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第1話
大学の先輩に告白されて付き合い始めたのは、約三か月前のことだ。
俺は男だし、先輩も男。告白された時は相当戸惑った。
だけど先輩は高校生の頃から部活を通じて仲良くしてくれて、俺の面倒を見てくれていた人で。
二歳しか違わないのに頼りになる先輩に、俺はずっと憧れていた。
先輩が卒業した後は連絡を取っていなかったけど、大学へ入学してすぐ先輩と再会した俺は当然のように映画研究会に入った。
先輩は、高校の時に憧れていた存在そのままだった。むしろいっそう研ぎ澄まされている感すらあって、ますます憧れは強くなっていた。
だから告白された時、驚いたけれど嬉しかったのだ。
――そして、今日。
付き合って三か月目で迎えたクリスマス。
もちろん、先輩とデートの約束をしている。待ち合わせは駅前の本屋だ。
かなり早めに着いた俺は、雑誌コーナーへ向かった。普段は映画雑誌を立ち読みするのだが、今日は違う。恋愛特集が載っているものだ。
『付き合って一ヶ月で初エッチ!』
『告った日にそのまま』
『付き合う前から』
過激な文が並ぶ並ぶ。年齢制限が付いていないのがおかしいくらいの下世話さだ。
これは男女間のエピソードだけど、ネットでも散々調べた。恋人同士が進展する早さについて。
「俺は三か月目にして手すら繋げてないぞ……」
告白されて、付き合いはじめた。俺と先輩は恋人同士のはずなんだ。
デートもしている。ほとんど毎日会っているし、連絡も取り合うし、一度もケンカをしたことがない。
それなのに。
どうして先輩は、一度も触ろうとしてくれないんだ?
ぽん、と肩を叩かれた。
「うわっ!?」
思わず本棚にタックルするほど驚いてしまう。先輩が、肩を叩いたポーズのまま目をぱちくりさせて立っていた。
「悪い。そんなに驚くと思わなくて」
「ちょっと考えごとしてたんです。映画の事とか」
もちろん『先輩とどうやって進展しようか考えてました』なんて言えるはずがない。
「鏑木が見たがってたやつだもんな。じゃあ行こうか」
スッと踵を返して歩き出す。手を繋ぐなんて素振りは一切ない。俺の方から、と手を伸ばそうとするけど、ポケットの中にツッコまれたままの手を見て断念した。
本当は理解している。
いくら恋人になったからって、俺たちは男同士だ。
堂々とおおっぴらに、恋人らしいことなんてしていいはずがない。
デートだからって手を繋ぐなんて許されないことなのかもしれない。分かってる。
だけどもともと、俺はノーマルだ。男同士の恋愛に俺を引っ張りこんだのは先輩なんだ。なのにどうして、俺ばっかりこんな風にやきもきしてるんだろう。
少し、いやかなり悔しい。そしてそれと同じくらい、寂しい。
観るのは、ありふれた恋愛映画だ。周りは男女のカップルばかりで、男同士の俺たちは浮いている。
本当は別に、この映画に興味はない。
これを観るのは、俺のせめてもの抵抗だ。
クリスマスくらい、普通の恋人みたいなデートをしたいという意思表示。
先輩が気付いてくれるかは分からないけど。
場内が暗くなると、予告編が少し流れて本編が始まった。
投影されるシーンによって、先輩の顔がほの明るく照らされる。スッと鼻の通った横顔はすごくきれいだ。高校の時、先輩はよく女子から告白されていた。今だって、映画研究会に入っている女子の大半は先輩目当てだなんてまことしやかな噂も流れている。
それなのに、先輩は他の誰でもなく男の俺に告白してくれた。
そのことに優越感もあるけど、今は不安の方が大きい。
「鏑木が恋愛物を観たいなんて言うから驚いたけど、ああいう話だったんだな」
映画館を出ると、先輩がそう言った。
『ああいう話』とはつまり、恋愛映画にみせかけたサスペンス物という嘘の前評判で驚かせるタイプの話のことだ。
「鏑木はすごいな。俺はただの恋愛物だと思ってスルーしてたよ」
「あはは……」
