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第16話 僕らの恋は汚れてない

「光輝って……… お、男??!!」 母親が、ふらりと下がった。 信じられないという面持ちで、冷司から数歩離れると顔を背ける。 冷司がしまったと手で口を覆う。 いや、でも隠し通せるわけが無い。 この母親は、人を使ってでも調べさせるだろう。 それでも、なんとかわかって欲しいと思う。 人を好きという気持ちを、あれほど父を愛していた母なら、わかってくれるはずだ。 駄目な時は、家を出ても……家を…… この僕が、出られるの? 出てどうするの?どこへ行くの?……歩いて、自力でどこまで行けるの? 冷司が息を呑んで途方に暮れる。  『 俺が、挨拶に行くから 』 あの、光輝の言葉。 2人ならきっと、乗り越えられる……かも、しれない。 光輝の言葉に、冷司はすがりついた。 「か、母さん、きっと、母さんも彼の事を……」 「やめて!」 声に、冷司がビクンと凍り付いた。 「あなた、ホモ?同性愛者?ゲイなの? 私の子が?ホモ?ゲイ?ウソでしょ?……ウソでしょ??!!汚らわしい!!! やめてよ、やめて!彼ですって?お前は男なのよ!! ああ、なんてこと!なんて!男同士でセックスなんて、不潔だわ!!」 その言葉には、嫌悪感がにじみ出ている。 冷司はショックで吐き気がして、思わず手で口を塞ぎ、後ろにふらついた。 「どこまでしたの?!最後まで?お……お尻に、入れられたの? 言いなさい!男同士で不潔だと、汚いと思わないの?!」 汚いなんて……思わないよ?母さん。 「そんな顔で……見ないでよ」 冷司は、母のまるで汚いものでも見るような目に、吐き気がこみ上げ耐えられずにトイレへと必死で急いだ。 「冷司!!明日から図書館に行っては駄目よ!! 汚い!なんて汚い!とんでもないわ!こっちが吐き気がするわよ! 出て行って欲しいくらいだわ!同じ空気を吸うのも汚らわしい!!」 聞いたことも無いような、いいや、これまで機嫌を損ねては聞いてきた、ヒステリックな声が聞こえる。 今日は最高で最悪な日だ。 光輝と水族館で楽しかったひとときが、初めて身体を重ねた大切な思い出が、母のヒステリックな叫び声でグチャグチャになっていく。 「汚い!汚い!なんてこと!うちの子が何でなのよ! 真剣ですって??なにが!?? そんな傷跡だらけの醜い身体で、相手が本気のわけないでしょう!! 相手は遊びよっ!あんた弄ばれて、汚されてるだけなんだわ!!」 母の声に胃の中の物が上がってくる。 冷司は、気持ち悪くてえずきながら便器に顔を突っ込み、ゲエゲエと戻してしまった。 涙でグシャグシャになって何度も吐いて、顔をようやく上げる。 便器の中には光輝と食べた、あれほど美味しかったラーメンが、胃液と混じってドロドロの汚物になり果てている。 2人の愛し合った時間が、まるで酷く汚い行為に蹴落とされたような気がする。 僕らの恋愛は、下水に流すような汚い物だったんだろうか。 「ああ……うっ、ううっ、光輝、ごめん……ごめん……」 水を流して、下水に消えて行くラーメンが悲しい。 僕のせいで、僕が謝らなければならない人が、どんどん増えて行く。 母さんが泣きながら、電話をどこかにかけている。 兄さんか、お父さんか知らない。 いつだって母さんの情緒不安定になる原因は僕だ。 こんな家、逃げよう、逃げなきゃ!! 冷司はそっとトイレを出ると、耳をふさぎ、震える足で玄関に向かい、ドアの前で立ち止まった。 家を出て、お金も無くて、身体1つで…… ろくに歩けない僕が、どうやってコウの元までたどり着けるのだろう…… 涙でうるむ玄関のドアが、遠くに見える。 冷司は引き返して階段を上ると、2階の自分の部屋へと逃げ込んだ。 ドアを閉める瞬間、彼にも聞こえるような大きな声で、恥ずかしいと汚いを連呼している。 精神科とも聞こえるけど、僕は気が狂ってなんかいない。 僕は、好きになった相手が男だったと言うだけだ。 シャツを脱いで、鏡に映してみる。 刺されたときの傷跡が、切られたあとが、上半身に沢山残っている。 一度死んで、何とか持ち直した時、あれ程良かったと喜んだのに、今の母さんは僕が大嫌いだ。 事件はSNSが原因だったからと、パソコンもスマホも取り上げて、僕を孤独に追い込んで、それでも飽き足らない。 出て行きたくても、逃げ場が無い。 僕は全部を母さんに管理されている。 ダンッ! !ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! 母親が雑誌や新聞を丸めて、力一杯階段を殴る。 何度も何度も。 時に朝見ると、ボロボロになって折れて散らばった雑誌や新聞が散乱している。 その行為が、冷司の心を更に追い詰めた。 ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! バサッ!バリッ!バリバリッ!! 「出てって!この家を出て行け!!」 母親の空を裂くような声に、冷司が震える手で耳をふさいでしゃがみ込む。 吹き抜けの家の構造が、その声を反響させる。 怖くて涙がボロボロこぼれる。 『 泣き虫だなあ、冷司は 』 光輝、助けて光輝 ああ……醜いよ、確かに僕は醜い。 こんな身体、光輝が見たら気持ちが冷めることはわかってる。 わかっているんだ、母さん。 僕は何も望んじゃいけない。 僕は死んだように生きなきゃいけない。 でも、光輝があまりにキラキラしているから、光に群がる虫のように引き寄せられてしまったんだ。 もう、会わない、会わないから。2度と会わない。 だから、許してよ、母さん。 「嫌いだ、嫌いだ、みんな、みんな嫌いだ。 僕は何の為に生きてるんだろう。なんであの時死ななかったんだろう。 死ねば良かった、死ねば良かった!」 冷司はベッドに倒れ込むと、身体を丸めて泣いていた。 泣いて泣いて、そして、いつしか泣き疲れて眠っていた。

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