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第20話
どれくらい泣いていたんだろう。
泣きすぎて脱水になっているのか、頭が痛い。
声を上げて泣いたのは、いつぶりだろう。
発情期の時も泣いていた気がするけど、記憶も意識も曖昧だったからわからない。
「……ぐすっ、はぁ……」
深く息を吐き出し、気持ちを落ち着ける。
僕が泣いている間、ハルくんは何も言わず、静かに僕をずっと抱きしめていてくれた。
優しい、優しい、優し過ぎるハルくん。
これ以上ハルくんに迷惑をかけるのはダメだよね。
「ハルくん、ありがとう。ごめんね」
彼の胸をそっと押して離れようとすると、彼のワイシャツが僕の涙でしっとりと濡れてしまっていることに気付いた。
「……ホントに、ごめんね……」
いっぱい泣いたから、僕の気持ちはなんだかスッキリした気がする。
でも、ハルくんの服を汚してしまった。
僕みたいなダメなΩが、ハルくんに触れるなんて……許されないのに……
「服、汚しちゃってごめんね。いっぱい泣いたから、うん。大丈夫。もう、大丈夫……だから……」
自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
ハルくんに抱きしめて貰いながらいっぱい泣いたから、もう大丈夫。
ずっと胸の奥にあった黒い塊は、少しだけ……ほんの、少しだけだけど、小さくなった気がする。
これで、また頑張れる……
大丈夫。もう2年以上続けて来たんだから……
今までと一緒……
また、シゲルさんが帰って来てくれるのを、あの部屋でひとりぼっちで待つだけ……
次に僕の元に帰って来てくれるのはいつなのかわからないけど、もう、慣れたから……
だから、大丈夫。
あんな発情期 、もう来ないで欲しいなぁ……
発情期なんて……なくなっちゃえばいいのに……
「すうぅぅぅっ、はぁ――」
胸いっぱいに息を吸いこみ、ゆっくりと吐き出す。
何度か繰り返すとやっと涙も落ち着いた。
「うん。ハルくん、いっぱい迷惑かけちゃってごめんね。もう大丈夫!忙しいのにホントにごめんね。そろそろ帰るね。お礼は……またハルくんの時間が取れる日があれば教えて?後日、ちゃんとお礼するね」
ハルくんに向かって、いつもと同じ笑顔を作ることができた。
いつも作っている笑顔。
何もかもを誤魔化すために浮かべる笑顔。
もう、作りすぎちゃって、本当の笑顔はどうすればいいのかわからなくなってしまった。
シゲルさんなら、こうやって笑えば許して貰える。
笑顔を見せていれば、嫌われなくて済む。
素直に言うことを聞く、お人形みたいな笑顔。
でも、ハルくんには通じないんだよね……
ちゃんと笑顔を作ったのに……バレちゃった。
さっきよりも心配そうな顔で僕を見つめてくるハルくん。
「ミツ……、笑わなくていいよ。無理して、笑わなくてもいいんだよ。アイツは帰ってこないから……。ずっと……、ずっと、ココにいろよ」
ハルくんの心配してくれる声が嬉しい。
僕のことを想ってくれる気持ちが嬉しい。
「病院だって行かなきゃいけないだろ?傷だって化膿しているし、あんな大量の抑制剤を飲んでたんだぞ?」
恐る恐る僕の手を握り締めてくるハルくんの手は震えていた。
「あんな部屋に、ミツを帰せるわけないだろ……?頼むから、ココに居てくれ……」
あぁ……やっぱり、ハルくんには色々バレちゃってるのかな……
ハルくんにも、嫌われたくないな……
ハルくんだけには、嫌われたく、なかったなぁ……
そっと目を閉じでハルくんの言葉に耳を傾ける。
「ミツ、頼むから病院の検査だけでも受けてくれ。頼むから……これ以上、心配させないでくれ……」
震えているハルくんの声が、心地いいなんて思ってしまう。
本気で僕なんかのことを心配してくれるハルくん。
嫌われたくないから、今すぐココを出て行かなきゃってわかってるのに、帰りたくない。
「ねぇ、ハルくん……僕の話し、聞いて……くれる?」
こんな話をすれば嫌われるかもしれない。
呆れられるかもしれない。
同情、してくれるかもしれない。
哀れんでくれるかもしれない。
側に、居てくれるかも、しれない……
「ハルくんと最後に会ったあの日から……シゲルさんは……」
ハルくんが出張に行っていた3ヶ月。
離れている間にあった発情期のこと……
ずっと帰って来てくれない番 のこと……
メッセージを送っても、電話しても、泣き叫んでも、彼は僕の元に帰って来なかった。
ひとりでずっと耐えていた。
ひとりで、耐えるしかなかった。
「発情期なんて、なんであるんだろうね……。『番 』なんて、なんであるんだろうね……」
壊れることでしか耐えられなかった発情期。
耐えて、耐えて、耐えて……耐え切れなくなって、何もできなくなった。
生活もままならなくて、唯一できたのは、林田さんにバレないようにメッセージを自動返信させることだけ。
ハルくんにだけは、バレたくなかったから……
助けて欲しいのに、これ以上迷惑を掛けちゃダメだってわかってたから……
それなのに、いつもよりもずっと多い頻度で起こる発情期。
『番 』のいない僕に唯一できたことは、 『死』を覚悟することだけ。
寂しくて、悲しくて、誰にも頼れなくて……
断片的に覚えている想いをぽつりぽつりと口にする。
「『番 』の証 も薄くなってる気が、するんだよね……。やっぱり、シゲルさんは僕のことはもういらないってことなんだろうな……」
泣くように笑うしかできなかった。
「しかた、ないよね。あの子がシゲルさんの『運命の番 』なんだもん。僕は、『偽物の番 』だったんだから……。しかた、ないよね。きっと……」
溜息と一緒に言葉を紡ぐ。
ちゃんといつもの笑顔を作りたいのに、自嘲的な笑みしか浮かべることができなかった。
触れた自分の項 に残る、薄っすらと残っているシゲルさんとの『番 』の証 に爪を立てる。
「こんなことなら、最初から『番 』になんてならなければよかった……」
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