4 / 23

第4話

 彼はその日から、何度もティトのもとを訪れた。彼が訪れる日はいつもエミリオが服を選んでくれる。彼がいつ来てもいいようにと仕立て屋に向かう頻度も増えた。エミリオはずっと機嫌がいいし、ティトはそれだけで嬉しくなった。  しかし。いつまで経ってもジラルド侯爵家に行く日取りが決まらない。ティトは何度か聞いてみたが、エミリオからは「私もジラルド侯爵も忙しいから」としか言われなかった。 (エレア様にはもう単独で会うしか手はないのかな……) 「今日はやけに暗い顔だね、珍しい」  彼がロタリオ伯爵家に通い始めてからはや半年。最初は連れとして来ていた彼は、今ではもう彼一人で訪れるようになった。この件に関して、エミリオから何かを言われているのかルギスやユリアーナは何も言わず、二人が過ごす応接室に突撃してくることもない。彼が帰ったあとにも何も言われないから、少し不思議である。 「あ、うん。……僕、ジラルド侯爵家に連れて行ってほしいって、父様と約束をしていたんだ。でも今のところ約束が果たされる感じがなくて」 「ああ、その件か。まだ諦めていなかったの?」 「僕、エレア様とは分かり合える気がするんだよ。悪役と当て馬って、ちょっと似てるでしょ?」 「……ティトって不思議だよね」  彼の赤い瞳が、まっすぐにティトを射抜く。彼はかなりの美形だ。今から将来が楽しみに思えるほどである。そんな彼に微笑まれて、ティトは思わず頬を染める。  彼は満足そうに笑った。 「ティトはどうして、ほかの攻略対象者のことは知ろうと思わないの? その世界で生きているなら、ティトだって誰かと結ばれることが出来るかもしれないのに」 「んー……だけど、この攻略対象の人たちはみんな主人公のための人たちだから。僕には程遠いし、求めるだけ無駄なんだよ」 「じゃあティトは誰と幸せになるの?」  ティトは口に運ぼうとしていたティーカップをピタリと止めた。少し悩んだあと、それを正しく口に運び、ソーサーへと戻す。 「僕はさ、前世の頃から、好きになった人に好きになってもらったことがないんだ」  ティトは前世で、気持ちが重なる経験をしたことがない。好きになった相手はみんな異性が好きだったし、告白すらも許されなかった。だからと言って外に体だけの関係を求めることもできず、中途半端に恋をしては中途半端に終わるばかりの、出来損ないの恋しかしていない。 「この世界でもそうだって思ってるよ。だから僕は物語が終わったあとに、それなりの人と結婚して、それなりに幸せになれたらいいな」 「そんなこと……」 「あ! そうだ!」  言葉を紡ごうとした彼を遮り、ティトは大声をあげて立ち上がった。突然のことに彼は大きく肩を揺らす。ティトはまったく気付いていない。 「詳細は覚えてないんだけど、戦争関係のことで、この国は隣国からかなりの難民を引き受けることになるんだよ。そしたらこの国の治安も悪くなっちゃって、今は穏やかな王族がガラッと人が変わったみたいになっちゃって……それから王太子殿下も冷酷な人になっちゃうんだ! 思い出した! 本当だよ、前世でネタバレしてきたやつが言ってたんだ!」 「ネタバレ……の意味は聞かないでおくよ。でもそっか、教えてくれてありがとう。ふむ、戦争ね。やっぱり戦争が悪いんだね」 「そう! どうしよう。僕に戦争を止める力なんかないのに……」 「君は戦争を止めたいの?」 「もちろん!」  焦った様子ではあったが、ティトはようやくソファに座りなおした。 「誰も死ぬべきじゃないよ。公爵子息様だって、騎士団長子息様だって、大切な人を亡くしたいなんて思っていないし、亡くすべきじゃない。僕も前世でそうだったから分かる。独りぼっちはすごく悲しくて寂しいよ。誰も独りぼっちになんかなったらいけないんだ」  けれども詳細は覚えていない。どうしてすべての記憶が戻らないのかと、ティトは初めて記憶に関してもどかしさを覚えた。 