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第2話

 古い石鳥居を一歩踏み越えた先にあるこの場所は、妖たちの住む社だ。  普通の人間が鳥居を潜ったとてそこにあるのはボロボロの祠のようななにかだけだが、妖やそれらが視える力を持った者はこの社へと辿り着くことが出来るという摩訶不思議な場所。    ひょんなことからオレはこの社へと迷い込み、今し方自分が【妖に呪われたせいで妖が視えるようになった】事実を知ったところだ。  この呪いは一生続くのかと人生に悲観していたら、背後から現れた男が「出来ないこともないけど、強い呪いを解くのにはそれなりの代償ってもんがいるよなぁ」とオレに言った。  生気のない目に睨まれ、低い声で囁かれた言葉に冷や汗が伝い、ごくりと息を飲むと髪も目も着物までもが緑の男がオレの前にしゃがみ張られた謎の紙越しに顔を覗き込んでくる。   「だ、代償って……オレの命、とかですか?」    そうだって言うことはそれなりのものだろうと、震えた声で問えば男は眉根を寄せ怪訝そうな表情で首を傾けた。   「はぁ? そんなもんいらねえ。腹の足しにも自慰の種にもならん」 「ざ、財産とか!?」 「人間の硬貨があったとこでなぁ」 「じゃあ一体なにを出せば……」    だがオレが質問をしても男から返ってくるのは、不確かでふざけているものばかりだ。  これでも足らないのかと眉根を寄せると、男は青髪の男がそうしたのと同じようにオレの服を掴みガバリと勢いよく捲り上げた。   「この呪いがかかってる部分の皮膚と、そこそこの血の量」 「それなら……」 「は、当然として。呪いが解けることで不本意ながら守ってくれていたものがなくなり澱に狙われ続ける生涯」    ごつい指先にツツツ、と背中の一部をなぞられ思わず全身が粟立った。  オレには薄い蒙古斑のようにしか見えないそれは、妖には別のモノに見えるのだろう。  傷痕になるくらいだったらと安堵したのも束の間、代償というのはそっちとでも言いたげに落とされた言葉に息が詰まった。  表情を窺えば緑の男は瞳を細め、絶望するオレの顔を見て至極悪戯な表情で笑んでいた。  この顔を見たかったのだというのを隠さぬその眼差しに、突然背中の呪いの痕がじりじりと熱を持ち始める。    呪いに怯え続けるか、悪鬼に狙われ続けるかというこの先の人生の究極の二択を迫られ答えを出せない。   「遊羅」    だらだらと冷や汗を垂らしながら悩んでいると、青髪の男が緑の男に声をかけ顎を動かし無言で圧をかけた。  それに遊羅(ゆら)と呼ばれた緑の男は項垂れながらため息を吐き、顔を上げる。   「ま、ぜーんぶ本当のことなんだけど」 「いや、まあ、はあ……」 「お前が【視える】って力を寄越してくれたら呪いも解いてやるし澱にも狙われないようにしてやる」 「視えなくとかできるんですかっ!?」 「できるねえ。まあできる妖はそう多くないんだけどね? オレみたいに強くて高貴じゃないと」    痕も残り、血も結構抜かれるんだろうが今後起こりうる不安は取り除くと言われ途端に安堵が広がっていく。  こういうのって勝手に一生付き合うものだとばかり思っていたから、解けるものなのかと問えば男はふふんと鼻を鳴らしていたが青髪の男に「誰がなに言ってんの」と冷ややかなツッコミを入れられていた。  一瞬、オレにはよいことしかないんじゃないかと思ったが顔を上げ視線を鳥居の方へと向ける途中で視界に映った姿にオレは思い直し首を振る。   「視えなくなるってことは、二度とここに来れないってことですよね?」 「来なくていいから言ってんだけどな。お前だって来たかねえだろ」 「いや、来られないのなら困ります」 「なんでだよ。お前に利があるとは思えねえんだけど?」    視えてても辿り着くことは稀なのかもしれないっていうのは、これまでの彼らの反応を見ていればなんとなく察せる。  そして、彼ら全員が人を好ましく思っていないことも。  でも視えなくなってしまったら更に致命的だ。オレに脅しをかけるように低くなっていく声に頭を振り乱し、ずっと傍にいるのにずっと黙っている紫髪の男へとオレは視線を向けた。   「オレッ、貴方に一目惚れしたので! ここに来られなくなると困る!」    