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愛憎相半ばするお前に捧ぐ媚薬拘束パンケーキ
ふーん、これは意外だな。動悸や発汗など一部の自律神経症状は見られるものの、なぜか不快感は確認できない。先ほどまでは全身が次第に弛緩していくような、いわゆるリラクゼーション効果を感じていたが、今はそれも収まり、産毛の揺れも意識できそうなくらい皮膚粘膜が過敏になっている。大麻や覚醒剤とも少し違う、体感してみて初めてわかるが、全く未知な反応だ。まさしくこれが、貧乏人から金持ちまで、老若男女がヨダレを垂らして欲しがる「媚薬」というものなんだろう。
……なんて、悠長に発現した症状を分析している場合ではない。
僕は仰向けに寝たベッドの上で頭だけを少し傾けて、何の躊躇もなくこの薬を僕に投与した筋肉質な男の方へ視線を向けた。貴重な商品だっていうのに、なんてことをしてくれるんだろう。つい数時間前までは薬に興味がありそうな素振りをしていたくせに、今では軽蔑的な眼差しで僕を見下ろしている。人を見る目に自信はあるつもりだけど、古い知り合いだからって油断した。
「ねぇ……この薬、本当によく効くんだね。こんなに早く効果が出るなんて。ハハ、これは売れるのがよくわかる。手に入れるの、苦労するだろうね。でも君は、ッ……」
君はラッキーだよ。販売元と昔馴染みで。そう続けようとしたのに、喉奥から押し出された空気のせいで舌が縺れる。数分前から浅い呼吸しかできておらず、いよいよ胸が苦しくなってきた。この状況の人間はさぞエロいだろうな、僕が女だったら。
せめて楽な姿勢を取りたくて身を捩ろうにも、両手も両足も大の字に固定されていてまともに動かせない。こんな身体拘束はどう見ても違法だ。患者相手じゃなければ何やってもいいとでも思っているのか? とんだ医療倫理だ。
「ペラペラ喋って余裕かましたいみてぇだけど、チンコはギンギンだし、さっきからずっと腰動いてんぞ。んなことしたってシコれねぇのにな。馬鹿が」
「……どういう意味かな?」
「無駄なことやってんぞ、って指摘してやったんだよ。ご自慢の頭脳が台無しになるようなモンを売ってるって自覚、ちょっとは出てきたか? あぁ、もうラリってて理解できねぇか」
僕を見下ろす顔が僅かに歪んで、片側の口角が持ち上がる。今の言葉で思い出したが、以前にもこの男に「指摘」をされたことがある。あれは僕たちがまだ大学生だった頃、医師免許を持たずに現場に立っていることをこの男――同期の室井遼になぜか知られてしまい、呼び出されて詰られたんだ。あの時はもっと義憤に駆られているような、自分に酔った表情をしていたけど、今では室井もこういう顔ができるようになったんだなと思うと、少し感慨深い。野蛮そうな身なりもすっかり垢抜けているし、黙っていれば女が放っておかないだろう。
それにしても、取るに足らない記憶だからか、すっかり忘れていた。この男に対する薄っすらとした嫌悪感はそのせいか。突然連絡が来たときには、懐かしい名前だなとしか思わなかったけど、やっぱり断ればよかった。こんなに面倒なことになるなんて。
「おいおい、どうした? ボケっとして。まさかイッてんのか?」
「……ようやく思い出したんだ、君の、室井君のこと。それで、どうして僕がこんな目に遭っているのかもわかった気がする。二時間一緒に酒を飲んでいても思い出せなかったのに、これも薬の効果かな」
「チッ」
室井はベッドフレームに掛けていた手を引っ込めて、頭を掻きながら部屋の隅へ歩いていった。
この男は、粗暴な口ぶりに似合わず、真面目で正義感が強くて、手先が器用な奴だった。縫合練習では同じグループの学生たちはもちろん、先生も感心していたくらい。こういう人間こそが医道に進むべきだと僕も思ったし、現に立派で真っ当な脳神経外科医をやっていると聞いて、この国の未来も安泰だなと頷いたばかりだったのに。
それがどうして、過去も現在も、僕みたいな日陰者に構おうとするのかなぁ?