違う。俺が望んでいたのはそういうのじゃない。
普段なら楽しめただろうけど今日は違う。そういうのは求めてなかった。
ごく普通の恋愛映画を観て、ごく普通に恋人らしい感想を言い合いたかっただけだ。
つまり俺の思惑は結局先輩に伝わらないまま。
先輩が気になっていたというカフェで昼ごはんを食べて、適当に駅ビルの中を回って、服を見たりゲーセンに入ったり、いつも通りのデートをした。
もちろん、手は繋げないまま。
だんだん、クリスマスだと意識するのが馬鹿らしくなってきた。
イベントごとだろうとなんだろうと、俺は先輩とキスどころか手を繋ぐことすらできないんだから。
夕方を過ぎると瞬く間に暗くなる。
晩ごはんは、先輩が予約してくれていた店で摂ることになった。
カジュアルなイタリアンレストランで、しかも個室。店に入った直後は店員に一瞬不思議そうな顔をされたけど、すぐに席へと案内してもらえた。
「すみません、こんなすごそうなお店予約してもらって」
「かしこまらなくていいよ。来てみたかった店に付き合ってもらってるんだから」
さらりとそう言えてしまう先輩がかっこよくて、同じ男としてうらやましい。
こんな人に告白してもらえて……生殺しにされているんだよな。悔しい。
「食事はコースだから、飲み物とメインだけ決めて」
「はい」頷きつつ、ドリンクメニューを見る。ワインリストがずらりと長くてノンアルコールは数種類しかない。
「先輩は何飲むんですか?」
「ん? ワイン」
「じゃあ俺も」
「ダメだよ。お酒はハタチになってから」
別に先輩は極端にルール厳守タイプとか、そういうわけじゃない。だけど映画研究会で飲み会があったとしても、なぜか俺には絶対酒を飲ませようとしなかった。
先輩が選んでくれた店だから、美味しさは確かだ。学生になのに、どうしてこんなにおしゃれなところを知っているんだろう。
いくら年上の余裕っていったって、たった二歳の差だ。なのにどうして、こんなに違うんだろう。余裕なく悩んでしまう自分が馬鹿みたいだ。
食事もほとんど終わってしまった。あとはデザートを残すのみだ。
だけど、クリスマスらしい話すらできないままだった。
「先輩……」
「うん?」
にこ、と優しい笑顔を向けられる。
やっぱり余裕だ。
先輩は、ずるい。
目尻が熱くなってくる。
「俺たち、ちゃんと付き合ってます?」
「えっ?」
不思議そうに首を傾げられてしまう。めちゃくちゃ悔しい。
「だって、恋人になったって今までと変わらないし。それらしいこととか、全然なくて。告白されたのは夢だったんじゃないかって」
やばい、泣きそうだ。ここまで切羽詰ってるなんて自分でも思ってなかった。
「ごめん」
謝られた瞬間、何かが一気に決壊した。
先輩の飲みかけのグラスを掴んで、ワインを飲み干そうとする。ヤケ酒だ。でも先輩の方が一歩上手で、あっさりグラスを横取りされてしまう。
「だめだって言ったろ?」
先輩は一気にそれを飲みきって立ち上がった。
「とりあえず出よう」
「……はい」
せっかくのデザートを食べそびれてしまったけど。今はそれを気にしている余裕もなかった。
先輩に支払いを断られて、先に店の外へ出る。
痺れるほどの寒さが頬や耳たぶを撫でた。物理的な痛みで、胸の痛みが中和された気がする。
「お待たせ。行こう」
先輩はそう言って歩き出した。少し迷って、後を追う。気まずいけど、ここで帰ったら後々もっと気まずくなってしまいそうだったから。
「今までごめんな」
歩き出して少し経った頃、先輩がそう呟いた。
「それってやっぱり、こ……告白も、嘘だったってことですか」
「違う、そうじゃなくて」
先輩が立ち止まり、振り返った。そしてまた、気まずげに顔を逸らして歩き出す。
「鏑木に嫌われたくなかったんだ」
気のせいか、先輩の声も掠れている気がした。
「嫌われるって?」
「鏑木はいつも、俺のこと尊敬してるとか憧れてるとか言ってくれるだろ。だから告白した時、軽蔑されるのも覚悟してたんだ」
「そんなこと……確かに、驚きましたけど」
