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03. 動き出した禁断魔法 1

「まったく……連絡もしないで何をしているのかと思いきや──」 「ご、ごめんなさい……」 空き地から千草を連れて戻った正悟に放った禅の第一声がこれであった。 当然正悟としては素直に謝るしかなく、禅としても謝っている甥に対してこれ以上責めることは出来ないと判断し、一先ずは許すことにしたのだが、千草の様子から察するに正悟のことだ──また揉め事に巻き込まれたか、自ら首を突っ込んだのかそれは置いておくとしても、一つ間違いがあれば正悟自身が傷付くことにもなり兼ねないのだから心配にもなる。 そこまで心配する禅も珍しいのだが最近の正悟を見ていると不安になることも多々あり、彼──と関わり出してから正悟の感情が揺さぶられているように感じていた。 それが良い影響なのかそうでないのか未だに本人すら分からないその感情を禅は憶測で考えるしかなく、先日のことを考えたら一度と決めた以上、禅はそうする以外他にない。 見守るというのは何故これほどまでにもどかしいのか──これが禅の抱える不安の正体でもある。 だがこの時の正悟を見ていると、どことなくに近い表情をしているのが見受けられた。 禅の今抱える不安はそれだけでも拭い去るのに十分であり、少なくともこのまま二人の関係をことに関して言えば、安心して続けられそうだと思うと禅は少しだけ嬉しくなる。 この変化を大切にしていきたいと禅は思いつつも、今は千草の治療を優先するように伝え、正悟もその言葉に応じることにした。 「話は後で聞くことにして、先に治療してあげなさい」 「うん」 事務室を使うように目配せをしながら禅が声をかけると、正悟は頷いてから歩き出しレジカウンターの裏手にある部屋へと入っていく。 二人のやり取りは千草にとっては違和感でしかなく、何故それが違和感なのか初めはよく分からずにいたのだが考えてみれば簡単なことで、先程助けてもらった時の雰囲気と今の正悟がまるで別人のように感じられたからこそ、千草は違和感を覚えたというだけのことであった。 素直な正悟と、他人とは一歩引いて冷たくあしらう正悟とではあまりにも落差があり過ぎて、混乱してくるのはおそらく千草だけではない。 だがそこまでの落差を感じた相手もおそらく千草しか居ないであろう。 他の人間は正悟自身に興味が無い、もしくは避けて通るほど嫌っている人間もいる。 それでも正悟は人を恨んだことがない。 禅もそれが分かっているからこそ姉と同じ運命を辿るのだけは阻止したいと思っている。 姉譲りの性格も、それに拍車をかける正悟の能力(ちから)──それらを阻止するのに千草の存在は大きく影響してくるのではないだろうかと思うと、心配で目は離せないが淡い期待もあるのが事実だ。 しかし今は瞑想に耽る時ではないので二人に目を向けることにした禅は、事務室へと入って行った正悟を横目に千草を一瞥したのだが、そこには入ってきた時同様、怪我をした千草の姿が目に映るだけだった。 「……千草くん、だっけ?」 「えっと……」 「君も行きなさい……あまり無理はしないようにね」 「……ありがとうございます」 状況を察しつつも禅は千草へと声をかけ、正悟に付いて行くよう事務室へ入ることを促すと、千草も礼を述べつつ後を追うことにした。 二人が事務室へと入っていくと店は禅一人の空間となる。 その間も禅は思いを巡らせこれは神の導きによるものなのかと、そんなことばかり考えていた。 ──禅に言われた通り正悟は事務室に入ると、千草を椅子に座らせ治療を始める準備をするために救急箱を棚から取り出して机に置く。 蓋を開けて中身を確認するのだが、治療と言ってもここにあるのは簡易的な応急処置が出来る程度の物しか入っていない。 