「滝沢。俺はな、お前のことが許せねぇんだよ。闇医者の次は違法薬物の斡旋か。あぁ?」
戻って来た室井の手の中に刃物のようなものがあるのを見て、知らずと体がびくりと強張った。学生時代に闇医者をやっていたと言っても、大した修羅場は潜っていないし、怖い目に遭いたくないから今は足を洗ってお薬屋さんをやっているっていうのに。
「お前だけだっただろ。俺らの代で、俺より優秀だったのは」
「落ち着いてよ。室井君。ね? ちゃんと説明するから。僕が扱うのは安全な……」
「なのにお前は……!!」
「ヒッ」
突き付けられた金属が首筋に触れた時、押し出されるように声が漏れた。しかし、殺されるどころか痛みもない。ぎゅっと閉じた瞼を恐る恐る開いて理解したが、室井が持っているのは鋏だった。
ちょきん、という音はなんだか間抜けな響きで、拍子抜けする。室井の言う通り薬でバカになっているのか、安心感からなのか、自然と笑いが込み上げてきた。僕は喉と胸を震わせながら、精一杯首を曲げて胸元を覗き込もうとする。
「へっ、へへっ、ハハ、びっくりしたぁ……な、なにしてんの?」
「じっとしてろ。怪我すんぞ」
ワイシャツのボタンがひとつずつ切り取られていく。室井は顔や体型に似合わない繊細な手つきで僕の服をはだけさせると、今度はアンダーシャツに刃先を滑り込ませた。
「……ほんとに何なの? 緊急オペでもするつもり?」
質問には答えず僕の上体を空気に晒すと、先ほどのまでの憤った表情はどこへ行ったのか、室井は再び不敵な笑みを浮かべた。正直、感情の動きが全く読めない。この男こそクスリでもやってるんじゃないだろうか。
「ねぇ、室井君。あのさぁ、僕の仕事の内容に怒ってるんだよね? それなら、少し話を聞いて……ッ?!」
突然、体の内側、内臓を直接くすぐられたような奇妙な感覚が走る。一瞬何が起きたのかわからなかったけど、数秒後にはその原因を理解した。……右側の乳首を、鋏の面で撫でられている。
「っ、ちょ、室井君っ……何なにっ、怖いって」
「そんなビビんなよ。切り落とすつもりはねぇから。……にしても、随分敏感だなぁ? AVみてぇにビクビクして。これも一番人気とかいう薬のせいか?」
「そっ……だっ、アッ、んぉっ……」
そうだよ、当たり前だろ?! そう言ったつもりが、硬い金属が触れるたびに体が跳ね上がって、上手く言葉を発することができなかった。乳首で反応するなんて、普段なら絶対にあり得ない。室井はそんな僕を嘲笑いながら、突起を押しつぶしたり、時には指先で摘まみ上げたりして弄んでくる。僕は手足の拘束具をがちゃがちゃと揺らすだけで刺激を避ける術も持たず、文字通りまな板の上の鯉のよう。
「滝沢。すげぇ無様だよ、お前。俺はずっと、これが見たかったんだ。俺達が皆死に物狂いで勉強してる中で、お前だけいっつも余裕そうにしてたもんなぁ? 医学を、医術を、金儲けの道具としか思ってねぇくせに」
「あっ、うっ、も、やめっ」
増幅された快楽物質のせいで意識混濁を起こしそうなはずが、なぜか室井の言葉はしっかりと理解できる。
そうか、この男は、僕が悪いことをしているから咎めたいんじゃなくて、稚拙で単純な嫉妬心でこんなことをしているのか。どうりで言動が支離滅裂だと思った。
