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3-8 白煉の試練
まるでそれは、夢みたいな時間だった。
指輪でもはめるかのように、俺が適当に選んでしまった薄青色の半透明な腕輪を、青藍 から左手首に飾られた。
その瞬間、なんでもないただの腕輪が、とても大事なものに変わってしまった。青藍が俺にくれた贈り物。白い漢服も、今着ている女性用の衣裳も。あの、赤い紐飾りの髪紐も。
ぜんぶ。
俺にとって特別な物。
「私の可愛い未来の花嫁に、」
青藍はずるい。
「じゃあ、今度は君が本当に好きなものを見つけよう。最初に約束したの、憶えてるでしょ?」
触れられるだけで、頬があつくなる。
どきどきする。
俺の前で見せる笑顔が好き。
俺のことを考えてくれるのも、嬉しい。些細なことで誤解されるのが怖い。嫌われたくない。青藍は感情が顔にすぐに出るので、わかりやすいのが救いだ。本編ではいつも穏やかで優しい印象だったけど、このルートではなんだか人間味があって、ゲームのキャラクターとは思えないほどだった。
恋愛イベントも中盤に差し掛かった中、なぜか現れた怪しいひとたち。
たぶん、俺、このひとたち知ってる、かも?
顔の下半分を布で覆い、黒い衣を纏った数人が俺たちを囲み、ある場所へと導く。そこには本編で攻略キャラとして出てきた暗殺集団の頭領、赤瑯 がいた。赤瑯が纏うのは膝までの長さの赤い上衣と黒い下衣。長い黒髪はそのまま背中に垂らしており、笑顔が浮かんでいるがどこか胡散臭さがある。
金色の瞳。
まるで獲物を狙う猛禽のような眼に、油断すると捕まりそうになる。
『赤瑯。暗殺集団"梟の爪"の頭領。白煉 を暗殺者として育てた青年。三十歳。記憶にはないでしょうが、記録から読み取るに、あなたは彼のことを"赤瑯兄さん"と普段呼んでいたようですね』
兄さん、ってそんなに親しい仲だったの?
『記憶を失ったあなたに名を与えることはせず、彼はあなたのことを、』
ゼロが途中まで解説してくれたが、その答えは本人が口にしてくれた。
「来たな。やっと戻ったか、名無し」
『と、呼んでいたようです』
「····赤瑯、兄さん?」
これってどういう展開なの⁉ 姚 妃はまだ蒼夏 を皇帝にすることを諦めてない? もしかして、ここで青藍《せいらん》の命を奪おうとするとか?
(だとしたら守らなきゃ····俺が、守るって決めたんだ。暗殺者としてのスキルを使えば、たぶんなんとかなると、思うんだけど)
こんな、今にも崩れそうなぼろぼろの屋敷に連れ込んでやることなんて、ただひとつじゃない? 他にも仲間がいるかも。海鳴 は強いのわかってるけど、青藍 はそこまでじゃないよね? 雲英 は医者としては有能だけど普通の女の子だ。
『今回のイベントは隠しイベントで、白煉 の過去を取り戻すための重要イベントです。クリアすれば記憶を半分取り戻せます』
半分? ということはもう一回あるってこと?
「思い出さないか? ここは、俺とお前がはじめて出会った場所だ」
「····あなたに救われた場所ってこと、ですか?」
俺が今の段階で知っていることは、皇子を暗殺するために儀式に潜り込んだ暗殺者であることと、少し前に解放され追加された詳細だけ。
『現在の詳細を読み上げます。白煉。暗殺者集団"梟 の爪"に属する暗殺者。幼い頃に皇子と間違って攫われた後、賊たちに襲われかけていたところを頭領に拾われ、暗殺者として育てられる。次期皇帝となる第一皇子を暗殺するため花嫁候補として変装し潜入したが、なぜか皇子を庇って毒に侵され重傷を負ってしまう。先の茶会の席で青藍に花嫁宣言され、公認の仲に。今回の恋愛イベントにより、青藍に対する好感度は60パーセントに変化しました』
いや、そこは今はどうでもいいから!