どっどっど、と太鼓のように低く鳴り響く心臓を抑えながら利はないが困る理由は大いにあると声を大にして言えば、一瞬にして冷たい空気が辺りを包み込む。   「いや、朧が可愛いのはわかるよ。でもお前、あいつ妖だし」 「朧さんっ! すきですっ!」 「朧じゃねーし。あと遊羅は適当なこと言うな」 「じゃあご本名は!? あ、でも妖とかって本名知られると困るってなんかで聞いたことがあるような……ならオレに呼べる愛称でもいいので!」 「おいおい人の子、お前みたいな人の子からしたらあいつはずーっと爺さんだぞ」 「オレ、じいちゃんっ子なんで!」 「全然こっちの話聞かねえな。さっきまでのしみったれた態度なんだったんだ……」    だがその空気を断ち切ったのは緑の男で、この人から次々に明かされる事実にもへこたれず好意を伝えていくと朧さんも引いてたし教えてくれた本人も引いてる。もちろん、急に黙ってしまった青髪の人も。  縁側から飛び降りて朧さんの方に駆け寄ろうとしたのを、背後から伸びてきた手に服を掴まれて制された。   「お前さあ、急に威勢がよくなったのはいいけど。お前みたいな人の子とオレたち妖の寿命は全然違うって知ってる? ちなみにお前たちの方がずーっと早く老いて死んじゃうの」 「妖って老けないんですか? 寿命どのくらい?」 「老けるのも寿命もそれぞれだけど、人の子より老いるのがずっと遅いし寿命が長いのはそう。あ、お前動物が先に死んでも悲しまない感じ?」 「悲しませるなってことなら、一緒に生きてる間は目一杯幸せにするし。なんなら一緒に死んでもらう覚悟をしてもらうくらい好きになってもらうんで。あ、先に連れてっちゃいますけど」    矢継ぎ早な会話を二人でしていると突然男が口を閉ざした。  そしてオレの首へと片腕を回し、力を込めてギリギリと絞めてくる。   「ッ……!? ッが、ぁっ……!」    呼吸を奪われ、思わず防衛本能でじたばたと暴れてしまったが意識が飛ぶって感じた瞬間腕の力が緩んだ。  一気に肺に酸素が入ってきて、逆に視界が白んでいく。   「なあ、朧のどこに惚れたの?」    解かれることのない腕に引かれ、低い声に問われる。  それは今までの話の流れで一番真摯なもので、オレにはその問いの真意は「この短時間で一体どこを好きになれるというのか」というもののように聞こえた。  考える必要なんてないのだけど、オレは傍の彼から視線を逸らして思案する素振りを見せてからにへ、と笑って返す。   「さっきオレを助けてくれた姿がカッコよかったから」 「理想と違ったらどうすんの? お前が想像しているのとは全然違う姿をした妖かもしれない、性格だって甘ったれで泣き虫だったらどうすんの?」 「んー、単純に顔が好みってのもあるけど。でもギャップ全然大丈夫。オレ自分の好きって直感信用してるし、一回好きになると結構しつこいんで!」    この話しつこいな、って思ってんのお互い様なんだろうな。  でも折れるわけにはいかないので全然乗り越えられる、と指で丸を作ってオッケーと見せても通じなかった。  林間学校が通用しなかったくらいだから、ギャップって言葉も通じなかったかな。  でも前後の文脈でこっちから伝えたいことは大凡は伝わってるだろう。  男はじぃ、とオレの瞳を覗き込んできて真意を探った後、ふっと鼻で笑い顎を乱暴に掴んできた。   「い゛っ……!」 「人の子、お前名前は?」 「充、月待充」 「そうか、しゆ」    片手だってのに奥歯が折れそうなほどの力で押さえ付けられ、人と違うってことを理解させられる。  先程オレを脅したのと同じ低い声で名を問われて、馬鹿正直に答えるのはよくないかもしれないと一瞬過ぎったがそれは不誠実だ。  苗字まで答える必要があったのかなかったのかはわからないし、本当は「しゆう」なんだけどまあいい。  男は指先をぐりぐりと動かしてはオレが顔を歪めるのを見て、ふふふっ、と楽しそうに笑みを零してから力を緩めた。   「気が変わった。取引としよう、しゆ。お前にかけられた呪いも解いてやる、オレが力を上書きして狙われないようにもしてやる。もちろん、妖も視えるまま」 「本当に?」 「ああ、ただしそれはオレを失望させない限りだ。朧を傷付けたり、お前が朧を諦めた瞬間これまでの呪いが可愛かったと絶望するほどの呪いをくれてやる」    なにが彼の気紛れに刺さったのかはわからないが、それに乗らない手などなかった。  