「なぁ、滝沢。必死な顔で懇願してみろよ。ん? どうしてほしい?」
「わ、わかっ、やめっやめてくださっ……」
「は? ちげぇよ。チンチン擦ってイカせてください、だろ? 言えよ」
「なっ…………」
呆れ果てるほどの馬鹿馬鹿しさに、沸々とした不快感を覚える。それはそのまま反発心へと変わりそうになるが、ここで抵抗したら苦しみが長引くだけだ。僕は途切れ途切れの呼吸の中で、何とか一息吸い込んで気持ちを落ち着かせた。それから、顔を覗き込む切れ長の目を真っすぐ見つめ返しながら口を開く。
「ち、ちんち、ッん、……こ、擦って、イカ、せてっ……くださいっ」
「クソが!!」
部屋中に響き渡るほどの声量の悪態。何で? 素直に言うことを聞いたのは悪手だったのだろうか。室井は器用に手の中で鋏を一回転させると、こめかみに血管を浮かび上がらせて声を荒らげた。
「やっぱりお前はそういう奴だよなぁ?! そういうところがムカつくんだよ。プライドも何もねぇ。こんな状況でも、自分が楽になる方法を考えてんだろ?! そんなんじゃ全っ然足りねぇよ!!」
再び、今度は先ほどより少し重みのあるジャキンという音がして、どうやら室井は僕のベルトを切ったらしい。結構いいヤツなのに、もったいないな。ベルトなら普通に外せばいいだろう。外科医と刃物は切っても切れないのだろうか。
「もっと必死になれよ、滝沢。……その澄ましたツラがぐちゃぐちゃになるくらい、何にも考えらんんなくなるくらい」
あっという間にスラックスとパンツも台無しにされてしまう。勃起して窮屈だった股間が解放されて、少し楽になった。それにしても、家に帰るとき、室井にパンツまで借りるのは気持ち悪いな。服だけ借りてノーパンで帰るべきか。さすがの室井も、僕を全裸のまま放り出すなんてこと……いや、そもそも僕は無事に帰れるのだろうか。このイカれた野郎は一体どこまで……。
そんなことを考えていると、室井は数秒間、露になった僕の陰茎をじっと見つめていたかと思うと、ついには歯を見せて笑った。
「じゃあ、コレはどうだ? お望み通りイカせてやるよ」
室井が鋏をベッドに置いたことに安心したのも束の間、僕は持ち替えられた物を見て上擦った声を上げる。それは、シリンジに入ったピンク色の液体。
「なっ、まっ……!! お前何でそんなん持ってんの?!」
「あぁ? これもオタクの商品だろ? 併用禁忌じゃねぇから安心しろよ。そもそも添付文書なんてなかったけどな」
毒々しいピンク色が、逆に人気の理由らしい。セックス用のローションとして売っているが、主にアナルに注入して使うと聞いてあのパッケージに変更した経緯がある。いわゆるキメセク用。下手すれば重篤な後遺症が残るくらい強い成分が含まれているから、僕が飲まされた媚薬とは違って、流通経路も絞っているはずなのに。あんなものを経粘膜吸収するなんて、考えただけで卒倒しそうだ。
「無理無理無理!! ほんとに、それは勘弁してください!!」
拘束されてほとんど動かない体を精一杯のけ反らせて、僕は自分の肛門を守ろうとする。
「下手な芝居売ってんじゃねぇよ」