『キーアイテム、銀龍の守り刀の効果により隠しイベントが発生。これより、白煉の試練が始まります。選択肢のタイミングは、私にお任せください』
だから出かける前に持たせたのか。
そういえば、必要な時に教えてくれるってゼロが言ってたっけ。
だとしても恋愛イベント中に隠しイベントって、盛り込みすぎでは?
「あの時のことは、感謝しています。でも今は、白煉として生きると決めたんです。名無しではありません」
「感謝? なにか勘違いしているようだ。俺がお前を助けたって思ってるんだろ? ずっとそうだったもんな。つまり、まだ完全には思い出しちゃいないってことだ」
「····どういう意味ですか?」
俺は首を傾げて訊ねる。
確かに詳細には"助けられた"ではなく、"拾われた"って書いてあるけど。
「白煉、ね。最初から知ってたさ。俺を誰だと思ってる。情報は俺たちにとって一番重要な商品だ。暗殺ってのはただ殺すだけじゃない。下調べを入念に行い、誰にもバレずに標的を仕留めるのが仕事だ。慎重さってのはなによりも大事なのさ。皇子と間違って攫われたこと。なぜ間違われたのか、それすらお前は憶えていないだろう?」
赤瑯はくつくつと笑い、肩を竦めた。近くにあった椅子に腰かけ、足を組んで嘆息する。そもそも、なぜここにこのひとがいるのか。わざわざ俺たちに顔を晒す理由は何だろう。
「でもそこの皇子サマはその理由、知ってんだろ? なんで教えてやらない?」
「····え、どういう、」
俺は思わず隣にいる青藍を見上げる。青藍は俺と眼を合わせないようにしているのか、赤瑯の方をじっと見据えていた。
「そもそも、そこの皇子サマが玉佩をお前に持たせたのが原因だからさ」
「持たせたんじゃない」
すぐさま青藍が反論する。その声はいつもよりずっと低く、冷たい感じがしてなんだか怖かった。
「同じことだろうが。結果、玉佩を持っていたそいつが賊に攫われた。賊どもは皇子の顔なんざ知らないからな。目印を皇子だけが持つ青龍の玉佩にしていたのさ。当時座学に参加していた皇子は青藍、あんただけだったからな」
青藍があの時言った台詞。
『私に恨みを晴らしに来たんだと思った』
あの言葉の意味が、今更わかった気がする。
「どうせバレてんだろうから言うけど、姚妃がそれをなかったことにするために、俺たちに後始末を依頼したのさ。馬鹿で使えない賊を皆殺しにし、攫ったガキも殺して、ぜんぶなかったことにしろってな。ほら、思い出してきただろ?」
赤瑯の言葉を合図にして目の前に現れたのは、この場所で過去に起こっただろう出来事。それはまるで回想シーンでも観ているかのように、鮮明でリアルなものだった。
約八年前。
七歳くらいの頃の出来事。
幼い白煉 が部屋の隅で震えている。少し離れた所でわいわいと騒いでいる男たちがいて、彼らの前には酒や食べ物があり、聞くに堪えないような会話をしていた。
何日もまともに食事をしておらず、動くこともままならない状態だった。泣き叫んでも疲れるだけ。両手両足を縄で縛られていて、逃げることもできない。本当に経験していたかのように、不快感が胸の中に淀む。
「俺たちがここにやって来た時、賊たちに慰みものにされかけてたっけ」
「ハク、聞くな。そいつの言葉は、ぜんぶ嘘だ」
「嘘? なんで嘘を付く必要がある?」
青藍が俺の耳を頭に被せていた衣ごと自身の手で塞ぎ、遮断しようとしてくれているが、俺の眼にはすでに当時の出来事の続きが視えて しまっている。
怖い。痛い。怖い。怖い。痛い。助けて。
震える唇。俺は今、白煉の中に囚われている。あの時、本当はなにがあったのか。
