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第25話 隠されているもの_キングの怒りを買う2
普段は陶器のような肌と艶のある瞳と唇を揶揄われ「麗しの黎」とバカにされているような男が、今は顔を歪め般若のように怒気を孕んだ目で葉咲を睨んでいる。
「な、何だよ、柳野」
黎は黙ったまま、口先だけで生きているような集団へと近づいて行った。そして、一人が座っている椅子の足を、踵で思い切り蹴りつける。自分が傷つけられると思ったのか、ビクリと体を強張らせた男子生徒は、いつもと違う黎の様子に「ひいっ!」と情けない声をあげて震えた。
「やめろよ! ぼ、暴力はだめだろ!」
「はあ? お前たちのも暴力だろうが。言葉での攻撃だって立派な暴力だ! んなこともわかんねえのかよ!」
反撃しようとした男が怯えていると、黎の体からゆらりと陽炎のようなものが見え始めた。光彰はそれに気がついて顔を顰めた。
——まずいな、何か憑いたみたいだ。
霊媒体質で心優しい黎は、意図せず浮遊霊と結びついてしまう事がある。今まさに彼の体の周りで揺れる炎の中から、髪の短い女が出てくるところだった。女は赤い目を竜のように怒らせ、怯えて震えている集団を睨みつけている。その女は、今まさに噂の的になっていた者の顔で、集団は短い悲鳴をあげて恐れ慄いた。
「お、おおおおお小野っ?」
黎の体に浮かんで見えたのは、昨日亡くなったはずの小野の姿だった。そして、黎が口を開くとそこから小野の声が響いた。黎と小野の怒りの感情が同調してしまったのだろう、彼は体を半分乗っ取られた状態になってしまっていた。
『あんたたちって、ほんっとうにバカなのね! 最上くんは私を殺したりしないわよ! 私は殺された。犯人はわかってる。でも、幽霊が証言したって、なんの証拠にもならない。最上くんたちに捕まえてもらうわ。あんたたち、邪魔するんじゃないわよ! もし邪魔なんかしようものなら……呪い殺してやるからね!』
突然現れた小野は、黎の体を使って言いたいことを捲し立てると、嵐のように去っていった。その生前の小野と変わらないマイペースな様子に、光彰は不謹慎ながらも思わず吹き出してしまった。
「すげえな、小野やつ。殺されたくせに悲壮感とか全く無いのかよ」
光彰はそう言って笑っているが、他のものは怯え切っている。ぶるぶると体を震わせ、口も聞けないほどに慌てている。
「ぎっ……ぎゃああああ! 本当に幽霊じゃねーか! 俺たち呪われる……!」
葉咲とその取り巻きたちは、ようやく口が利けるようになると、今度は大慌てでそう叫び始めた。そしてそのまま教室を飛び出して行く。喧騒が過ぎ去りシンと静まり返ると、それを待っていたかのように黎はその場に頽れた。光彰はそれを、落ち着いた様子で抱き止める。
「お疲れ、黎」
柳野の家の者は、最上が使役する霊をうつす依代になる。その際にこうして倒れることもよくあることだ。その後の対応にも、もちろん慣れている。あまりにも光彰が手慣れた動きをするため、八木はそれを黙って眺めていた。
まるで何事も無かったかのように黎を部屋へ連れ帰ろうとする光彰を、黙って見送りそうになってしまった。彼らが教室を出ていきそうになったところでようやくそれに気がつき、八木は慌てて光彰を止めにかかった。この状況で校長に会いに行かないという選択をすると、光彰は間違いなく謹慎になると思ったからだ。
「みっ……、も、最上くん、待って! だめだよ、今は校長室に行かないと! この後身動きが取りづらくなるよ!」
光彰はそれを聞いて面倒そうに顔を顰めると「俺にはそんなことはどうでもいい」と答えた。すると、八木は光彰へと走り寄り、その行く手を阻む様にして立ちはだかった。じっと真剣な目で光彰を見ると、何度も被りを振った。
「柳野くんは、僕が保健室へ連れていくから。君は今すぐにでも校長室へ行ってくれ。僕もあんまり人と関わりたい方じゃ無いけれど、君と柳野くんのことは大切にしたいと思ってるんだ。あんなクソみたいな先生たちの思い通りに君が潰されていくのを、黙って見ているのは嫌だよ。それに、君たちを守るのは俺の仕事……。なあ、光彰。わかるだろう? 今は恵那に歯向かうな。そして、たまには俺を頼れ。……七香ちゃんのシートをあげるから!」
「七香ちゃん……? ああ、あれか。あのピンク色のホログラムシート……」