とはいえ傷自体は然程酷くもないためこれで十分であろうと千草を見ていて正悟は思いつつも、それでも傷跡が残らないかを心配して正悟はつい過剰に反応してしまう。 正悟の癖というか性格とでも言うべきか、他の人間よりも余計に気を回してしまうところが正悟の良いところでもあり悪いところでもあるのかもしれない。 千草もそこに気付いたのか、色々とあり疲弊していても空元気のままそれを装った。 「傷跡、残らないといいんだけど……」 「大丈夫だよ」 「酷くなるようなら病院行けよ?」 「平気だって」 「天ヶ瀬……」 「ん?」 「つらい時は無理……しなくてもいいからな」 その言葉を聞いた瞬間、千草はつい反応してしまう。 信じていた仲間に裏切られ、敵対していた人間に助けられた状況で、酷く混乱しながら今ここに居る。 つらくないと言えば嘘になるその気持ちに正悟は寄り添おうとしていた。 本来であればそんなことをする必要はないのかもしれない。 そもそも正悟のことを敵対視していた人間だ。 余計な気遣いであろうし、ありがた迷惑になる可能性の方が高いのに、それでも正悟は千草のことが気になっている。 そうでなければ最初から助けになど行かない。 正悟は千草に対してどう接したらいいか少し悩んだが、それでも答えが出ずにいたので素直な感情のまま千草に触れることにした。 千草としても正悟の優しさに対してどういう態度で話せばいいか分からず、甘えたい感情と惨めになる感情が入り混じりどうしても素直になれないでいる。 ──その時、頭に優しく触れる手があった。 正悟が頭を軽く撫でてくれていることに気が付いた千草は、驚きを隠せず余計に困惑してしまう。 その困惑が形となり顔を伏せながらも千草は両手で拳を作り太ももの上で強く握ると、今抱える感情をそれで抑えようとしていた。 「……吐き出したくなったら話せよ」 何でこの人はここまでオレに優しくしてくれるのか──そんなことを考えていたら、千草の瞳から涙が溢れて数滴が手の甲へと零れ落ちた。 今の弱りきった精神状態でつらくなるなと言われる方が無理というものであろう。 千草は怒りや憎しみよりも自分の不甲斐なさを突きつけられ、悔しさや悲しみの感情を抱いており、仲間に裏切られる以前に仲間でもないと言われてしまったことで、結局自分が勝手に思い込んで期待して、相手からは七光りだと言われて自分を否定されたことを気にしている。 それを打ち砕いてくれた正悟に優しく声をかけられてしまったら千草は正悟の言葉に甘えるしかない。 ようやく素直になった千草のことを正悟は受け止め包み込んでくれるものだから、一度零れた感情は尽きることなく溢れてきた。 「オレって何なんだろうな……やってること全部空回りで、大切なこと何も見えてなくて勝手に落ち込んで──」 そこまで言うと本格的に千草の感情は留まることを知らず、感情が涙となり言葉を濁して零れ落ちていく。 涙を流す千草を見ていて、正悟は思わず近寄り優しく抱きしめる。 頭を優しく撫でながらも言葉に耳を傾け、千草の心が少しでも楽になるようにとそれを続けていた。 その優しさが今の千草にはありがたかった──不甲斐ないと思い続けてはいたが、それ以上に心の拠り所になるような気がして相槌を打たれれば打たれるほど、感情をさらけ出していっているのが自分でも分かるほどであった。 「オレはただ嬉しかっただけなんだ、慕ってくれたのが。期待に応えようと思って頑張ったけど、ダメだった。結局色んな人に迷惑ばっかりかけて──」 「後悔、してるのか……?」 「分かんねぇ。分かんねぇけど、ホント……情けねぇよ」 「別に情けなくないだろ」 「でも……」 「お前が考えて、決めて、貫いたことを否定して良い奴なんていないんだから」 「オレ、変わりたい……ちゃんと認められるように。自分が誰かを助けられるように──」 「変われるよ。俺は、そう思う」 正悟に言われたことで千草は固く決心する。 ──オレはこの人に追い付きたい、そばに居て隣に居たい。 ここに来る道中で感じた軽く浮遊するような不安定な感情ではなく、心の底から意識した確固たる決意の現れであった。 自信など微塵たりともなかったが、それでも自分を認めてくれてその上で受け止めてくれた正悟にこの時の千草がどれほど救われたか、そしてどれほどの憧れを抱いたのか、正悟がそれを知ることはないが千草はそれでもその思いを一心に動いていく。 千草は今の気持ちを自分の中で整理すると、吹っ切ったような表情を浮かべて正悟に向き合う。 「あー!スッキリした!」 「お前、切り替え早いな」 「先輩に話したお陰で色々吹っ切れた!」 「そう。なら良かった」 「ありがと!」 「なんだよ、改まって……」 「オレが今こうして居られるの、先輩のお陰だから」 正悟はここまでの話を聞いていて、千草のことが少しだけ分かった気がして安堵している自分が居るのに気付く。 吹っ切れたと言われたのが正悟としては嬉しかったのだろう。 ただ一つ気になっていることがあり、先程から千草に呼ばれているという言葉。 中学の時でさえ先輩後輩といった上下関係もなければ慕われたこともなかったので、そのような言葉は今まで無縁であった。 しかし千草はその呼び方を当たり前のように使い慕ってくるものだから、正悟としては少し気恥ずかしい気持ちにもなり対応に困っている。 「あのさ、その先輩ってやつ──」 「あ、ごめん……嫌だった?」 「いや、今まで先輩なんて呼ばれたことなかったから……」 「なら、今日からオレが呼んでもいい?」 「……勝手にしろ」 「うん。勝手に呼ぶ!」 正悟が照れ隠しをしている最中、そういったやり取りが行われ、千草が先輩と慕い正悟を必要としているように、正悟もまた千草を必要とし始めていたがそれに気付く日が来るのはまだ先の話で、それでも正悟は今の距離間が落ち着いており気持ちが良いと感じてきている。 少しずつゆっくりと動き始めた運命が、千草の状況を大きく変えていくであろう。 それに伴い確実に正悟の運命も変わり始めていた。 運命が変化していることに気付ける人間など存在しないだろうが、二人の日常はこの日を境に徐々に異質なものへと変化していく。 「──そろそろ仕事、戻らないと」 「あ、ごめん。長引かせちゃって……」 「大丈夫。まぁ、今日はゆっくり休め」 「うん」 二人はその言葉を最後に交わしてから事務室を出ると、店の外はすっかり暗くなっていた。 それもそのはず、あの揉め事から解放されて店に来た段階で夕日が沈みかけていたのだから、治療が終われば当然暗くもなるだろう。 入口から外を眺めつつも、正悟と千草が別れの挨拶を交わしたその時には清々しい程いつも通りの千草に戻っており、正悟も少し安心した表情でいたからか色々と思うところがあっても、禅は見守ることにして別れ際に千草と少し会話をすることにした。 「じゃあ、気を付けて帰れよ」 「うん……先輩、色々とありがとう」 「千草くん」 「あ、はい」 「帰り道には気を付けるんだよ。無茶はしないようにね」 「……はい」 「あと、ここに来たくなったらいつでもおいで。正悟も喜ぶだろうから」 「ちょ、禅さん何言って……!」 「あの!ありがとうございます!」 その言葉を聞いた千草は嬉しそうにしながら店を出ると、それを禅は手を振って送り出す。 正悟を見ると不貞腐れた表情はしていたが、千草という人間のことが気に入ったのは間違いがないと、禅はこの時に感じた。 どんな人間を気に入るかは正悟の人生なのだから、あまり干渉し過ぎるのは良くないと分かってはいても、禅は一連の流れを聞かなくてはならない。 それが保護者の責任であり、特殊能力(禁断魔法)を所持する者の責務であるからだ。 正悟には店が閉まる間に少しずつ話を聞き、詳しいことは閉店後に聞くことにした。 