか⁉」  頭を下げてよけ、荒空は肘鉄を僧兵に食らわした。  写之介は鼻の詰め物を取ってみせた。 「匂いが強すぎる。それに、まず眠り薬でも飲ませるべきだったな」 「侍のくせにダメ出ししてんじゃねえ」 「侍にダメ出しされるな」  睨み合っていた両者は、襲いかかってきた敵を同時に討った。  そして構え直し、僧兵たちと相対した。  僧兵は、死人特有の、凍てつくむき出しの殺気を放っている。死人に死ぬ恐怖はないのだ。 「あわれだな」  荒空が吐き捨てると、写之介は真剣に答えた。 「魂を浄土へ帰してやろう」  写之介の眼は、僧兵たちの生きていたころに注がれていた。  その横顔を盗み見て、荒空は頷いた。 「――ああ」  薙刀が乱舞した。  荒空、写之介――。二人は畳を蹴り上げた。    ☾     小春日和に、クスノキの葉が明るくそよぐ。  藩庁の通用門から、侍がひとり歩み出て、空を見上げた。月代(さかやき)をきりりと仕上げ、藩の(かみしも)を着ている。  生真面目な顔がほころんでいた。  写之介である。  彼は上申のあと、藩の討伐隊に加わって物の怪と戦い、勝利した。その褒美として、藩の御抱えに取り立てられたのだ。    城門を出て、橋を渡り、風に誘われるように堀をめぐって散歩する。町人や商人が道を譲りながら過ぎていく。写之介は、松の木の輝きと、堀に映る陽ざしに、目をすがめている。  町娘とぶつかった。  思わず肩を抱いた写之介に、彼女は頬を赤らめると、慌てて頭を下げた。 「申し訳ございません」 「いや……」  写之介はあまりの美しさに声を詰まらせ、言った。 「……よい」    町娘はもう一度頭を下げ、離れていく。  「もし、名は?」   人ごみで、彼女は足を止めて振り向いた。そして、愛らしい間の抜けた面差しを、得意顔に塗り替えて、豪快にかつらを剥ぎ取った。 「鼻の下伸びてんぞ!」  化粧した荒空である。 「き、貴様!」  荒空は、旅籠で僧兵を一掃したのち、姿をくらましたのだ。  荒空は己の胸をつつき、「じゃあな!」と言って、往来に紛れていった。  写之介は溜息をつくと、懐に差し込まれていた書状に気づき、取り出した。  侍の顔に、小春日和にふさわしい笑顔がわき上がってくる。 「受けて立とう」  下手な字の果たし状が、風になびいた。  了

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