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第64話「硝子玉」

不思議な感覚だった。 小さい頃しかちゃんと関われなかった弟が、立派な青年に成長して佇んでいる。ふざけてると思われるかもしれないけど、未来にタイムスリップしたみたいだ。 余川直忠は、弟の白希を前にし、どこか他人事のように今の状況について考えていた。 弟は自分に怯えて逃げ出すかもしれない。もしくは強い怒りをぶつけてくるかもしれない。どちらも容易に想像ができたし、覚悟もしていたが、彼は至って冷静に、だが心配そうに近付いてきた。 「兄さん……良かった。やっぱり無事だったんですね……!」 「白希……」 あまりにもまっすぐな瞳を向けられ、思わずたじろぐ。 無事で良かった、とこっちが言うつもりだったのに。……驚き、初っ端から躓いてしまった。 全て、彼の至純な心が生んだ結果だ。 細く小さな手を握る。言わなくてはいけない言葉はまだまだあったのに、気付いたら涙が零れていた。 「兄さん? だ、大丈夫ですか!?」 怪我をしてるのか尋ねられ、違うと答える。 見た目は変わっても、ドがつくほど天然なところや、人一倍優しいところは変わってない。それが分かっただけで充分だ。 「すまない……」 ようやく搾り出せた言葉な何とも弱々しく、届いたかどうかも分からないものだった。だが白希はハッとした様子で、首を横に振った。 「久しぶりに会えて嬉しいよ。でもひとりで出てきて大丈夫なのか、……直忠」 「あぁ。多分、大丈夫」 直忠の言葉を聞き届け、宗一は部屋のカーテンを全て閉めた。中央のソファには、彼と白希が対面に座っている。 宗一は白希の隣に腰掛け、彼の頭をぽんと撫でた。 「驚いた?」 「も、もちろん。でも、安心しました」 困惑しつつも胸を撫で下ろす白希に、宗一はふっと目を細めて笑う。そして目の前に座る直忠にも笑いかけた。 「兄弟水入らずのところにいて悪いね。席を外そうか」 「いや、ここにいてくれ。その方が白希も安心だろうし」 直忠は白希に目をやり、自身の膝に手を乗せた。彼と白希は外見は似てないが、ふとした仕草が上品で、重なる部分がある。 そして今日は眼鏡をかけ、時間を気にしていた。 「長居はしないよ。俺としては、もう充分だから」 「充分? まだ全然白希と話してないじゃないか。それとも私と白希の新婚エピソードでも聴くかい?」 宗一がわざと茶化すと、宗一は初めて笑みをこぼした。 「そうか……本当に結婚したんだな」 「ああ。白希はまだ大勢の目に触れるのは良くないと思って、式も上げてない。全部延期にして、もう少し落ち着いてからやろうと思ってる」 白希は二人のやりとりをじっと見守る。その時直忠と目が合い、内心慌てた。 宗一は異常なほど落ち着いてるし、直忠はこれまでどこにいたのか分からないし……本当は訊きたいことが山ほどある。 それでも、それらは直忠のたったひと言で動きを止めた。 「白希。先に言わせてくれ。……おめでとう」 この流れなら当然だ。だが白希にとっては、それは予期しないひと言だった。 彼が自分の幸せを祝ってくれるなんて。 「あ……りがとう、ございます……」 情けないけど、途切れ途切れにお礼を言った。 無言で見つめ合い、長い時間を埋めるように互いの姿を目に焼きつける。 白希にとっても、兄は遠い存在となっていた。宗一とは旧友のような関係のはずだが、数年単位の再会には見えない。恐らく、もっと直近に会っている。 その想像は当たって、直忠はゆっくりと言葉を紡いだ。 「宗一となら安心だ。そしてごめんな、白希。家を焼き払ったのは俺の案なんだ」 「え」 どういうことかと、体が固まる。驚いて続きを待つと、彼は苦しそうに話し始めた。 「家にあるものを全て燃やして、家族皆で姿を消せば、村の奴らも追うのは諦めてくれると思ったんだ。……お前のことは宗一に頼んで、助けてもらった。お前達が文通をしてたことは知ってたから」 「そう……。私もずっと白希に会うタイミングについて考えてたんだ。でも余川さんや周りの反発があって会えずにいた。そんなとき、直忠から連絡があってね」 助けてほしい、と。 白希が二十歳を迎え、力を制御できていないことから、村の中で彼を処分しようという声が上がっている。 「もちろん一部の過激な奴らだけだが……これ以上あの家でお前を匿うのは危険だと思った。何も説明せずに怖い思いをさせて、本当に済まない」 直忠は深く頭を下げた。 「今までずっと父さんに従って、お前に会うこともしなかった。結果ずっとあの屋敷に閉じ込めて、力を安定させる機会を奪ってしまった」 そうは言うけど、恐らく兄も被害者だ。 村の中の同調圧力に押され、自分の意思を発信する機会なんて与えられなかった。昔の厳格な父に逆らうことなんてできないし、異質な力を持った弟と距離をおくよう言われたら、誰だってそうするだろう。 「俺は大丈夫です。でも宗一さんは全部知ってたんですか? 俺を助けに来てくれたときには、全て……」 「大まかに、だけどね。あの日の前日、直忠から至急村に来てほしいと言われて……私も君の身に危険が及ぶことは避けたくて、敢行は止めなかった」 とは言え、やっぱり火事を起こすのはやり過ぎだけど、と付け足した。 「いくら私が家の前で待機していたとは言え、タイミングを見誤ったら本当に危なかったし」 「そ、そうだな。すまない、白希」 ただ、お前が憎くてやったんじゃない。それだけは本当だ。 直忠は拳を握り、再び俯いてそう告げた。 「俺はもちろん、父さんも母さんもおかしくなっていた。お前を人前から隠すことで、現実から目を背けて……お前を守ってるような気になってたんだ。実際はその真逆のことをしていたのに」 思春期を迎えた白希の力は、時に酷い暴走を起こした。家の中にあるものが高温に変わり、危うく怪我をしそうになったこともある。見兼ねた父が、暗く狭い蔵に彼を閉じ込めたことが発端だ。 心が動くものが何もない場所なら、感情が高ぶることもない。力の暴走を止める為なら一理あるが、それはひとりの人間の心を殺すような選択だ。 白希は周りに危害を加えるような暴走はしなくなったものの、代わりに彼自身に力が働くようになった。手足に火傷や凍傷を負うこともあったと言う。全て母から聞いた話だが、だからといって解決策も生み出せなかった。 最低最悪な兄だと、自分で思う。二十歳になるまでに彼が力を制御できると信じて、知らないふりをしてきた。 こんなの家族とは言えない。……言う資格はない。 唯一の救いは、水崎家の跡取りである宗一が白希を気にかけてくれていたことだ。他に助けを求められる相手がいない直忠にとって、旧友の宗一が最後の希望だった。 自分ひとりの力では何も成し得なかったことを強く恥じ、悔いていた。 「白希。お前は、俺を憎んで当然だ」 「……宗一さんにも言ったことで」 白希は徐に立ち上がり、直忠が座るソファの前まで歩いた。床に膝をつき、俯く彼の顔を見上げる。 「俺は誰も憎んでません」 伸ばした手は遠慮がちに宙に浮いていたが、やがてそっと直忠の手の上に置かれた。 「全部、力を持って生まれたことが原因だと思ってます。力を使いこなせなかったことが第二の原因。だから感謝してるぐらいです。だって、結果的に生きてるし……今の俺は、本当に幸せだから」

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