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2 ガリ勉、宣戦布告する

 いよいよ入学式が始まる。僕はそわそわしながら、式の進行を見守った。正直、主席入学者の代表挨拶以外、興味はない。  校長先生や生徒会長がありがたいスピーチをしているけれど、そんな御託はどうでもいい。僕に勝った奴は、一体、どこのどいつなのか。  新入生挨拶のアナウンスが響く。来た。僕は顔を上げて、壇上をにらみつけた。 「新入生代表。ジェラルド=マクソンくん」  はい、と凛々しい声があがる。壇上近くの席で、黒髪の生徒が立ち上がった。  僕はメガネをかちゃかちゃ鳴らして、その顔を凝視する。  どう考えても、さっき挨拶した「ジェラルド」だった。ジェラルドは堂々とした足取りで壇上へ上がり、とうとうとスピーチを始める。姓があるということは貴族階級か。いや、マクソン伯爵家が養子を迎えたという噂を、お母さまが話していた……。  朗々とした声が響き、それは僕の右耳から入って左耳へ抜けていった。あいつが、学年首席。僕を打ち負かした、たった一人の男。  めらめらと、どす黒い闘志が沸き立つ。それはジェラルドが見るからにかっこよくて、爽やかで、顔立ちが整っていて、いい男だからじゃなかった。僕よりもテストの点が高い。それだけで、僕の闘志は、無限に湧いてくる。  入学式は粛々と進み、各々の教室へと移動する段になった。ジェラルドも戻ってきて、ずっと空いていた、僕の前の席へ座る。  順番に生徒たちが立ち上がる中、ジェラルドはくるりとこちらを振り向いた。 「や」  気軽に微笑む彼に、口をへの字に曲げた。僕の表情に、異変を悟ったのだろう。ジェラルドは目をぱちぱちさせて、「どうかした?」と尋ねてくる。 「きみか。一般入試首席というのは」 「うん。なんか、そうらしい」  ふん、と鼻を鳴らす。これだから地頭のいい奴は嫌いなんだ。自分のできることの素晴らしさに気づかず、「当たり前だ」という顔をする。  もっと誇らしく思わないのか? この名門に、首席入学したことを、もっと鼻にかけてもいいだろうに。人間としても負けた気になって、なおのこと顔が歪む。 「僕はエリス=ライブラ。入試では次席の成績だった」 「お、そうなんだ」  あくまでも、ジェラルドはにこにこ笑っている。で? と言わんばかりに首を傾げられたので、僕は意気揚々と宣言した。 「次のテストでは、絶対に僕が勝つ。いつまでも、きみの天下とは思わないことだ」  しん、と空気が静まり返った。あれ、と首を傾げつつ辺りを見渡す。みんな、僕から目を反らす。ジェラルドだけは、へえ、と目を細めて、僕を見つめていた。だけど真顔だ。 「エリスは、俺に勝ちたいんだ? テストなんかで?」 「……テストなんかって、随分と余裕だな」  全身の毛が逆立つみたいだ。僕が威嚇するみたいに目元を歪めると、ジェラルドは「そっか」とわずかに口の端をあげた。多分、笑った。 「エリスって、面白い奴だな」  は? と、間抜けな声が漏れた。そうこうしている間に、僕たちのクラスが呼び出される。僕はジェラルドの「面白い奴」を延々反芻していた。教室へ着いて、席に座って、教科書を配られても、茫然としていた。  配布された教科書をぱらぱらとめくりつつ、「面白い奴」について、ずっと考え続ける。 「エリス。前向け、前」  しかもジェラルドは隣の席だった。慌てて教科書を閉じて、前を向く。担任の自己紹介が終わるところだった。  そこから、生徒たちの自己紹介の番が回ってくる。苦手だ、と目を瞑って、内心頭を抱えた。他の生徒たちはすらすらと答えている。そのたびに拍手が起こって、僕はどんどんドツボにはまっていった。  何を言えばいいんだろう。とりあえず、話を聞いている限り、名前を言えば最低限大丈夫みたいだ。その路線でいこう。さすがの僕でも、ここで学力なんてものを持ち出すほど野暮じゃないし、馬鹿でもない。 「では、次。ライブラくん」  僕はおずおずと立ち上がり、「エリス=ライブラ。よろしくお願いします」とだけ述べる。教室のどこかで、口笛が聞こえた。 「よっ! 次の学年一位!」  途端に、背筋がしゃっきり伸びる。胸を張り、「そうです」と答えた。  その瞬間、教室中がどっと爆笑の渦へと巻きこまれる。腹を抱えて笑う者がいれば、失笑をこらえきれなかったらしい者もいた。  僕は驚いて、慌てて席に座る。何か、変なことを言ってしまっただろうか。隣の席のジェラルドをそっと見ると、彼も笑っている。