両腕を広げながら「絶対に報われてみせるよ!」と返せば男は低い声で「失望させるなよ」と再度オレに囁いた。   「オレに関係ある話なのに、なんでオレが蚊帳の外のまま話が進んでるんだよ」 「お前が傷付けられたら倍じゃ済まないようにしてやるんだからいいだろ!」 「面白がってるだろ、この退屈嫌いめ」 「諦めろ朧、ここの主は遊羅だ」    なんとなくヒエラルキーを察してたけど、矢張りここで起こることの決定権はこの遊羅って男にあるのか。  オレにも聞こえるように文句言うのってあからさまな拒絶だよな。まあそんな風にされたってオレは幻滅しないけど。  あーあと盛大なため息を吐きがっくりと落とした朧と呼ばれた彼の肩を、青髪の彼が優しく叩いて慰めていた。    それが、オレがこの社に初めて来た日の彼らとの出逢いの話だ。      その後、遊羅くんは約束の通りオレの呪いを解いてくれたし周りから狙われないようにもしてくれた。  勿論彼の言った通り背中には元々あった痕よりも一回りくらい大きな火傷痕のようなものが残ったし、数日引きずるくらいの貧血にもなったし謎の高熱にも魘されたが妖が視えなくなるようなことはなかった。  自分の家に帰るように言われて鳥居から放り出される時に「また来られるものならいつでも来いよ」と言った遊羅くんの言葉が引っ掛かったのだが、体調がよくなって数日後に来た時に何故か驚かれた。  ので、なんでそんな態度なのかと問い質したら「呪いの力が強くてここに偶々来られただけだから」と返され、二度と踏み入れられないと想定されてた上、つまりはしっぺ返しを喰らわせるつもりだったと理解し流石に憤慨した。  だが、懲りずに彼らの元を訪れる内にオレが何故社に来られるのか不可解に思いつつも、以前よりずっと普通にオレを受け入れてくれるようになった。  否、懲りずに社へ訪れては朧にアタックし続けるオレを見て呆れていると言った方が近いかもしれないが。    ちなみにだけど一度きりだと思っていたから端折っていた社やオレの体質の説明も、あの後ちゃんとしてもらえた。  そのことを全部教えてくれたのは、最初にそうしてくれたのと同じ人物だ。  青髪で左目を包帯で覆ってる彼の名は【白檀(びゃくだん)】くん。  仲良くなって初めて教えてくれたのだが、彼は元々はオレと同じ人間で訳ありで妖になったらしい。  そしてその訳ありにしたっていうのが、社の主でもあってオレの呪いを解いてくれた遊羅くん。  どういう妖なのかは教えてくれないけど本人曰くかなり強いらしい。それについては白檀くんも認めている。  そしてオレが一目惚れした紫の君こと朧夜くん。他の二人が彼を朧と呼ぶのに、オレも便乗している。  最初はオレのこと鬱陶しがっているのがわかったけど今はもう慣れたようで普通に話してくれるまでになった。  でも応えるつもりはないからと言って、幻滅させようと逢うたびに必死に落とし穴やワナを仕掛けてくるんだけどそういう茶目っ気があるところも可愛くて好き。  オレは日毎知らぬ彼を知っては、好きを更新している。      *****      落とし穴に落ちて土だらけになった靴と服を脱ぎ、叩いて汚れを落としていると一度傍を離れていた朧が戻ってきた。  その手には初めて逢った時と同じように深く大きな桶。  そこそこの量の水が入っているせいで重く、彼がそれを地面に置くとどすんっと鈍い音がした。   「ありがとう」    かけてある手拭いを使って勝手に洗ってろって感じなのは無言でも伝わる。  朧はその口に咥えていた懐紙に包まれたどら焼きを二つ、縁側に置いた。   「あ、おやつだ!」 「人んち遊びに来て、おやつだけ食って帰るって本当お前いいご身分だよな」 「オレの分食べたかったら朧にあげるよ」 「いいよ一個で充分だ」    顔を洗い口をすすいで、濡らした手拭いで上半身を拭ってから砂の落ちたTシャツを着て縁側に座っている朧の隣へと腰を下ろす。  オレはずっとこうしておやつ出してもらえるのは所謂ぶぶ漬けみたいなもんだと思ってるんだけど、そうじゃなくても特別甘いものが好きってわけでもないから欲しいならどうぞと告げたが首を振られてしまった。   「あ、じゃあ今度なんかオレが持って来ようか。朧が好きなのって大福となんだっけえっと」 「すあま」 「そうだすあまだ。