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第36話
同居生活が始まった日から変わったことがたくさんある。
以前より自然に宗一さんと触れられるようになったことで、確実に距離感が変わった。朝と夜、交互に触れ合うルールもなしになった。そんなものがなくても起きた時と寝る時は謎のチューをするし、お風呂も暗黙の了解みたいに必ず一緒に入ってる。
男同士でこの行為は普通じゃないと、さすがに分かってる。つまり自分と彼は、知人でも友人でもない……。
朝食中、思いきって質問してみた。
「俺と宗一さんって、今どういう関係なんでしょうか?」
宗一さんはクロワッサンをひとつかじり、コーヒーを飲んだ。
「婚約者だよ。でも、人前ではもう私の妻と名乗って大丈夫」
踏むべきステップを五段ぐらいすっ飛ばしてる気がするんだけど……この人はそれで良いんだろうか?
俺は二十歳になって自由を手に入れて、直後に憧れていた人から求婚されて。あまりに良いこと続きで、正直怖い。
幸せになった分、必ずどこかでその反動がくる。
けどこの不安を上手く伝えられない。
宗一さんは、基本幸せになって然るべき、って人だ。俺とは脳の構造が全然違う。
「真面目な話をすると、今すぐ入籍したい」
「宗一さんの結婚願望の強さは、本当に恐れ入ります」
宗一さんは少し頬を赤らめた後、咳払いした。さっきとは打って変わり、真剣な表情で話した。
「いいかい、白希。私と君は、今は赤の他人だ。同じ村の出身ということだけ。父は村を捨てたも同然だし、絶縁こそしてないけど、私達親子は彼らからすれば裏切り者なんだ」
年老いた祖父母を残し、宗一さんのお父様は一代で義父の会社を大きくした。もう村に戻る必要なんてないぐらいの成功をおさめている。
それはそれで良いと思ったけど、問題は俺のことらしい。
「そして村の人間は、きっと君を連れ戻しにくる」
「え」
カップを掴んだ手が震える。零しそうになったので、慌てて取手を離した。
「どうしてですか? 私なんてずっと屋敷の中にいて……家族とすら、まともに話さなかったんですよ。私なんて、村の人達からすれば心底どうでもいいと思います」
「私も確信があるわけじゃないんだ。今はまだ何とも言えない。……だが何かが起きた時の為に先手を打っておきたい。君が大事だから」
宗一は立ち上がり、リビングにある漆の棚へと向かった。腕時計をつけながら、艶のある天板を撫でる。
「私達の関係はあまりにも弱い。もし君の親族が君の今後に言及してきた時、ただの同居人の私は手も足も出せないんだ。いくら成人してるとはいえ、法的機関を使われたら不利になる。私が何も知らない君を拐かそうとしてる、なんて言われたらそれまでだ」
あながち間違ってないけどね、と彼は笑った。
「拐かすなんて。そんなこと、俺が全力で否定します。確かに現状は何一つ分かってないけど……貴方を好きだという気持ちは本当です。自分の意志ですから、引き離されるようなことがあれば俺も闘います」
椅子を引き、彼の目の前まで歩いた。
こんなにも彼の目を真っ直ぐ見て、相対したのは初めてかもしれない。
こんなにも、胸の中が熱くなったのは……。
「宗一さんが好きです。……貴方も、俺のことを好きだと言ってくれた……以前はそれだけで充分だと思ってました」
これ以上は何も望まない。でも現実はそんな単純じゃなかった。
「今の関係だと一緒にいることができないなら……次の関係を手に入れるしかない。ですよね?」
自分でも驚くような問いかけだ。
それでも微笑むと、彼も安堵したように笑い返した。
「その通りだ。白希はどんどん、私の想像を超えていくね」
頭を優しく撫でられ、壁に寄り掛かる。
本当に、この一瞬がたまらなく好きだ。大切に扱われてるからとかじゃない。自分が、彼が笑った顔を見たいんだ。
棚に手をついて、宗一さんの手をとった。
「……そうは言いましたが、できればゆっくり考えてくださいね。俺は周りに止める人がいないけど、宗一さんはご両親や、今まで築き上げた立場があるでしょう。俺みたいに何もない人間と一緒になったら、不幸になるかもしれない」
心配してくれる人達が彼の周りにたくさんいる。もし自分が彼らの側にいたら、やはりすぐに頷けるかは美味だからだ。
でも、宗一さんは可笑しそうに笑い、俺の唇に口付けた。
「どちらかと言うと、今までが不幸で、地獄だった。……だからようやく君と幸せになる予定だよ」
薄いが艶のある唇を綺麗に持ち上げ、彼は微笑む。
「私も白希と同じで、意外と心配性なんだ。そして警戒心が人一倍強い。基本、他人は信用しない」
後ろに下がり、宗一は姿見を見ながらネクタイを締めた。
「信じたら裏切られる環境で生きてきた。そんな私にとって、君の存在は唯一の光だったんだ」
「俺が……?」
それは俺が思ってることだった。完璧に見える彼も、そんな苦しい少年期を過ごしたんだろうか。
詳しく聞きたいけど、時間も迫ってる為胸の中に押し留める。
「……さ、そろそろ行ってくるね」
「あ、はい!」
ハンガーにかけたジャケットを取り、一緒に廊下へ出る。どんな時も全身ビシッと決めてる宗一さんに見蕩れながら、鞄を差し出した。
「そういえば、今日は出掛けるんだったね?」
「はい。ひとりは初めてです!」
「すごく心配だけど、可愛い子には旅をさせよと言うし……分かった。とにかく背後に気をつけて、変な人にはついていかないんだよ? あと満員電車は乗らない。怖ければタクシーを使いなさい」
「え、えぇ。わかりました」
旅というか、ただの散歩だ。
心配してくれる宗一さんには悪いけど、電車だけで行動しようと思う。それぐらいできないと、働くどころじゃない。
「……そうそう。白希、出掛ける時はバッグの中のものをつけてね」
「え?」
何のことかと思い、急いでバッグを取りに行く。中を開けると、見覚えのない黒の小箱が入っていた。
「宗一さん、これって……え!!」
何も考えずに開けた為、大きな声を上げてしまった。
何故なら、中には銀色に輝く指輪が入っていたから。
「どんな時も左手の薬指にはめておくんだよ? 私もしてるから」
ほら、と彼は左手に輝く指輪を見せた。
「残念だけど、結婚指輪じゃなくてただのペアリングだ。でも変な人が白希に寄ってこないように、良い御守りになると思ってね」
宗一さんは誇らしげに靴を履く。
本当に色々考えてるというか、少々愛が重いというか……もう驚かないけど、宗一さんという人がどんどん分かってくる。
それにしても、“御守り”か。懐かしい響きで、ちょっとだけホッとした。
これをつけてれば、離れていても彼と繋がってる気になる。
「ありがとうございます、宗一さん。この指輪をつけて行ってきますね」
「ふふ、良かった。じゃあ気をつけて……楽しんでおいで」
ドアが開く寸前で、踵を浮かす。
もう一度熱を交換し、彼の後ろ姿を見送った。
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