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第1話

 分かっている。彼は今夜、帰らない。  篠塚赤穂(しのづかあかほ)はソファに腰かけ、未送信のまま保存されたメールを見つめていた。  リビングに飾られた、今年新調したばかりのクリスマスツリー。緑と赤、金と銀の丸飾り。サンタクロースや小人たち、トナカイのマスコットもぶら下げて、去年よりもずっと賑やかで華やかになった。  部屋は、ツリーと間接照明の光に満たされている。テーブルの上に飾られたチキンやケーキが(だいだい)の光の中にぼんやりと浮かんで、まるで絵本の世界のように幻想的だ。  クリスマスを一人で過ごすのは、初めてかもしれない。一昨年までは家族と一緒だったし、去年は仲間たちと賑やかに過ごした。  恋人と過ごすロマンチックな夜に憧れはあったけれど、それが叶うなんて思ってもいない。二人きりでなくても良い。彼と二人、同じ空間に居られるだけで幸せだった。 「僕は、仏教徒なんですけど」  ブツブツと文句を言いながらツリーを飾り付けたのは、同居人の中で一番の末っ子、(まこと)だ。先頭をきってツリーを買いに出かけた松矢(まつや)は、飾り付けを始めて五分で飽きてゲームを始めた。コーヒー片手にクラシックを聴く光希(みき)には、手伝う気など毛頭ない。 「赤穂さん、手伝ってください」 「俺は無理。明日のパーティーの支度で手ぇいっぱい」 「明日の、パーティー?」 「ああ、クリスマスパーティー。お前たち、明日は何時頃帰る予定?」 「俺はパス。デート入ってる」 「僕は実家に帰るよ。ママとパパが帰ってこいって言うから」 「僕もです。すみません」  大学時代の友人たちと同居を始めて、二度目のクリスマス。去年は一緒に過ごしたから、今年もそうするものだと思い込んでいた。仕事帰りに買い物を済ませ、五人分の食材と四人分のプレゼントを用意した。 「そっか……みんな、予定があるのか」 プレゼントは今夜のうちに渡してしまえばいいとして、大量に買い込んだ食材はどうしたものか。キッチンカウンターに並べた食材を前に、赤穂は途方に暮れた。 「彰吾(しょうご)は? 明日はどうするって?」 「彰吾さんもデートじゃない? 去年もパーティーに参加したの、時間ギリギリだったし。女性が放っておかないよ、あんなイケメン」 「まぁ……そうだよな」  光希の言う通り、彰吾は老若男女問わず、誰の目から見ても非の打ち所のない男前だ。一八五センチの長身と、衣服の上からでも分かる引き締まった身体。切れ長の瞳、日本人離れした鼻梁の高さ。声は腹底に響くヴァリトンで、耳元で甘く囁かれれば、腰は砕けて軽い目眩さえ起こしてしまう。 「赤穂さんは? どうするんですか?」 「俺は……」  正直、何の予定もない。誘いがなかったわけではないが、明日は先約があるからと全て断ってしまったのだ。 「もしかして、予定ないの?」  コントローラーを器用に操りながら、松矢が振り返りもせずに言う。図星をつかれ言葉に詰まったが、変に気を使わせるのが申し訳なくて、へらへらと笑って誤魔化した。 「だよね。赤穂さんてかなりの美人さんだし、クリスマスを一緒に過ごす人なんて五万といるよね」 「そうですか。それなら安心しました」  上手く誤魔化されてくれた松矢と真にホッと胸を撫でおろしていると、一人訝しげな視線を向ける光希と目が合った。眉を顰め、無言で問い質してくる。 「本当に?」  勘の良い男の問いかけに、赤穂は眉を下げた。何でもお見通しというわけか。 「大丈夫だよ、光希。今から何人かに声をかけてみるから」 「彰吾さんには?」 「え……彰吾?」 「聞いてみなよ。彰吾さんに、明日の予定」  どこまでお見通しなんだと肝を冷やす。だが、真剣な瞳から、彼が自分をからかっているわけではないということは伝わってくる。 「うん。彰吾には……後で連絡してみるよ」 「……わかった。じゃあ、頑張って」  何を頑張るんだ! とツッコミを入れたくなるのを堪えていると、柔らかに微笑んだ光希が続けて口を開いた。 「赤穂さん。素直でいい子の所にだけ、サンタさんは来てくれるんだよ?」 帰国子女の天然タラシは、こんなことをさらりと言ってのける。