「……王太子殿下も、物語の中ではすごく冷たい人だった。笑顔なんだけど残酷で、すごく怖い。そんな殿下を主人公が癒して惹かれ合うんだけど、それはあくまで結果論でしょ。そもそもそんな人になるきっかけなんかいらない。酷い目に遭ったことが前提で得られる幸せなんて、本当の幸せじゃないもん」  彼はじっとティトを見ていたが、すぐにふっと柔らかに笑う。ティトはそれが不思議だったが、馬鹿にされているようでもないために、いったい彼がどんな感情なのかが分からなかった。 「私も同意だな。よし、分かった。では私は、ティトの幸せのために頑張るよ」 「……僕の幸せ?」 「そうだよ。……ティトは自分の幸せを考えないようだからね。私が考えてあげる」 「僕、自分の幸せも考えてるよ」 「そうだ。そういえば今まで気付いていて流していたんだけど、私の名前」  言われて、ティトは「あ!」と声を漏らした。そういえばティトは彼の名前を知らない。気付いていなかったと言わんばかりのそのリアクションに、彼は心底楽しそうに笑う。 「あはは! やっぱり変な子だ。もう出会って半年になるのに気付かないとかある?」 「だって不便がなかった」 「そうだけどさ、ちょっとショックだなぁ。ティトはもう少し、人の幸せよりも自分の周囲に興味をもったほうがいいね」  彼が立ち上がる。もう帰るのだろう。時計を見れば思った通り、いつもの帰宅時間が迫っていた。 「私はレナードっていうんだ。レンって呼んでよ」 「う、うん。レン、またすぐ来る?」 「そうだね。次は少し遅くなるかもしれない」 「……一か月とか?」 「んー、もっとかかったらごめんね。だけど君のためだから」  言われた意味が分からなくて、ティトは首を傾げた。レンはやはり楽しげに笑い、「気にしないでよ」とティトの頭をなでる。 「ティト、私が来なくなったら寂しい?」 「寂しいよ。前世で家族を亡くしたときくらい寂しい」 「そう言われてしまうと罪悪感がすごいんだけど……可愛いティトのために、私も頑張りたいんだよ」 「やだ、頑張らなくていいよ」 「ダメだよ。ティトを幸せにしたいんだ」 「レンが一緒に居てくれたほうが幸せだよ」  ティトはとっさに、頭にあったレンの手をとり、ぎゅうと強く握りしめる。 「僕、レンと居ると楽しいよ。ずっと一緒に居たい。大好きだもん」  不貞腐れたような声だった。そんな言葉に一瞬言葉を失ったレンは、何かを考えるような間を置いたあと、ゆっくりと握られた手を引き抜く。  ティトはレンの手を追ってこなかった。諦めることに慣れたその判断に、レンの良心も痛む。 「……またね、ティト」  それ以降、レンがロタリオ伯爵家を訪れることはなくなった。  ティトは何度も、どうしてレンが来ないのかとエミリオにたずねた。しかし返ってくるのは「今は言えないんだ」という言葉であり、ティトが欲しいものではなかった。会えないならと手紙を頼んでみても、エミリオはやはり難色を示す。理由は明かされない。ティトは納得できなかったが、エミリオが何も語らないのであれば知るすべもない。  今世でもまた、ティトの恋は結ばれないまま終わってしまった。  一人寂しげにするティトの姿に、しばらくの間は家族総出で元気づけようと奮闘していた。  さらに、ジラルド侯爵家に連れて行ってくれるという約束も結局果たされなかった。これについてはエミリオから「禁止令が出されたんだ。誰からとは言えないよ、いくら可愛いティトにでもね」とティトにとっては意味の分からないことを言われ、無理矢理納得をさせられた。約束がきっかけでレンという良い友人が出来たから最終的には納得できたが、そうでもなければエミリオと口をきかなくなっていたかもしれない。  季節は移り替わり、レンが来なくなってから一年と少しが経過した頃。  