流石に店の仕事を放っておく訳にも行かないので、二人は役割分担をしながら閉店までに仕事を終え、ようやく店を閉める時間になり話を聞くことが出来ると思い、禅は正悟に事情を聞き始めた。 夕刻に千草を連れて帰ってきたことや、それ以前にどうしてそうなったのかということを少しずつ聞き状況を把握していくと、その時の正悟が珍しくも弱気になっているのに気付いた禅は、なるべく穏やかに諭すような言葉を選んでいく。 「……事情は大体分かった」 「あの、禅さん……」 「分かっているよ。正悟は理由もなく能力を行使する子じゃない」 「……うん」 「お前のことは、あの方も認めていらっしゃる」 「だけど……」 能力を持つ者はある一定の条件を無視してその能力を行使することは許されておらず、その条件とは人に宿る能力で変わってくる。 基本的に人体への影響が大きい能力ほどその足枷は重くなり、それを無視した場合もとある人物から忠告され禁断魔法であるという事実を強く意識付けられているのが能力者の中では常識とされていた。 能力に関してはむやみやたらに他言することも許されていない。 だからこその禁断魔法であり秘匿されし能力でもあるからだ。 この能力を持つ者は数多く存在しており、その中でも正悟は稀有な能力者と言える。 稀有な能力者──すなわち他の能力者とも違う存在で、同胞でさえ同じ感覚を持つことが出来ず、正悟は生まれながらに一般人と能力者から隔離された世界で他人と満足に触れ合うこともままならず、誤魔化しながら生きてきた。 そんな中でも叔父である禅と周りに居た大人達が能力者であったことが唯一の救いであり、支えであるのは本人が一番分かっているはずだ。 そんな正悟にとやかく言いたくはないのだが、禅からしてみたら何故千草を気に入っているのかが分からない。 何度考えても彼はの人間ではなく、正悟には縁遠い一般人の部類だ。 だからこそ言葉は選びつつも念を押すような状況になってしまう。 「お前は二つの能力に苛まれている。それが何を意味するか、分かるね?」 「分かってる……つもり」 「ならいいんだ。彼にも言ったけど、無茶をしてはいけないよ」 「うん……ありがとう」 いくら念を押しても正悟はすぐに無茶をするので悩みの種は尽きないのだが、それら全てが杞憂に終わればいいと常日頃そう願っている。 この日も同じことを思ってはいたがそれでも心配事というのは中々消え去ってはくれない。 正悟も心配をかけたくないと思っているのだろうがそれが分かるからこそ禅は余計心配になっていた。 ただ、それでもこうして正悟が無事でいて笑ってくれている。 その事実があるだけで禅は安堵することにした。 話をしていると大分時間が経ってしまったので、二人は一緒に帰宅するために支度を整え戸締りが終わり次第帰路に就くことにして、目的地である正悟の家へと向かっていく。 車で帰宅すればすぐに着く距離なので、話す時間はあまりなかったがそれでも正悟は気になっていることを言うか悩んでいた。 禅もそれを見ていて気付いてはいたのだが正悟の意思を尊重したかったので自ら話を振って来るまで待つことにする。 「禅さん、アイツ……」 「千草くんかい?」 「うん。アイツ、もしかしたら──」 「正悟?」 「ううん、やっぱり……何でもない」 それだけ言うと正悟は黙ってしまう。 この時の正悟はまだ確信が持てずにということで済ませようとしていた。 禅も千草とのことは待つことにしていたので、それ以上何も言うことはなく家まで送り届ける。 しばらくすると正悟の自宅があるマンションの正面玄関に着いたため、禅は別れを告げて自分も家へ帰るために再度車を走らせると、それを見届けた正悟もまた自宅へと戻るために歩き始め今日という日を静かに終えようとしていた。 明日こそ何も起きない普通の日常がやって来ることを願いながら──。

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