まったくと溜息を吐きながらも、光希の温かな優しさに、沈んでいた気持ちが少しだけ浮上した。 「ありがとう」  思いやりには思いやりを返していきたい。優しいルームメイトたちに笑顔を送り、赤穂は彼等へのプレゼントを取りに自室へと向かった。  誰もいないと分かっているのに、暗い部屋に帰るのは勇気がいる。だから、こんな日には誰もしたがらないだろう残業を自ら買い、わざと帰宅時間を遅らせた。  家に着いたのは十時を回った頃。暫くは、冷え切った玄関と、妙に声の響く長い廊下を見つめていた。  数分後、観念したように家に上がり、すぐに風呂に入った。湯を溜めたのだが、大して温まりもせずに上がり、髪を乾かすのも面倒で、洗いざらしのままリビングのソファに腰を下ろした。 「聞けるわけないよ」  携帯のメッセージ画面を開き、未送信のまま放置されたメールを見つめる。 『今夜、何時に帰る?』  答えの分かりきっている質問を送る勇気はない。もう散々、傷ついてきた心は臆病になるばかりだ。赤穂は携帯を裏返し、ソファに置いた。 「同じ相手に……何回失恋したらいいんだよ」  昨日、なんとなく作ってしまった料理をテーブルに並べ、クリスマスツリーに灯りを(とも)した。一人ぼっちのクリスマスに、豪華すぎる料理たち。シャンパンを開けてグラスに注ぎ、ほんの少しだけ口に含む。 「もうすぐ、クリスマス……終わっちゃうよ」  時計の針は、十一時を回った。  少しだけカーテンを開けて、空を見上げる。すると、星が(まば)らに見える夜空から、ちらちらと舞い降りてくるものがあった。あれは……。 「雪……か?」  ホワイトクリスマスなんて、小学生の時以来だ。赤穂は思わずベランダに出て、生まれたての雪を頬と手の平で受け止めた。 「冷たい」  すぅっと、体温に溶けた雪が頬を伝い落ちていく。 「……っ……冷たいなぁー……」  次々と落ちてくる雪は、頬を、顎先を伝い、ぽたりと落ちてベランダを濡らす。 「何やってんだろ……俺は」  ずっと好きだった。出会った瞬間に恋に落ちて、それ以来彼しか見えなかった。 「好きだ、お前が……彰吾っ……」 伝えられるはずのない想いに身を焦がし、彼の隣に華を添える女性たちを見ては、男である自分を呪った。けれど、親友でいられればいい。友として、彼の一番近くにいられればいいと、そう言い聞かせて過ごしてきた。けれど。 「もう……限界だよ」  手の平で水に変わった雪のように心さえも溶けて、決して言葉に出すことのなかった想いが口をついて出てしまう。 「好きだ……っ……彰吾」 「赤穂?」  突然名前を呼ばれ振り返った。 「っ!!」 そこには、いるはずのない男が立っていた。そんなはずがない。帰ってくるはずがない。 「どう……して?」 男が足を踏み出せば、肩にうっすら積もった雪がはらりと落ちた。 「また一人で、泣いていたのか?」  これは溶けた雪だ。自分は涙など流していない。赤穂は、ふるふると首を振った。 「何故、お前は俺を呼ばない? どうして、いつも一人で……」  (おぼろ)げな光の中で、彼の姿が蜃気楼のように揺れる。揺れて近づき、温かい手の平が赤穂の頬を包み込んだ時、それが幻などではないのだと知った。 「どうして……」 「お前が……一人で泣いている気がしたから」  筋張った親指が、涙を拭う。  何故そんなに優しい瞳で見つめるのか。何故そんなに優しい声で囁きかけるのか。何故、こんなにも優しく自分に触れるのか。 分からない。分からないのに、甘い疼きが胸に広がり、赤穂の目頭は更に熱くなる。 「もう……限界だ」 「しょう……ご?」 「もう誤魔化せない。自分の気持ちに……嘘はつけない」  引き寄せられた身体が、彰吾の長い腕の中におさまり、抱き締められる。じんわりと、身体と心に沁みる彼の体温。 「お前が好きだ」 「……っ……」 「好きだ、赤穂」  彼の瞳を見つめる。そこに映る自分の姿は、恥ずかしくなるほど情けない。いい歳をした男がと、今まで嫌悪感しか抱けなかったその姿を、今夜初めて愛おしいと思った。 「っ……待って、ダメだ……そんなとこ……」 「待てない。いいから、その手をどけろ」 「ぁっ……彰吾っ」  一目惚れをしたのはお互い様で、出会った瞬間から恋に落ちていたのは、彰吾も同じだったらしい。