ティトも十歳となり、いよいよバース性検査結果の開封がおこなわれる。 「……どうして父様もいるんですか?」  家族が集まるドローイングルームには、珍しくエミリオの姿もある。みな緊張した様子だ。ティトの持つ封書を睨むように見つめ、落ち着かない様子を見せている。 「私には、その結果を一番に知らなければならない理由がある」 「……変なの」  ベータから生まれる者はベータと相場は決まっているし、そもそもティトはゲームの内容を知っているから面白味もない。目を細めて三人を順繰り見ていくティトに、三人はそれぞれ真剣なまなざしを返した。 「さぁティト、開けておくれ。みんな待っているよ」 「そうよティト。あなたはベータ。母様はそう信じているけれど、もしかしてがあるかもしれないでしょう?」 「ああそうだ。俺も息苦しくなってきた」  テーブルに置かれたペーパーナイフを持つと、ティトは滑らかに封を切った。  三人の目が集中する。ティトが書類を出すと、誰かがごくりと生唾を飲む音がした。 「……え?」  判定結果、オメガ。  一番上にそう書かれた書類を見て、ティトは訝し気に動きを止める。 「ティト、どうだった、父様にも見せてくれ」 「もらうぞ」  我慢を切らしたルギスがティトから書類を奪う。  三人でその結果を見て、それぞれが険しい顔になった。 (おかしい。僕はベータだったはず。……記憶違いだったのかな……)  しかし当て馬としてはオメガのほうが適任である。主人公はベータ相手には焦らないことも、同じオメガ相手だと焦る場面も多く出てくるはずだ。  やはり記憶違いだったのかもしれない。当て馬がベータだとおかしいような気もする。だけど確かに「当て馬は最初から選ばれない」と思った記憶があったのだが。 「……ティト。大丈夫か」  心配そうな声を出したのはルギスだった。オメガの不遇の時代はとうに過ぎているとはいえ、オメガであるということに抵抗がある者もいる。  まったく別のことを考えていたティトは、ルギスの言葉に一拍遅れて「え?」と顔を上げた。 「あ、うん、僕は大丈夫だよ。オメガの勉強しないとね。ヒートとか怖いもん。ごめんね、みんなにも迷惑かけちゃうことも増えると思うけど」 「そんなことないわ! 大丈夫よティト、私たちはみんなあなたの味方。絶対に守ってみせるわ」 「迷惑なんて思わなくていいんだよ。俺達は家族なんだから」  ユリアーナとルギスが心強い言葉を贈るかたわら、ユリアーナの隣に座っていたエミリオだけがなぜか固い顔をしていた。  エミリオはオメガに抵抗があるのかもしれない。ティトはそんな可能性を思い、エミリオに「どうしたの?」なんてことも聞くことができなかった。  ティトはオメガと分かってからも、人より劣らないようにとひたすら勉学に打ち込んだ。まずは自分が完璧となり、そして当て馬としてのゲーム完遂を目指さなければならない。ゲーム内のティト・ロタリオのような、顔だけが取り柄の空気も読めないお馬鹿では当て馬としては下の下である。完璧な主人公からすれば、そんな下の下のティトなどライバルにもならないだろう。ティトはひとまずゲームを終わらせ、自分の幸せを見つけるつもりだ。  そのための第一歩として、ティトは勉学や教養を着実に身につけ、十二になった頃、エミリオに新しい約束を取り付けた。 「学園を卒業したら結婚しようと思います。学園でいい人をみつくろってくるから、その際は絶対に反対しないでください」  ルギスとユリアーナはとにかく反対していたが、エミリオは難色を示したのち、「まあ、あの学園内でみつくろうなら良いだろう」と最後には賛成した。ティトが入学しようとしている学園は王都でも一番の難関高である。結婚相手をみつくろうには最適なため、エミリオも渋々ながら認めてくれた。  無事約束を取り付けたティトは、それからもとにかく頑張った。