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25 本心(ジェラルド視点)

 支援を申し入れたとき、おじいさまは、茫然と俺を見た。  だけどすぐ、母と、俺のきょうだい――孫たちを引き取ると言った。 「あの卑しい男は知らん。どこぞにでも行けばいい、金ならやろう」  吐き捨てるように言う。彼は、俺の父を見捨てようとしていた。ふざけるな、と、腹の底から声が出る。 「父さんをなんだと思ってる。その血とか貴族とかいう最悪の理由で、母さんを捨てたんだな、あんたは」  俺が反抗するなんて、思ってもみなかったんだろう。おじいさまは、俺を見上げて、顔をひきつらせた。俺だって、こういう風に人を怖がらせたくなんかない。心臓がどくどく脈打って、うるさかった。  だけど、今のは聞き逃せない。  父さんも、俺の大事な家族だ。たしかに俺があの家族に生まれたせいで、大変なこともたくさんあった。貧乏なのに、家族はたくさん。家の中にあるのは、俺への期待。  それからあたたかな父の手料理に、母の刺繍が施された質素な衣服。手作りのおもちゃ。下のきょうだいたちの、はしゃぎながら遊ぶ声。  俺が、俺のこれまでをかたちづくった人たちを、見捨てられるわけがない。  おじいさまはおろおろと、俺を宥めようとする。 「私は、お前を後継者へ指名しようと考えている。その時、卑しい血が混じっているということは、大きな痛手になるのだ。お前の父を排除するのは、お前のためなのだよ」 「上等だ、いくらでも痛いのを喰らってやる。俺に卑しい血が流れていようがいまいが、俺は俺だ」  頭にきた。これまで分かったふりをしてきたことに、ちゃんと「分からない」と言うときなんだろう。 「俺を理由に、あなたの気に食わない奴を排除するな!」  おじいさまは、俺をじっと見つめた。そして目を瞑って、机に手を置いた。深くため息を吐く。 「その頑固なところは、母親譲りだな」 「いいえ、父親譲りでもあります」  俺がきっぱり言い切ると、彼は苦く笑った。そして、家族全員を受け入れると、約束してくれた。  こうして、うちの家族全員が、家へと越してくることになった。母は最初渋い顔をしていた。だけど、オメガの子どもがいる以上、背に腹は代えられなかったんだろう。  支援といっても、金銭的なものだけじゃ限界がある。父が、そう説き伏せたのも大きかった。  俺たち家族は、マクソン伯爵家の玄関ホールで再会した。真っ先に、オメガだったという妹が駆け寄ってくる。 「お兄ちゃん!」  妹は、俺にすがってわんわん泣いた。ずっと不安だったんだろう。不憫で仕方なくて、何度も撫でて慰めた。  両親とおじいさまの間にどんな会話があったか、俺は知らない。だけど、子どもたち全員にマクソンの姓が与えられることになった。母の籍も、戻すことになった。父も、家へ入れることになるらしい。  そのせいで、学校を休むことになった。家のごたごたで、あっという間に一週間が溶ける。  親戚連中の反対。蔑み。  実家へ戻ってきた母と、俺たち家族への嫌がらせ。  母がアルファで、父がベータ。とやかく言われるのはそれが原因だろう、と思う。よく分からないのだけど、どうやらアルファ女性にとって最も避けるべき婚姻は、ベータ男性との結婚らしい。  劣った種で生まれたくせに、と声高に主張する親族たちを黙らせられないまま、一週間が経った。  それでも俺は、跡継ぎを降りようとは、全く思わなかった。  ここで折れたら、みんなが困る。それに、このままだとエリスの隣に行く時、逃げ場にするみたいになる。  エリス。  あんな別れ方をしたから、心配だ。ほとんど喧嘩別れみたいなものだったと、思っている。  すぐに謝ろうと思っていたのに、随分時間が経ってしまった。もう、間に合わないかもしれない。  それからあんなことを言ったのに、おじいさまは、俺を見放さなかった。  本当に、ありがたかった。同じくらい申し訳なかった。  おじいさまの書斎に呼び出されて、これから受ける後継者教育の説明を聞いた。頷く俺に、おじいさまは「ふむ」と顎をさする。 「ジェラルド。お前が気にすることなど、何もないのだよ」  思ってもみない言葉だ。目を丸くする俺に、おじいさまは、「お前の考えくらい、分かる」と苦笑した。 「むしろ、私のわがままに付き合わせて、お前の人生を巻き込んだ。その責任が、私にあるというだけだ」  俺は、頭を下げた。この人は頑固で、偏屈なところがある。俺はそう思ってしまう。  だけど、器の大きい人だ。それは間違いない。  おじいさまは、俺を見て、優しく目を細めた。 「お前を学校から遠ざけてしまって、すまない。しかし、あと少しの辛抱だ」  はい、と頷く。  おじいさまは、「そういえば」と、顔をあげた。 「よく私に話してくれた、仲のいい友人がいるだろう。たしか、貴族階級だと言っていたな」 「……はい」  エリスのことだろう。