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4-6 熱

 おかしい。絶対に何かがおかしい。  俺は平静を装いつつも、やっと見えてきたシェアハウスの姿にほっとし、今すぐに駆け出したくなった。  帰りの列車に乗っている間から、ずっとおかしいと感じていたが、もういよいよ確信に変わってきている。じわりじわりと熱くなっていた身体が、今はもうアルコールのせいとかでは説明しきれないぐらいになっていた。頭に血が昇る、では違う意味になってしまうが、とにかく足の先から頭の先まで全部が熱い。セレの手を握っている手が汗まみれじゃないか心配なぐらいだ。  おまけに心臓はバクバクするし、呼吸も荒くなりそうだ。しかしこれは体調不良の類ではないと断言できる。俺は、何故だか知らないが極度の興奮状態に陥っていた。 (絶対……絶対ニルジールのやつ、俺になんかしただろ……⁉)  ニルジールが、悪戯っぽく舌を出しながら「てへ」とか言ってる姿が脳裏に浮かぶ。絶対にアイツだ。俺の手にキスをして、なにかおまじないとか言ってたのがきっと原因に違いない。そして、そうだとしたらとてもまずい状況だ。  ニルジールは、夢魔のマナランダーだ。夢魔っていうのは淫魔の一種。つまり、人の心と性欲を好き放題いじることができる。もっとも、今の時代では法に触れるから、その能力を自分のために使うことはしないのが鉄則だ。  だから、俺だけ焚きつけるのはギリギリグレー。法の抜け道すぎるだろ。俺は無性にムラムラする自分をなんとか抑えつけながら、どうにかセレの手を引き、俺たちの家へと帰った。  帰宅するなり、俺はセレから手を離し、自分の部屋へ駆け込もうとする。セレと同じ空間に、一秒だっていたくなかった。色んな理由で。 「アズマ」  それなのに部屋へ戻るより先に、セレが声をかけてくる。無視するわけにもいかず、立ち止まって視線だけ向けると、帽子とサングラスを取ったセレが灯りの下で微笑んでいた。 「今日は、ありがとう。君は優しいね。アズマには助けられてばかりだ」 「う……!」  またよりによって、セレはこんな時にいつものエルフ高慢語録じゃなくて、素直な感謝の言葉を口にしたりする。めちゃくちゃかわいいって感じちゃうじゃないか。ただでさえバクバクしている心臓が、熱い顔がますます悪化する。  やめてくれ、とも言うに言えない。今の俺は夢魔のなにかでおかしくなってムラムラしてる、なんて同居人に説明できるわけがない。俺はたどたどしく「そ、そう」とだけ返して、部屋に逃げ込もうとする。 「アズマ」 「な、なに?」  ところがこんな時に限って、セレは妙に俺へ話しかけてくる。珍しいことだし、できればセレの話に付き合ってやりたいが、本当に今は困る。たぶん俺の顔は真っ赤だ。帰り道は暗いしセレもサングラスをかけていたからわからなかったろうが、自宅の灯りの下ではひと目でバレることだろう。  背中を向けたままの俺に、セレは構わず話を続けた。 「私は君にとって良い同居人になりたいと思っている。至らない点も多いだろうが、どうかこれからも仲良くしてほしい」  すごく大事な話を切り出されている気がする。本当に申し訳ない。だけど、絶対に今する話じゃないんだ。俺は少し唸ってから、「ごめん」と切り出した。 「俺、今日は疲れてるからもう寝たくて。大事な話ならなおさら、ちゃんとした時にしたいし。とりあえず今日は……」  脆弱で短命な人間が疲れていると言いだせば、セレはこころよく部屋に帰らせてくれると思った。ところが、セレは「アズマ、大丈夫か?」と俺に近づいてくるじゃないか。  どうして今日は、いつもの感じのセレじゃないんだ。俺は慌てて自室に近寄りながら、「だ、大丈夫、疲れてるだけだし」と笑う。でもセレは納得しないようで、「体調が悪いなら医者に診てもらったほうが良い」「人間は眠るように命を落とすというではないか」とか心配そうだ。  真剣に考えてくれている相手へ邪険にするのは胸が痛む。けど、俺は心を鬼にして、 「大丈夫! 一晩寝たらきっと良くなる! おやすみ!」  と言い捨て、無理矢理自室へ入ろうとした。  後になって考えてみれば、きっとこれが良くなかった。とても良くなかったんだ。  俺たちは、同じ知性を持った人類。きちんと理由を話し合えばよかった。同じ部屋で暮らす者同士、もっとちゃんと、説明すれば。セレのことを責めた俺もまた、全く同じ過ちを犯してしまったのだ。 「アズマ、待て」 「うわ、わ、わ!」  セレが俺の腕を掴む。ドアを開けて部屋へ戻ろうとしていた俺は、急に引っ張られたことでバランスを崩してしまった。ただでさえ興奮状態におかれてマトモじゃない体だ。体制を立て直すことなんかできずに、そのまま転びそうになる。  そしてそれを見たセレが、なにを考えたのかは手に取るようにわかる。か弱い人間は、地面に転んだだけで死ぬとでも思っていたに違いないし、実際そういうこともないわけじゃない。ともかく、セレは床に転がる俺を庇おうとしたんだろう。  その結果が、こうだ。 「……っ、うわ……」  柔らかく温かい、いい香りがする。慌てて顔を上げると、床には仰向けに倒れたセレの姿があった。俺はその上に、うつ伏せに倒れていた形だ。  セレを下敷きにしたおかげで、俺は無事で済んだ。だけど、セレはどうだろう。怪我をしていないか、頭をぶつけていないか。一瞬心配はしたものの、どうにも理性は限界ギリギリだ。本来なら確認するべきところだが、俺には一刻の猶予もない。  セレの金色の長い髪が、床に散らばっているし。さっき下敷きにしてしまったせいで、その身体の温もりも香りも頭にこびりついている。マトモじゃないぐらい興奮している俺には、耐えられそうになかった。すぐにでも、セレから離れて部屋に閉じこもらなければ。 「セ、セレ、ごめん、俺……!」  謝罪を口にして、急いで部屋に逃げ込もうとした。その腕を、またセレが掴んで引き寄せる。またセレを潰さないようにと咄嗟に床へ手を付いた。おかげで俺は、まるでセレを押し倒したような体勢になってしまった。  かぁっと顔が熱くなる。至近距離になったセレの顔は、本当に整っていて美人だ。今すぐ、今すぐその柔らかな唇にキスしたくなるぐらいに魅力的で……どうにも、どうにも抗えない。 「……っ、セ、レ」 「アズマ、君は、もしや……」  セレが俺を見つめて、なにか言おうとしている。その手が、俺の頬をそっと撫でた、それでもう俺はなにもかもが耐えられなくなって。 「セレ……っ!」 「──!」  次の瞬間には、セレの唇へと食らいついていた。

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