30 / 46
第30話 囚われの身_依代4
この事件が厄介なのは、目撃した人間が見ていたものが幻覚もしくは何かしらの映像であったかもしれないということと、事件が起きた時に目撃者となる人物がいつも一人か二人しかいないというところだった。
虚偽の報告をしている者がいなかったとしても、もし見ていたものが幻覚や映像であった場合、事実とは異なる証言をしていたとしてもそれを確かめることが出来ない。
そもそも市岡は、千夜が誘い込むようにして温田見が自ら落ちていくのを見たと言っている。幻覚で無かったとしても、見たものが幽霊だ。どちらにしても、信憑性が薄い。
しかも、その時千夜は黎の体の中で眠っていた。それは光彰が確認しているので間違いない。千夜は光彰に仕えている状態でのみ自由に動き回れるため、彼に無断でそういう行動を起こすことは出来ない。
その時点で、誰かが千夜に罪を擦りつけたまま犯行を重ねていることがはっきりしている。そして、その人物は今の千夜と光彰に繋がりがあることを知らないということもわかる。
「幻覚を見せられる? それはまた突飛な発想だね。お化けとかじゃなくて幻覚の話なのかい?」
「はい。実は、黎が一度幻覚剤を飲まされてしまって……」
辰之助はそれを聞いて眉を顰めた。その視線は、光彰を咎めているように見える。
「黎くんが? それは学校へ報告したのかい? 私の耳には入っていないよ」
「伝えていません。その話をするまでも無く、俺は停学になりましたもので」
肩を竦めながらそう答える息子を見て、辰之助は「なるほど」と呟いた。そして、あの時とにかく家で話そうと言ったのが彼自身であったことを思い出したのか、それ以上光彰を咎められる立場にないことを理解したようだ。きつく尖らせた視線をすぐに緩めると、いつものような柔和な表情で話を続けた。
「ああ、そうか。そうだったんだね。それにしても、幻覚剤ねえ。獅子身中の虫、牡丹の朝露……。その幻覚剤成分を調べないとなんともいえないが、それによっては今回の『獅子身中の虫』の意味は、もしかしたら今話していたものとは違う意味になってしまうかもしれないね」
「違う意味? それはどういうことですか?」
光彰は、何かに思い至ったらしい父の顔を凝視した。同じことを知っていくだけにも関わらず、色々な可能性を見出していく父にはいつも驚かされる。彼の目は、不謹慎にも父への憧れと好奇心によって、キラキラと輝いてしまっていた。
「もしかしたら犯人は、獅子は光彰、身中の虫は黎くんだと考えているのかもしれない。そして、牡丹の朝露という薬によって、黎くんを排除するということを考えているのかもしれない」
「排除、ですか?」
光彰は、父の案を聞いて眉根を寄せた。言われている言葉の意味はわかっても、その必要性が理解出来ずにいるようだ。額に手を当てて、なんとかその言葉の意味を理解しようとしていた。
「それは……なんのためにですか? その理屈だと、俺のために黎を排除するような話に聞こえますけれど、誰がなんのためにそんなことをするんでしょうか」
すると、辰之助は苦笑いを浮かべた。そして、光彰の肩をポンと叩く。
「うーん、さすがにまだ何もわからないね。君の学校での姿を私は知らないからなあ。千夜さん、可能性としての話だが、学園内に光彰に好意を寄せている人はいないかな。そういう方からの暴力的な愛情が、この事件のきっかけかという可能性も考えられるよね」
すると千夜は、間髪入れずに「ないですね」と答えた。そのあまりの速さに、光彰は気分を害する暇も与えてもらえなかった。
「だって、わかるでしょう? 光彰は黎以外は人間扱いしてませんから」
千夜のその言葉を聞いて、辰之助は苦笑した。息子のその姿が、困ったことに容易に想像出来てしまったからだ。
「そうなんだね、相変わらずか。それなら、まだ目星もつけられないかな。ただ、黎くんを一人にしては危険かもしれないね。光彰、黎くんの護衛はどうする? もし必要なら……」
辰之助は千夜の体に打ち込んだ楔のケースを取り出すと、それを軽く振って見せた。それは、これに入っていたものが必要であるなら、調達してこようかという提案だった。しかし、それを見て光彰は不敵に笑う。息子のその笑顔を見て、辰之助はニヤリと口の端を上げた。
「そうか、既に仕込んであるんだね。君が大人しく停学に応じるなんて、変だと思ったんだ。今ここにいる君は半身だけだということかい?」