「芝居とかじゃ……!! ほんとに、もうやめます!! ごめんなさい、もう悪いことしません!! 二度と室井君を馬鹿にするような態度も取りません!! 何でも言うこと聞くから、それだけは……!!」
浮かぶ言葉を矢継ぎ早に口にして懇願していると、室井は僕の前髪を乱暴に掴んで、その顔を目の前に近付けてきた。端正な顔立ちが返って悪魔の様に見えてくる。
「別にアナルじゃなくて口から入れてもいいんだけど」
「んんんっ!!」
シリンジを突き出されて、思わず唇を噛むように口を閉じた。せっかくここまで上手くやってきたのに、この年で廃人にされるなんてまっぴらごめんだ。とにかくこの状況から抜け出せれば、あとはどうとでもできる。自然と目の表面に溜まっていた涙が溢れてこめかみを伝ったとき、ようやく室井は顔を上げた。そして、腹を抱えて笑い出す。
「ははははっ、もう演技でも何でもいいわ。滝沢がチンコ出しながら泣いて命乞いするとこ見れたから、もう十分。マジで情けねー」
助かった……のか? 拘束を解かれるまでは油断できないけれど、少しほっとする。室井はシリンジをプラプラと揺らしてみながら、片眉を上げて嫌そうな表情をした。
「それにしても、これそんなヤベーのか。売るんじゃねぇよ、クソが。死にぞこないのジャンキーなんて一番迷惑なんだよ、こっちは」
「は、反省してます……」
確かにそうだろうな。僕たちとは違って目の前の人間を見殺しにできない彼らの苦労は計り知れない。まぁ、本心では知ったことじゃないんだけど。室井君の体を張った説得に免じて、販路の拡大を見送ることは考えてみてもいいかも。
その時、布の擦れる音がして視線を上げれば、随分と鍛え抜かれた裸の胸が目に飛び込んできた。仕事で忙しいだろうに、よくトレーニングする時間があるなぁ。そういえば、この部屋にも筋トレ用の器具がいくつか転がっていたっけ。というより、何で室井は急に服を脱いでいるんだろう。
「何だよ、その目は?」
「いや、室井君、暑いのかなって……」
「あぁ? お前そんなフル勃起したまま帰るつもりかよ? ド変態じゃねーか」
笑うと胸が揺れる。まるで理解できない僕がおかしいとでも言うように、室井は堂々とチノパンを脱ぎ捨てた。そうして現れた下着を見て、僕はさらに動揺した。それは女性物と見紛うようなレース素材でビキニ型だが、局部を強調する変なデザインをしている。
「せっかくだから楽しませてもらうぜ。実は俺、大学んときから気になってたんだよ。お前のこと。特にこのチンコ。生で見たらやっぱ最高。大きさも、カリの高さも、反り具合も、マジで完璧」
室井がベッド膝をついた時の軋む音で、あらかたのことは把握できた。把握はできても、受け入れ難い。つまりこの男は、僕を咎めるためでも、嫉妬心を晴らすためでもなく、初めから性的な目的でこんなことをしていたって……?
「あー興奮する。お前、昔ハメ撮り売ってただろ? あれ今でもオカズにしてんだよね。どう、今日新作撮らね? 俺の体、結構売れると思うけど」
確かに、下から見上げる室井の体は迫力満点で色気がある。ソッチの世界は全くわからないけれど、この体と顔と肩書なら、男も女も入れ食いなんじゃないだろうか。
それなのに、やっぱりわからない。どうして、過去も現在も、僕みたいな日陰者に構おうとするのかなぁ?!?!
