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崇拝型②
一限目、国語の時間。
気分は落ちていた。最悪だ。音読をしなければいけない。内容はいまいち理解しきれない評論文だし、テンションが下がる。自分の番が来て、席を立つ。緊張で震え裏返りそうな声を抑えつけながら、句点まで何とか読み終えることが出来た。たいしたことではないのに、嫌な汗が流れる。
ふと、隣を見る。もう少しで、文月くんの番が来るはずだから。しかし、どうも様子がおかしい。挙動が不審だ。ぺらぺらと控えめにページをめくる音がする。ずっと同じ見開きを読んでいると言うのに。──まさか。嫌な予感がする。
どこを読んでいるのか、わからないのか。口を出すこともできず、動向を見つめて確信する。濡れ羽色の髪から覗く耳が、焦りからか赤く色づいていた。
そうこうしているうちに音読の順番は進んでいく。あと五人。彼は、というと、すぐそこまで迫っているのに読む場所が未だに見つかっていないようだった。必死に視線で行を追い、ページをめくっている。あと、三人。混乱と焦りが瞳に浮かんで、見ているこっちにも緊張が移りそうだ。
ああ、もう見ていられない!
『P36、二段落目からの一行目が文月くんの読むとこだよ』
筆箱に入れていた付箋。それに走り書きをしてから、わざと消しゴムを落とす。拾う動作と同時に教師の目を盗んだ瞬間彼の机に貼り付けた。見えたノートには、文字がずらりと書いてある。板書に時間を取られ、ついていけなくなってしまったのだろう。
彼のまん丸になった目が、ちらりと見えて。付箋へと向けられる。一瞬のうちに読んだのか、教科書へすぐに視線を向けた。お世辞にも字は上手いと言える方ではないが、読めは……する、はずだ。
そうして俺が居住まいを正した頃には、彼の読む順番が回ってきていて。……何事もなく、文月くんは自分の箇所を音読できたのだ。
心の中で、人知れず小さく息をつく。よかった。正直、人が恥をかく姿はあまり見たくないのだ。その人へ過剰なまでに感情移入して、勝手に辛くなってしまうから。
授業は終わった。無事に、何事もなく。……それが普通なのだけれど。
「はあああ……」
いつになく途方も無い疲労に息を吐いた。なんだか暑い。
「あ、あの、田山、くん」
低い、柔らかく控えめな声。そちらを向けば、視線をうろつかせながら、文月くんが唇を開いた。
「え、と……さっきは、ありがとう。おれ、どこから読むのかわからなくて、すごく助かった……」
「あはは、めちゃくちゃ焦ってたのわかったよ。間に合ってよかった」
笑って返せば、ぽり、と照れたように頬をかいてはにかむ。なんだか、ちょっと可愛らしかった。思ったよりも接しやすい人のようで安心する。
「そ、そんなに? ……恥ずかしい、な」
「真面目にノートとって板書してたでしょ。えらいね」
「板書……? ……あ。その、あれは……」
「……?」
煮え切らない反応。
なんだろう。落書きしてた、とかだろうか。だとしたら、何を描いていたのか見せて欲しいけど──それを頼むのは、もう少し仲良くなってからだろう。
「……なんでも、ないから。気に、しないで」
「そっか、わかった」
特に追求することもしない。困らせてしまうだけだろうから。ああ、そうだ。彼さえ、もし良ければだけど。
「そうだ。よければなんだけど……今日の昼、一緒に食べない?」
言えば、ぱあ、とわかりやすく喜色が広がる。
「っうん! おれも、一緒に食べたいと思ってた……!」
口元を緩ませて彼がはにかむ。小さな子どものようで、思わず吹き出してしまう。
なんだ。今まではどんな人かと思っていたが、付き合いやすい良い子ではないか。席が隣になれたことに感謝しつつ、俺も同じように笑って返した。
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