そうとは知らず、長い間、心に蓋をして生きてきた。自分さえも欺き、他の人を好きになろうと努めてきた。 「彰吾ぉ……もぅ……そこ欲しっ……」  舌と指で散々慣らされたソコが、愛しい男を欲して妖しく蠢く。制御が効かない。欲望が後から後から溢れてきて止まらない。赤穂は腰をくねらせ彰吾に強請った。 「クソッ……そんなこと、どこで覚えやがった」  男を受け入れることに慣れた身体は、男の嫉妬心に火をつけ煽る。彼が雄の本能を剥き出しにすればするほど、赤穂の心は悦びに震えた。 「彰吾……も、挿入(いれ)て欲し……」 「あんまり、煽るんじゃねぇよ!」 「ぁぁあっ……んー……っ!」  滾るそれを入口にあてがわれた瞬間生まれた、とてつもない快感。雷に打たれたような衝撃は脊髄を駆け抜け、脳天にまで達した。 「やぁ……ぁんっ!」 「なんだ、これ……堪んねぇ」  蕩けきった内壁が彰吾を包み、飲み込んでいく。 「んっ……んっ、すごぃ……彰吾っ!」  耐え難い淋しさを埋めたくて、他の男との交わりを求めた日々。けれど、決して心は満たされることはなく、行為の後にはいつも、酷い罪悪感と虚しさだけが残った。 「赤穂っ!」  けれど今は違う。今、自分は彰吾に愛されている。 「ぁっ……また俺っ……も、彰吾ぉ!」 「ああ、達けよ……っ……何度でもなっ」  膝を抱えた彰吾が、赤穂の最奥を侵しにかかる。 「ひっ……ひぁぁっ……」  何度も激しく突かれ、最後に一際強く貫かれた瞬間、赤穂は己の欲望を解き放った。 「しょ、ごっ……っ……ぁぁあっ!」 「くっ!!」  きつく締め付けた瞬間、彰吾も赤穂の中で達した。男の欲望を奥で受け止め、赤穂は喜びの中で再び強い絶頂を迎えた。  あれからまた熱く愛し合い、赤穂は少しの間眠りに落ちた。  夢の中で、まだ自分は彰吾に片想いをしていて、恋人と出かけたまま帰らない彰吾の帰りを待ち続けていた。 「悪かった。俺も必死だったんだ。本当のことを言ってお前に嫌われたらと思うと……怖くて仕方がなかった」  目覚めた直後、混乱した赤穂に責められて、彰吾は申し訳なさそうに言った。 「でも、帰って来ただろう? 去年も今年も……ちゃんとクリスマスに間に合うように。お前の所に帰ってきた」 「それは、そうだけど……」 「お前に会いたくて、お前を抱き締めたくて……堪らなかった」  甘い声で囁かれ、色っぽい瞳に見つめられると、怒りなどどこかに吹き飛んでしまう。 「でも、お前はそうやって俺を責めるが……結構アピールしてたんだぞ? 全く気がついてなかったみたいだけどな」  クリスマスに、彰吾が赤穂に欠かさず贈り続けた物がある。それは、白、ピンク、赤、三色のポインセチアだ。 「え、あれってプレゼントだったの? たまたまどっかで貰ってきただけだと思ってた」 「違う。何ヶ月も前から予約して用意していたんだ」 「マジかよ。クリスマスに、毎年ポインセチア贈るって……お前、そんなにロマンチックな男だったっけ?」 「ああ。俺はお前が思っている以上に甘くて、優しい男だ」 「いや、そこまで言ってねぇよ」  三色のポインセチアの花言葉は、あなたの祝福を祈る、純潔、私の心は燃えている、だそうだ。 「嘘だろ……すげぇ甘い」 「だから言っただろ。俺は、甘くて優しく包容力のある男なんだ」 「いや、だからそこまで言ってねぇって」  男に花を送り、その花に込められたメッセージで気持ちをアピールするなんて。 「お前、そんなの……分かれって言う方が無理だろ!」 「いや、三年目あたりでかなり期待したぞ、俺は」 「花言葉に、俺が気付くんじゃないかって?」 「ああ」  真剣に頷く彰吾に、堪らず噴き出す。 「おい、何故笑う」 「いや、ごめん。でもさ……ヤバいよ、俺。ますますお前のこと好きになった!」  誤魔化されるかと、唇を尖らす姿が可愛い。こんな一面もあったのかと、新しい発見に嬉しくなる。 「明日からはもっと、知らないお前を見つけてやる」 「ああ、いいぜ。これから先はずっと一緒だからな」  そう言って笑う男の後ろで、今年もポインセチアが聖夜に揺れていた。

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