父の問いに、光彰は楽しそうな笑顔を浮かべた。自分の考えを父に理解してもらえることを、光彰は何よりも喜んでいる。
「はい、そうです。もう半身は、あなたが準備してくれていた味方の体に入れてもらってます。黎が幻覚剤を飲んで暴走した時に、俺と離れる際の危険を感じて準備しました。彼には、きちんと説明して依頼してあります。正式に依頼書を出してあげてくださいますか?」
そういうと一枚の書類を取り出した。辰之助はそれを受け取り、内容を確認する。それを見て、
「わかった。八木探偵事務所への依頼書に、八木和希くんの体を依代として使わせてもらうという文言を付け加えておくよ」
と言って微笑んだ。光彰はそんな父に、ある大事なことを付け加えるようにお願いした。
「報酬の中に七香ちゃんのフィギュアを追加してあげてください」
それを聞いた千夜が、
「わあ、喜びそう!」
と言って、その大きな目を輝かせた。
◆
「今日も月が出てるな。こういう日ってさ、千夜が出るって……」
黎は振り返り、満面の笑みを向けた先にある壁を見つめた。壁際に寄せておいてあるベッドには、見慣れた光彰の微笑みは無い。そこにあるはずのものが無かったことで、また胸をずきりと痛めてしまった。
「あーもう、バカだなあ。いい加減に慣れろよ」
そう言って、自分の頬を両手で叩いた。あれから二週間ほどが経つというのに、黎はいつまで経っても一人で過ごすことに慣れずにいた。この部屋は二人部屋だ。生徒たちは基本的に個室を与えられるこの寮の中で、寮長にだけは広い二人部屋が与えられる。
つまり、ここは本来であれば光彰の個室ということになるのだが、黎は柳野家の仕事として光彰に同行している形をとっており、業務上の都合ということにして二人部屋としての使用許可を得ている。
しかし、その業務内容がなんであるのかを、黎自身は今でも知らない。
「一人で置いて行かれると、こんなにも寂しいんだな……」
思わず独言てしまうほどには、寂しさに打ちのめされていた。光彰が自分の意思で退学したというのであれば、ここまで寂しくなることも無かっただろう。しかし、今回はそれとは違う。黎がとった行動により、光彰が有期限停学の限度いっぱいまで定額させられているという事実が、今でも黎を苦しめていた。
自分が光彰のために出来ることが見つからず、拭いきれない罪悪感が沸々と湧き上がっては、胸を押し潰す。あれ以来ずっと、その苦しみから逃れられないままだった。
「うわ、落ち込みそう。あ、これ、落ち込みそうになったら読むといいよって渡されたやつ……」
黎は枕元に置いていた一冊の本を取り出した。それは、才見が貸してくれたものだった。分厚い表紙が印象的なその本は、数年前に世界中でヒットしたファンタジー小説だった。
一人の勇者がたくさんの人と出会い、仲間を引き連れて冒険するという、ファンタジーでは定番中の定番のお話。最後は、悪者を倒してめでたしめでたしとなる。わかりやすい勧善懲悪ものだ。
『辛いときは難しいことは考えずに、わかりやすくてワクワクしやすいお話の世界観に浸るといいよ』
才見はそう言って、読みやすいものを選んでくれていた。
「これシリーズだし、いい暇つぶしになるんだよな」
光彰が停学になって以降、才見は黎の孤独を埋めようと、色々な気晴らしを提案してくれていた。その中でも、この小説のシリーズに、黎は酷くのめり込んでいた。なりふり構わずに大切なものを守り、必要とあらば自らが傷ついてでも対象を助ける。その勇者の姿に、黎を守る光彰の姿を重ねた。そうすることで、どうにか孤独を埋めているような気がしていた。
「わかりやすいし、なんだか読んでると夢の世界に連れて行かれるような感覚になるし。才見先生って、なんで俺が必要なものがわかったんだろう。新任なのに、生徒のことよくわかってるよなあ」
才見は献身的に黎をサポートしていた。黎はその繊細な手助けに次第に縋るようになり、今や放課後はほぼ物理準備室に入り浸るような状態になっている。
そして、夜の孤独は八木と過ごすことで緩和させていた。時間の許す限りコミュニケーションルームで共に過ごし、よく眠れるようにとリラックス系の音楽を聴かせてもらっている。
それでも、こんな風に一人で過ごす深夜はやはり寂しい。それを誤魔化すために本を手に取り、パラパラと読み始めてはみたものの、今夜の月の美しさには、その本の世界観も勝てなかった。すぐに本を閉じた黎は窓の方へと目をやり、深い青の中に浮かぶ白銀の月をうっとりと眺めていた。
ともだちにシェアしよう!