オレ食べたことないからそれにしよう」    懐紙に包まれているどら焼きに噛り付く横顔を眺めながら、朧が好きなものを持ってくるよと言ったけどあんまり嬉しくなさそうだな。   「お前普段なに食って生きてんの?」 「本当にどら焼きいらないの?」 「いらない」 「じゃあもらうな。あ、なに食ってるだっけ? えーっと、簡単なやつ。インスタントラーメンとかカレーとかうどんとか。そんなんばっかだけどわかる?」 「うどん以外わからん」    向けられた眼差しにすあまを知らないってどれだけ餓えてるんだろうって書いてあったけど、オレと朧の食の認識の違いがだいぶあるもんなあ。  生きてる時代が違うから仕方ないけどと思いつつ、もったいないのでオレもどら焼きをもらうことにする。  なにか知ってる食べ物はあるかって聞いたら、やっぱりラーメンもカレーも通じなかった。  ダンくんには一応、通じたんだよな。中華そばだろ、らいすかれいだろ、って言われたけど。  あの人もどの時代の人なんだ。何歳なんだ。   「でも朧は蕎麦派なんだっけ」 「蕎麦の方が馴染みがあるってだけだよ」 「ふうん? 今好きなのは?」 「アユとかイワナかな……」 「それ旬だからじゃなくて?」    生きてる時代が違うから伝わらないことは仕方ないって思える。逆のこと言われたときオレも同じだし。  でも蕎麦が好物と表現するのとは違うってなったらそこに当てはまるものはなにかと問えば、本当に今この時期に好きなものを返された。  悪戯って感じじゃなくて、単純に食い違ったんだろうけどなんでわけわかんないところで天然出してくるんだろう。  最後の一口となったどら焼きを口へと放り投げ、咀嚼しながら同時に朧の可愛さを噛み締める。  オレに言われて初めて違うこと聞かれてたんだって気付いた朧が「ああー、なるほど」なんて呟いて、考え込んでいる。   「瓜とか柿とかも好きだけど、魚か? オレたちは妖だから別に食わなくたって平気だけど、魚が出るとご馳走って感じあるもんな」 「そうなんだ」 「ダンくんがそれっぽく出すメシはそうなのかなって思ってる」 「だから蕎麦もそっちなのか」 「そうだな、そうかもしれない」    オレは朧がなんの妖なのか未だに知らないけど、今までに聞いてる話の感じだと多分……元から妖ってわけじゃなさそうだ。勝手に元々なんかの動物なんだと推測してる。  遊羅くんのことはそれ以上にわからないけど恐らく三人の中で人間だったのはダンくんだけだ。  だから彼が人間の食事として出すものはきっと二人にとっては馴染みのないものなんだろう。  面白い見解だなあ。そういう研究してたらレポートにして出したいけど、生憎オレの専攻はそこじゃないからな。   「しゆの話を聞いてるとダンくんの時よりも食文化が変わってるんだろうと思う」 「興味ある?」 「まあ、ないと言えば噓だけど。でも別にいい」 「なんだ。逆ヨモツヘグイになると思ったのに」    オレより先に食べ始めてたのに朧はようやっと最後の一口を放り、乱暴に咀嚼して飲み込むと腹いっぱいだと言うように縁側の外に足を放り投げたまま、体を後方へと倒した。  知らぬ間に随分と変わっているんだと呟く朧に、気になるかと聞いたけど不要だと言われて残念に思いつつチャンスをものに出来なかったと肩を揺らせばその口から「うげ」となんとも可愛げのない一言が零れ落ちる。   「しゆお前、黄泉竈食ひ(ヨモツヘグイ)なんて知ってたんだな。こっちが出すもの平気で食うから知らないと思ってた」 「朧と一緒にいられることになるからオレはいいけど」 「ふはっは、ミミズでも食わせてやろ」 「うっ……でも一緒にいる為に必要なら食べるよ」    悪びれもなく莫迦だと思ってたと言われても底意地の悪いことを言われても、腹も立たない。  傍にいる為に必要なことならと返せば朧は横たわったまま視線だけをオレに向け「ま、食わせたりしないけど」と、笑った。  それは朧がオレの気持ちに応えることはないからということなのか、そういうものは存在しないということなのかはわからないけれど。  現時点ではオレに恋情を抱くほどの興味も、好意もないというのは伝わってきたので「そうか」とだけ返すと朧は他人事のように「外は日が暮れるよ」と言った。

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