「ゴムつけるだけでイクんじゃねぇぞ。俺に挿れるまでにイったらあのローションぶち込むから」
「っ……」
室井は相変わらず顔や体型に似合わない繊細な手つきで、僕の陰茎にコンドームをかぶせる。フェザータッチが気持ちよくて、本当に射精しそうだった。そもそもこんな状況下で勃起し続けているんだから、あの薬の効果は異常だ。
「よし、それじゃ…………挿れるよ? 滝沢、なぁ、滝沢。俺を見て?」
唐突な甘え声にゾッとする。このイカれっぷり、もしかしてこの男の尻にはあのローションが仕込まれているんじゃないだろうか? そんな考えが頭を過り泣きたくなったが、僕は先ほど付けられたラテックスを信じて、室井の目を正面から見つめ返した。今まで浴びたことのないくらい、恍惚とした眼差し。
「んっ、アッ、あぁんっ…………きたぁ、挿入ってキタ♡ 滝沢のチンコぉ……♡」
柔らかくてふわふわしているのに、物凄い圧迫感。拡がりやすい女の膣や、ふざけて試した未開発のアナルなんかとは全然違う。さながら、セックスのためだけに作られた器官のよう。
「アッ♡ アッ♡ アッ、滝沢だめぇ♡ 我慢できないっ……!!」
「ぅあっ……ちょ、無理っ……あ、もうっあっ……」
室井が高い声を上げたと思えば、一気に陰茎の根本まで気持ちのいい肉の壁に飲み込まれてしまう。ずしんと重い体が太ももに乗ったと同時に、僕は呆気なく室井の中で射精した。
「あっ……あぁ、イッた、…………」
リズミカルに収縮を繰り返す下半身、急激に高まる心拍数、脳内に広がる幸福感。薬で勃起してからかなり長い間焦らされていたせいか、それは今まで体感したこのないほどの衝撃と快感だった。それらがどっと押し寄せたと思えば、今度は次第に背筋が冷えてくる。このタイミングでイってしまうのは、許されるだろうか。
「あんっ♡ 滝沢のチンコ、ナカでドクドクしてるぅ……♡」
しかし、まるで自分も絶頂したかのように背中を反らせる室井に、僕は内心胸を撫で下ろした。室井は僕の反応が完全に収まるまで余韻を味わっていたようだが、それが終われば、ニヤニヤと人を小馬鹿にするような顔をこちらに向ける。
「ってか、滝沢、お前イクの早すぎだろ。三擦り半どころじゃねぇな。……まぁ、いいわ。このまま二回戦な」
「ご、ごめんって…………え、このまま?!」
「別にいいだろ。おら、早く硬くしろよ、馬鹿が」
室井の指先が僕の頸動脈を探るような動きをしたから、首を絞められるのかと思ったが違った。大きな手のひらに左頬をすっぽり包まれたかと思うと、やや紅潮した顔がぐっと近づいてくる。
「んっ……?!」
口唇と口唇が押し合い、隙間からぬるりと湿った舌が滑り込んできた。室井は僕の舌の裏側、舌小帯を舐め上げると、そのまま口蓋をゆっくりとなぞり始める。息苦しくなるくらい丁寧に、奥の柔らかいところまで襞を撫で尽くすと、今度は奥歯から順に歯の形を確かめるように舐めていく。こんな、愛撫されるようなキスは初めてかもしれない。
「んん……ふぅ…………」
唯一動かせるはずの頭も、室井の右手にがっちりと両頬を固定されていてびくともしない。流し込まれた唾液に抗う術もなく喉を鳴らせば、連動するように腹が動いて、さらにその下の体の変化に気が付いてしまう。
「あ、またデカくなってきてる。わかる? 俺のナカで、自分のザーメンでヒタヒタになりながら、また勃起してる。このドスケベ」
少しだけ顔を離した室井は、クスクスという笑い声を立てながら、嬉しそうにそう言った。唇を舐める仕草が艶めかしく映り、僕は思わず視線を外す。
「滝沢。俺のこと、遼って呼んで」
「…………へ?」
「聞こえねぇのか? 名前呼べっつてんだろ」
打って変わったどすの効いた声に、心臓が竦むような気がした。僕は死に掛けの魚みたいに口をパクパクと動かして、やっと思いで言うことを聞く。
「っ、遼……?」
「うん。悠人、素直になった。いい子だね。……好きだよ、悠人」