なにがきっかけだったのかはわからない。急に男たちの視線が白煉 に注がれた。
酒に酔っていた男たちに囲まれ、なぜか手足の縄が解かれていく。その様子をぼんやりとした視界に映していたのも束の間。
小さな身体が男たちに押さえ付けられ、汚い床に沈められた。抵抗も虚しく、涙はすでに枯れ果てていて。頬を殴られた後、大きな手で口を塞がれ弄ばれる寸前の状態だった。
そして――――。
「や、······やだっ····見たくない、のに····っ」
小さな手が俺に助けを求めている。
白煉が俺に伸ばした手は、離れているせいもあって届かない。
「駄目だ、見るな! それ は、見なくていい!」
次の瞬間。男たちの身体が、四肢が、一瞬にして飛び散った。目の前に広がる血の海。ぽたぽたと天井から落ちてくる雫。
「あ····うそ····、」
ゆらり。
乱れた衣をなおすこともなく、ゆっくりと立ち上った幼い白煉の髪の毛が、なにかに取り憑かれてしまったかのように、みるみる白銀色に染まっていく。完全に白銀髪と化した髪の毛は男たちの返り血で飾られて、まるであの赤い髪飾りのようだった。
ぴしゃ、ぴしゃ。
歩く度に血溜まりが音を立てた。虚ろな紅い瞳。夢の中を歩いているかのようなふらついた足取りで、こちらにゆっくりと歩いて来る。
一歩。また一歩。ゆっくりと。けれども。
糸でも切れたかのように傾ぎ、そのまま倒れかけた白煉の身体を、今よりも見た目の若い赤瑯が抱き止める。他の暗殺者たちは目の前の光景に言葉も出ないようで、赤瑯の指示を待っているようだった。
こんなの、嘘だ。
「思い出したか? 奴らはお前が、自分の手で殺したんだ。生きるために、逃れるために、な。あいつらの後始末、大変だったんだぜ? バラバラの骸を袋に詰めるのもひと苦労さ」
「嘘を付くな! 白煉はそんなことはしていない!」
「あれを見てもいないのに、なぜ嘘といえる? そいつが何者か、お前は知っていただろう? さっさと返せ。そいつはお前の手には余る。俺たちと一緒にいる方が能力も活かせるしな」
「白煉は誰も殺していない。お前の言葉は虚構 だ」
青藍は耳を塞いでいた手を放し、そのまま自分の方へ引き寄せた。赤瑯や目の前で起きていた過去の幻影に背を向けた状態の俺は、なにも考えることができなくて、その胸に顔を埋めて眼を閉じる。
(····虚構? 殺してない? でも、俺が見たモノ。あれは、本物にしか見えなかった····ぜんぶ嘘って、なんで言い切れるの?)
「ハク、落ち着いて。君ならきっと、大丈夫。あいつの言葉に惑わされないで、」
青藍は俺をそっと優しく抱きしめて、耳元でそう囁いた。
(····過去の記憶が曖昧な状態じゃ、なにが真実かなんてわからない。あれは赤瑯 が見せたマボロシ? ニセモノ? だったら俺は、)
青藍の言葉を信じる!
重なる心臓の音。
あたたかくて、安心する。
大丈夫。きっと、大丈夫。
「じゃあ、お前も見てみるか? その力の片鱗だけでも、ぞくぞくするぜ?」
複数の足音が一歩分、俺たちに近付いて来るのがわかった。俺を抱えたまま、青藍が戦えるとは思えない。
『記憶の欠片の回収により、新たなスキルが解放されました。現在、レベル3までの特殊技を発動できます。こちらのスキル画面より、必要に応じて技を選択してください』
その時、ゼロの声が頭の中に響く。
閉じた視界に現われたもの。
それは、いつもの選択肢とは少し違う、いくつかの技名が並んだスキル選択の画面だった――――。
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