八木は、必死になって光彰を校長室へと向かわせようとしていた。あの死ぬほど大切にしている大好きな七香ちゃんのホログラムシートを、光彰に譲ってもいいと言っているのだ。彼にとっては、それは純粋な善意だろう。昨日までうまく任務を果たしていたであろう八木の思いもよらない不器用さに、光彰は思わず大声を上げて吹き出してしまった。
「あははっ! いらねーよ、俺は。お前が大事に持っててやれよ。その方が七香ちゃんも喜ぶだろ?」
他のクラスの連中が驚くほどの爆笑をする光彰を見て、八木は安堵して微笑んだ。そして、
「ほら、柳野くん預かるよ」
と言って黎を彼の腕から奪うと、軽々と抱き抱えた。八木は屈強な体躯をしている。仕事柄必要だから鍛えてあるのだと、昨夜彼らに話したばかりだ。
「柳野くんを保健室に連れていくくらいは、お安い御用だからね」
そう言って腕力を示そうと、筋肉を見せつけてくる。戯ける八木に、光彰は信頼の笑顔を返した。
「わかった、頼むよ。……ありがとうな、八木」
八木は光彰のその笑顔を見て、満足そうに笑った。そして、「うん。ほら、行っておいで」と光彰の肩に自らの肩を押し当てる。それは、業務上の行為というよりも友情の現れだろう。光彰は、この学園に来て初めて、誰かに守られる喜びというものを感じたような気がした。
「おー。いってきます」
教室のドアを開け、八木へと手を振る。そして、そのまま職員室の奥にある校長室へと向かって歩いた。
◆
ちょうど職員室の前を通り過ぎようとしたところ、たまたま来客が帰るところだったらしく、教務主任の市岡がドアを開けて頭を下げているところが見えた。光彰は、なんとは無しに市岡が見送りをしている人物の後ろ姿を見た。そして、それが誰であるのかにすぐ気がついた。ここでその姿を見つけられたことが嬉しく、僅かに顔を綻ばせる。まるで小さな子犬のように、その背中を追って走り出した。
「父さん」
そう呼ばれた人物は、厳しい表情をしたままゆっくりと振り返る。そして、自分を呼び止めた者が息子だとわかると、彼と同じように表情を和らげて「ああ、光彰」と返した。
光彰の父の最上辰之助は、厳格なことで知られている。この学園の理事長で、あの風紀の乱れた生徒をチェックしてはボーナスを得るという、生徒にとっては迷惑極まりないシステムを発案した人物でもある。
そんな彼は、父親としてもとても厳しいことで知られていた。しかし、それは対外的なイメージ戦略であって、実際の彼はとても優しい父親として家族に大変愛されている。
甘やかすことは無いのだが、子供の言うことに全く耳を貸さないという事もない。光彰のすることをいつも面白がって聞いているような、ちょっとした幼稚さすら持ち合わせていた。厳格で慈しみ深く、楽しい存在。多面的でとても面白みのある人物だ。
「父さん、もしかして俺のことで臨時の理事会でもありましたか?」
光彰は僅かに父の後ろを歩きながら、申し訳なさそうに訊ねた。しかし、辰之助はまるで大したことなど何も起きていないかのように朗らかに笑った。そして「うん。そうだね」とあっさりと答えた。
息子の素行が悪くて呼び出されたにも関わらず、いかにも楽しそうにしているところが、彼が食えない人であるということをよく表している。辰之助は光彰の方へと向き直ると、その耳元へ顔を近付けた。そして、
「話は家で聞くよ」
とだけ言い残す。戸惑う息子をそのままに、陽気に手を振りながら帰っていった。
「家で……? ああ、そうか。つまり、俺は停学になると決まったんだな」
理事長が理事会に呼び出され、息子の停学が言い渡されたとは思えないほどに、彼は朗らかに微笑んでいた。あの様子から察するに、何か情報を掴んでいるのだろう。辰之助は優しい人ではあるが、なんの根拠もなく息子を全面的に信頼するようなお人好しでも無い。
——父さんがあの態度なら、それはきっと俺にとって分の悪い話では無いはずだ。
停学を言い渡されるであろう時に似つかわしく無いものの、光彰は父に会えたことで僅かに心が軽くなるように感じた。誰かに下手に慰められるよりも、父の説得力のある笑顔は、光彰を強く勇気付けた。
「そうだ。堂々としてればいい」
敢えてそう口に出す。そして、温田見と小野を殺めた人物への怒りを再燃させ、それを発奮材料にしてまた歩き始めた。自分が何もしていないという事は、誰よりも自分が一番よく知っている。その気持ちを揺らがせずに疑いを晴らしていけばいいのだと、彼は改めて自分にそう誓った。
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