幼子のように頭を撫でられ褒められて、ほんの少しだけ温かい心地がした。室井は、ブランコを漕ぐように小刻みなグラインドを始め、徐々にその動きを大きくしていく。それに合わせて、粘性の高い液体がかき混ぜられて泡立つときの、ぐちゅぐちゅという空気を含んだ水音が部屋に響いているのを、僕はただ呆然と聞いていた。
「あ、あぁっ♡ 悠人っ♡ 悠人好きぃっ……!! すき、あっ♡ きもちいっ、あんっっ♡」
好きってなんだ、好きって。僕のことが憎いんじゃなかったのか。
身動きの取れない身体。強制的に与えられる快楽。脈絡のない室井の豹変。現実的過ぎるほどの生臭さ。すべてが、終わりのない悪夢のようだった。
◇◇◇
目覚めたときの景色に、すべてがただの夢ではなかったと思い知る。
……いや、夢で堪るものか。あんなに理解不能で不愉快で悪趣味なものを、自分の脳内が作り出したのだとしたら、それこそショックで立ち直れない。
昨日と同じベッドに寝ていたが、拘束具は片付けられている。両手足首に残る跡と節々の痛みが忌々しい。切り裂かれたはずの衣服は身に着けておらず全裸だったから、僕はその場にあったブランケットを腰に巻いて、家主を探しに寝室を出た。
「お、やっと起きたか。遅いから起こしに行こうかと思った。おはよう、ぐっすり眠れたか?」
廊下の突き当り、リビングに顔を出せば、好青年風の男がエプロンを付けてキッチンに立っている。これこそまさに、悪夢と地続きの現実だ。僕は眩暈がしそうなのを堪えて、澄ました表情の室井に詰め寄った。
「ぐっすり眠れた? はぁ? あのねぇ、室井君? 自分が何をやったかわかってる?」
「おい。何だよ、その言い方。酷いな。……室井君だなんて白々しい。昨日あんなに愛し合ったのに忘れたのか?」
室井はフライ返しで掬ったパンケーキを飾り気のない白い皿に載せながら、困ったように肩を竦める。昨夜の粗暴さも下品さもない声音。恐らくこれは、大学卒業後に作り出された余所行きの人格だ。
「いやいや、意味がわからない。僕はお前に薬を盛られて襲われて……んっ?!」
突然、皿を置いた室井に肩を抱き寄せられ、唇を奪われた。あまりのことに一瞬呆気に取られたが、すぐに寒気がして、その厚い胸板を押し返して顔を背ける。
「なっ……やめろ、ふざけるなっ!!」
唇こそ離れたが、腕力で勝てるはずもなく、僕の体は室井の腕の中にすっぽりと納まったままだった。フェザータッチで腰を這った指先が、ゆっくりと仙骨の辺りをなぞる。室井は僕の耳に息を吹きかけるようにしながら、昨夜と同じ低い声を出した。
「ウブな反応すんじゃねぇよ。そんなカッコで誘ってんのか?」
「はぁ?!」
「俺達は昨日、恋人同士になったんだぜ? 悠人。これは正式な契約じゃねぇ。だからどんな手順を踏んでも覆すことはできない。無法者のクソ野郎が、逃げられると思うなよ?」
信じられない。室井如きがこの僕を脅すなんて。
頭に血が上る感覚なんて久しぶりだ。僕は少し力の緩んだ腕を振り解いて、室井に舐められた唇を手の甲で拭う。
室井は再び嘘くさい笑顔を顔面に浮かべながら、馬鹿みたいな量のホイップクリームを皿に盛っていた。仕上げには粉砂糖まで振り掛けて。
「はは、悠人って朝弱いタイプ? ま、これでも食って機嫌直せよ。レモンリコッタパンケーキ、好きだよな?」
「食べるわけないだろ」
「食わねぇなら服貸してやんねーよ。まぁ、俺としては一生ここに全裸でいてくれても構わねぇけど。ほら、さっさと座れ」
おかしい。まだ薬の影響が残っていて、思考が混乱しているのだろうか。室井のその低い声を聞くと、なぜか従いたくなってしまう。それに加えて、甘い匂いが冷静な判断力を奪っている気がする。駄目だ、空腹には抗えない。
……大体、室井は何で僕の好物を知っているんだ? そんな話をしたことなんて、一度もないはずなのに。
おわり
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