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推しが目の前にいるのだが?
本文
目の前に推しがいる。
結婚式場のど真ん中で、ノエルは黒いタキシードを着た推し──ネイト・フローレスと真正面から見つめ合っていた。対象的に真っ白なタキシード姿のノエル穂は、この状況を他人事のように感じている。
事の始まりは一ヶ月程前。
生粋の元日本人である穂 、トラックに轢かれそうになっていた黒猫を助けようとしたことが原因だった。
目を開けた穂は、視界に映る光景に目を疑った。
先程まで自宅近くの交差点に居たはずだ。それなのに、なぜだか今は祖父が住んでいた古民家を思わせる茶室に座り込んでいる。しかも足の下には丁寧に座布団まで敷かれていた。
「よく来たの〜」
かけられた声に釣られて目の前を見る。先程まで居なかったはずの老人が、同じように座布団の上に正座していた。手の中で、湯呑みに入ったお茶が湯気を上げている。
「ここなに!?てか、お爺さん誰!?」
「ここは儂の住まいじゃ。そして儂はお主らが神と称えるものじゃよ」
脳がフリーズしそうになる。しかし、慌てて意識を引き戻す。
いまノエルの脳内では、三つの可能性が浮かんでいた。
一、大々的なドッキリ
二、夢
三、お爺さんの言うことが本当
ドッキリにしては手が込みすぎている。それに突然景色が茶室に変わった理由を説明できない。夢だとしても、あんな場面で眠るなどということはありえないだろう。
そうすると、やはり目の前の老人の言うことが正しいことになる。
「俺、交差点に居たはずじゃ……」
「そうじゃ。お前さんは、交差点に飛び出した猫を助けようとして、トラックに跳ねられて死んだ」
「死んっ……はぁ!?」
驚きすぎて思わず立ち上がる。
確かに、穂は交差点へと飛び出した黒猫を助けようとして道路に飛び出したのだ。耳をつんざくほどのブレーキとクラクションの音が、鮮明に思い出せる。
「……まじか……猫を助けて……」
「そうじゃ。猫は生きておる。じゃが、お主が死んだのは手違いなんじゃ。そもそもあそこにあの猫が居たこと自体おかしな話じゃからの」
まったく現実が受け入れられなかった。
明日は穂が待ちに待っていたゲームの第二作目が発売される予定だった。予約レシートを眺めては、毎日ニヤニヤする日々。それすら楽しくてしかたなかった。
「て、手違いって……俺はこれからどうなるんだよ!てか、なんでこんな所で神様と話してるわけ!?」
「お主はまだ死ぬ運命ではなかったが、猫を助けて死んでしまった。命はさすがの儂でも戻せぬ。じゃから、お主に二つ贈り物ギフトを与え、別の世界に転生させてやろう。一つは運命を変えてしまったことへの謝罪。もう一つは、どんな存在にでも手を差し伸べられるお主の優しさと勇気にじゃ。その贈り物を選ばせるために呼んだのじゃよ」
音を立ててお茶を啜る老人を、穂はジトリと睨みつけた。胡散臭い、実に胡散臭すぎる。しかし、このまま茶室に座っているだけでは現状は変わらない。
本当に死んでしまったのならば、貰えるものは貰い、転生させてもらったほうがいいだろう。そう腹を括る以外に、方法がないのも事実だった。
上京してから会えていない家族や、友人のことは気がかりだ。それに、なによりもゲームの続きが気になりすぎる。
それでも自分が本当に死んでしまったのだという感覚だけはあった。だから、受け入れるしかない。
「欲しいものって言われても思い浮かばないな……。転生先って選べないのか?」
「お主にピッタリの場所をすでに選んでおいたぞ」
「そこは選べないんだ……。うーん、なんかよくわからないし贈り物も神様が勝手に選んでおいてよ。あ、でも一つでいいや。二つ目は次来た人にでもあげて」
穂は昔からあまり物欲がない。
それに神様からの贈り物と聞いて想像するのは、ファンタジー媒体でよく見かけるチート能力の類。そんな気がしてならない。
チート能力は一つで充分だ。平凡な人生を歩んできた穂にとっては、非現実的な今この瞬間だけでも腹がいっぱいだった。
「ホッホッホッ。欲がないの〜。よかろう。お主が言うとおり転生時には一つだけ贈り物を授けよう。しかし、贈り物に期限はない。欲しいと思ったときはいつでも二つ目の贈り物を受け取りに来るがよいぞ」
どこからともなく老人が杖を取りだした。仙人が持っていそうな、先が渦巻き模様になっているものだ。
杖が振り下ろされた瞬間、穂の視界が歪み暗転した。
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