大嫌いな歴史もヴァイオリンも一番をとったし、マナーやダンス、基本的な振る舞いにおいても講師をうならせた。楽しいことばかりではなかったが、ユリアーナやルギスが喜んでくれたし、オメガと分かったときには渋い反応をしていたエミリオも、ティトの頑張りを見て複雑そうにはするが「えらいな」と頭を撫でてくれるから、ティトはそれだけで辛い時期も耐えられた。  初めてのヒートは十三歳のときだった。幸い家族は全員ベータだったから、ティトは安心して部屋にこもっていられた。アルファがほしくてたまらなくて苦しかったが、それでも頑張れたのは、エミリオが比較的副作用が少なく効果のある抑制剤を用意してくれたことと、何より家族が期間中ずっと支えてくれていたからである。  ヒートを迎えると、エミリオからチョーカーが贈られた。自分がオメガであるというその証が、最初はなんだか不思議だった。 「いいか、気を付けるんだぞティト。おまえはすごく可愛い。正直天使だ。だからこそ周りの男が放っておかない。兄様も教員としてそばにいるが、ずっと居られるわけじゃないんだ。絶対に絶対に気を抜かず……」 「ルギス、長い。もうティトも十五歳になったんだ、そんなに言われなくても分かっているさ」  シナリオが開始する、学園の入学式の日。寮に入らなかったティトは、ロタリオ伯爵邸から学園に向かうべく、緊張気味に馬車に乗り込んだ。たしなめられたルギスも、不満そうにしながらもティトに続く。 「ティト、抑制剤は持った? 不安はない? 嫌なことがあったらすぐに帰ってきていいんですからね」  馬車に乗ったティトを追いかけるように、ユリアーナが心配そうに声をかける。 「うん、大丈夫だよ。僕すっごく楽しみなんだ」 「母様、俺に任せて。学園では俺が絶対にティトを守るから。そのために飛び級までして教員になったんだ」 「我が息子ながら、おまえの才能には感服するね。……ティトの卒業後は約束通り、私の仕事の手伝いをしながら後継者として育ってくれよ」 「分かっています。……ティトが卒業したあとの学園に未練はありません」  ルギスの強い言葉を最後に、馬車は学園に向けて走り出した。  ルギスのブラコンぶりにはティトも驚かされたものだ。なんと教員になったのは昨年の話で、ルギスはひそやかに一人で段取りを進めていたようだった。 (ゲーム内には、教員に当て馬の兄なんて居なかったと思うんだけど……)  起きるはずだと思っていた戦争も結局起きなかったし、もしかしたらシナリオが変わったのかもしれない。戦争がなかったということは、公爵子息も騎士団長子息も、王太子殿下ですらゲーム内の人物にはなっていないということだ。  もしかしたら、ティトがオメガとなった時点でシナリオはすでに破綻していたのだろうか。 「ティト、何か不安でもあるか? 難しい顔してるな」  二十歳を迎えたルギスが、金の髪を揺らして首をかたむけた。  年々、エミリオに似てきているルギスは、同性異性関係なく人気がある。屋敷にまで押しかけてきた熱狂的な異性に迫られている場面を目にしたこともあるし、ラブレターなど茶飯事だ。しかしルギスはそのすべてを「興味がないから」とすげなく断っている。ルギスいわく「ティトのことを考えるので忙しい」とのことだが、ブラコンもそこまでいくともはや病気でしかない。  この世界では婚期が遅い早いという概念はないが、ティトはルギスのことをいつも心配していた。 「ティト、兄様をそんな目で見ないでくれ。傷つくぞ」 「僕、兄様のためにすぐに結婚できるようにいい人見つけるから……」 「その件も……どうして学園内で結婚相手を見つけるなんて言ったんだよ。慌てなくても、兄様がいい人をみつくろってやるのに」 「僕そこまで兄様に面倒見られたくないよ」  ルギスは不満そうにまだ何かを言っていたが、ティトはそれらをすべて聞き流し、車窓から過ぎる街並みを眺めていた。

ともだちにシェアしよう!