おじいさまは、「そうか」と頷いた。 「彼とはこれから先、交流する機会も増えるだろう。社交界での立ち居振る舞いを、その子から学ぶこともあるだろうな」 「……はい」  おじいさまは、俺をじっと見つめた。ふむ、と考え込む素振りを見せて、窓の外を見る。今にも雨が降り出しそうな、分厚い雲が垂れこめていた。 「喧嘩をしたのか?」  言い当てられる。驚いた。俺の気持ちは、そんなに筒抜けだったのか。  思わず身体を震わせる俺を見て、おじいさまは穏やかに笑った。 「そんな中、この騒ぎか。よし」  おじいさまは使用人を呼び出した。傘を持ってこい、と命じて、俺に視線を戻す。 「お前、謝ってきなさい」 「え、ええ」  戸惑う俺に、傘が手渡される。おじいさまは、「いいから」と、立ち上がって俺の背中を押した。 「彼が大事な友人なのであれば、すぐに行動するべきだ。ちなみに、誰なんだ? 名前を言ってくれ。私の知り合いかもしれない」  おじいさまの目に、好奇心が光る。俺は観念して、言った。 「エリス=ライブラ。……友人っていうか、大切な人です」  おお、と、おじいさまは感嘆の声を上げた。俺は耐えきれなくなって、傘を持って走り出した。  玄関を出て、街を走る。恥ずかしさを振り落とすみたいに、必死だった。  貴族年鑑には、それぞれの家が持つ邸宅の住所も載っている。ライブラ家の屋敷の場所も、俺はちゃんと記憶していた。  真っすぐ、そこへたどり着けた。  とはいっても、やっぱりうまくはいかない。エリスは学校へ行っていて、対応してくれたのは、彼の兄だった。  アルファなんだろうか。俺よりも背が高くて、威圧感がある。  要約すると、「お前にはエリスを会わせない」と言われた。彼の言うことはもっともだと思う。おじいさまも、俺も、衝動のままに行動しすぎた。  気づくと、雨が降ってきている。せっかく傘を持ってきたのに、意味がなかった。  交渉は、あっという間に決裂だ。傘を開いて、とぼとぼと歩き出す。背後から、俺を呼び止める声がした。 「ジェラルド、待って!」  エリスだった。こんな雨の中、傘もささずに、一生懸命こっちへ走ってくる。  そして、盛大に転んだ。 「エリス」  たまらなくなって、彼へ駆け寄った。助け起こす。  エリスの眼鏡が吹き飛んで、スカイブルーの大きな瞳が、直接見えた。眼鏡を拾って、差し出す。レンズは割れていない。ハンカチを取り出して、ずぶ濡れの彼を拭いてやる。  それから、俺たちは、少しだけ話ができた。  エリスには、俺たちの話が聞こえていたらしい。気まずい。  だけど、俺には、エリスに言いたいことがあった。  一週間前のことを、ちゃんと謝った。エリスは、そんなの、全然気にしていなかった。  嬉しくて、つい、弱音を吐いてしまった。俺が貴族の跡継ぎなんてできるのか、不安で。  でもエリスは俺を真っすぐに見て、言い切ってくれた。 「きみは、すごい。努力家だし、優秀だ。跡取りという立場が、分不相応なわけない」  俺の呼吸が止まる。エリスの言葉が、じわじわと胸へ沁みていく。  抱きしめたいと思った。  俺の隣に、ずっといてほしい。  エリスの大切な人になりたい。ふさわしい人になりたい。  こうして、俺の目標は定まった。  それからの毎日は、まるで矢のように過ぎた。  はやく学校へ行きたい。  それで、エリスに、告白するんだ。好きだって。  結局、今のごたごたの収拾がつかなくて、また一週間も学校へ行けなかった。  形式上、俺を跡継ぎにするための、最後の手続きが終わった日。夕方になってしまったけれど、時間ができた。学校はまだ開いている。エリスはきっと、図書室にいる。 「俺、学校へ行ってきます」  制服に着替えて、おじいさまへ外出することを伝える。彼は目を細めて笑った。 「そうか。行ってらっしゃい」  はい、と返事をして、俺は家を飛び出した。  はやく、エリスに会いたい。  学校へ着いて、真っすぐに図書室へ向かった。エリスの姿はなかった。もう、帰ってしまったんだろうか。そういえば、彼は「教室」を開いていると言っていた。今日が、その日だったんだろうか。  運がなかった。俺は踵を返して、とぼとぼと歩く。  それでも諦めきれなくて、中庭や、校庭までぐるりと歩いた。もしかしたら、彼がまだ、残っているかもしれないと思って。そんなわけ、ないのに。  ふわりと、花の香りがした。エリスのにおいだ。  もしかしてと思って、顔をあげる。窓越しに、そこの教室に入る人影があった。  エネメラ先輩だ。誰かを連れている。  その人が誰かは分からないけれど、ちょうどエリスとよく似た体格だ。  嫌な予感がした。一番近くの昇降口に向かって、全速力で走り出す。  予想が合っていなければいい、さもなくば間に合ってくれ、と思いながら。

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