くつくつと喉を鳴らして、机を軽く叩いて。 「あー、エリス。きみ、最高だ……」  くくく、と笑うジェラルドに、耐えがたい羞恥心が渦巻く。唇を噛んで、「本気だぞ」と呟いた。  ジェラルドは「おもしれー奴」と呟いて、立ち上がった。悔しくて歯噛みする僕をよそに、ジェラルドはつつがなく自己紹介を済ませる。今度は、みんな何も言わなかった。  オリエンテーションが終わり、一段落ついた頃だ。ジェラルドの周りには、わらわらと人が群がっていた。僕の机にも何人か推薦入試組が来たけれど、つまらないことしか言わなかったから追い返してやった。  どうしてわざわざ推薦を受けたんだ、とか。オメガなのにすごい、とか。僕の容姿を褒めてきた奴もいる。挙げ句の果てには、隣にジェラルドがいるのに、「平民のくせに目立ちたがりだ」と彼の悪口を吹き込んできた。  全部くだらない。数字……テストの点数以外に、嘘をつかないものはない。テストの点で算出される学力だけは、僕を裏切らない。  勉強すれば勉強するだけ、テストの点はあがるはずなんだから。  血統がなんだ。オメガだからなんだ。そんな先天的で、努力ではどうしようもないもので、人の価値が測れるわけない。結局、学力だけが公平な物差しなんだ。それでしか、僕は僕を認められない。  そんな物思いにふけっている間に、休憩時間は終わっていたらしい。そこからさらに、学園生活の注意事項についての説明が始まる。 「この学園には、多くのアルファの生徒、そしてオメガの生徒がいます」  担任は、ネックガードと、二本の小瓶を教壇の上へと置いた。それぞれオメガの防具と、アルファ用、オメガ用のヒート抑制剤。自然と背筋が伸びた。  僕の首元を戒める、黒い首輪。 「オメガのみなさんは学校指定のネックガードをしてください。あなたのみならず、アルファの生徒を守るためでもあります。過去には、学園内で、番事故が起こった例もありました」  要は、ヒートで迷惑をかけるな、という話だ。  この世界には、男女に付属して、三つの性別が存在する。アルファ、ベータ、オメガ。ベータに特記すべき特徴はない。アルファは男性としての強い生殖能力を持つ。オメガは女性としての強い生殖能力を持つ。  オメガはヒートに入るとフェロモンを垂れ流して、アルファを誘う。そしてアルファは性的興奮を催し、ともに強い性衝動に襲われる。  そしてセックスしながらアルファがオメガの項を噛むと、二人は決して離れることのできない「番」となる。  だから何? だ。僕は赤ちゃんを産めるらしいが、それが僕の学力に、何の関係があるというんだ。  まったくもって不合理で、理不尽で、恐ろしい生態だ。僕はまだヒートを経験したことがないけど、きっとろくでもないんだろう。  教室の中でネックガードをつけているのは、僕だけだった。何人か、僕へ視線を向けて、すぐに目を逸らす。だったら最初から見るな。こっちは見世物じゃないんだ。  そして入学初日は、これで解散となる。僕は荷物をまとめて立ち上がり、すぐに帰宅の姿勢に入った。 「あ、エリス。一緒に帰ろうよ」  そこでジェラルドが呼び止めるので、僕は驚いて立ち止まってしまった。ジェラルドの背後から、何人かの女子たちの視線が僕に突き刺さる。彼女たちを一瞥して、僕は肩をすくめた。 「僕なんかと帰るより、そっちの子たちと帰った方が、楽しいと思うけど」  僕はくるりと踵を返して、とっとと教室から出て行った。ジェラルドが僕を呼ぶ声が聞こえたけれど、構うものか。  それに僕だって、他にやることはたくさんある。  校門には、もう迎えが来ていた。茶髪の小柄な男が、僕を見て恭しく礼をする。  僕の「お守り」をずっと担当している、男性でオメガのルークだ。僕の兄貴分のような人で、年齢は三つ上の十九歳。  ずっと僕の側にいて、つらい時期を支えてくれた人だ。 「あ、坊ちゃん、おかえりなさい。学校は楽しかったです?」 「ああ、有意義だった」 「なるほど。お荷物、お持ちしますよ。教科書が入って重たいでしょう」  ひょい、と荷物を取り上げられた。ルークは軽い口調に反して義理堅く、信頼のおける奴だ。  家族思いで、たくさんいる弟や妹の面倒をよく見ている。それに僕のことも、なんだかんだ、よく見てくれている。 「お屋敷には、いつものメンバーが集まっています。坊ちゃんを今か今かと、みんな待っていますよ」 「じゃあ、急いで帰らないとな」  僕は大きく頷いて、すこし速足で歩き出した。

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