「うん。だから今度は、憧れと恋愛感情をはき違えてるんじゃないかって思った。もしそうだとしたら、不用意に触れたら傷つけてしまうんじゃないかって、不安になった」
先輩は早足で歩いていて、なかなか隣に追いつけない。
白い息が帯のように残る。それを散らすように、先輩の後を急ぐ。
「鏑木は別に、男が好きなわけじゃないだろ?」
「それは……そうですよ。考えたことも、なかったですし」
先輩以外から言われていたら、おそらくすぐに断っていたと思う。先輩だったからこそ、真面目に考えて答えを出したんだ。
「俺も、鏑木だから好きになったんだ。だから男と付き合うのは初めてで、正直どうすればいいか分かってない」
「え……」
男が好きなんじゃないとか、俺だからとか、驚くことはたくさんあった。
だけど一番驚いたのは――。
「分からないって、先輩が?」
追いかけて、前へ回り込む。
先輩の顔は真っ赤に染まっていた。
今まで見たことがない先輩の表情に驚いて、まじまじと見つめてしまう。すると、先輩は顔を隠すように俺を追い越した。
「当たり前だろ。大事にしたいし、嫌われたくない。大体同情で付き合ってくれてるのかもしれないっていう相手に、どこまで踏み込んでいいか分からない」
どんどん足早に歩いていってしまう。
「先輩、駅そっちじゃないですよ」
「うん」
「うんって……」
迷いなく歩いて行く。照れ隠しというわけじゃなさそうだ。
「不安にさせて悪かった」
やがて先輩が立ち止まって、振り返る。
周りがチカチカと明るい。イルミネーションの光だ。
並木道の木々に、カスタードクリームのような色の電飾が無数に飾られている。
木の一本一本がクリスマスツリーのようで壮観な景色。その道の入り口に、いつのまにか俺たちは立っていた。
「行こう」
そう言って、先輩が手を差し出す。「もし、嫌じゃなければ」
差し出された手のひらは、手袋がされていない。指先が赤くかじかんでいた。
俺も手袋を取って、おずおずと重ねた。
先輩は嬉しそうに微笑むと、ぎゅっと握りしめる。
「ありがとう」
初めて繋いだ恋人の手は冷たかった。
イルミネーションの並木道。クリスマス当日。周りは男女のカップルばっかりだ。
すれ違う人が俺たちに気付いて、不思議そうな顔をしたり、小さく噂をしたりした。だけど手を繋いだままでいる。
「……人目があるから、こういうことをしてくれないんだと思ってました」
「他人のことなんてどうでもいいよ」
先輩は困ったように苦笑いを浮かべた。
「鏑木が好きだから、嫌われたくない。ただそれだけだ」
道の途中に、イルミネーションを見に来たグループ用の撮影スポットが用意されていた。誰もがそちらのほうへ目を向けている。
「撮りたい?」
先輩がコソリと尋ねてくる。
「いえ。あの……こうして繋いだままでいる方が、ずっといいです」
答えると、先輩が驚いたように目を見開いた。そして、心底嬉しそうな顔で笑う。
「そういう可愛いことを言われると、困るな」
「困る……?」
「今まで我慢してた分、歯止めが効かなくなりそうで」
からかっている言葉なのか分からない。真意を確かめるように瞳を見つめていると、先輩の顔が近づいてきた。
「あ、」
唇が触れる。
一瞬の出来事だった。
それだけで、頭が真っ白になる。
「…………先輩」
「クリスマスプレゼント、勝手にもらって良かったかな?」
「あ……いえ。あの、俺ももらったんで……」
唇を指でなぞる。
かすかに感触が残っている、気がした。
俺の反応を見て、先輩はからかうようにクスクスと笑い声を立てる。
「なあ鏑木。恋人らしく名前で呼び合わないか?」
「ど、努力します」
「うん。楽しみにしてる」
そしてまた、先輩に手を引かれて歩き出す。
手を繋ぐことも、キスも、想像以上にずっとドキドキする。
俺たちは――少なくとも俺は、周りに惑わされることなくゆっくり進んでいった方がいいのかもしれない。
さっきまでのやきもきした気持ちが嘘のように溶けていた。
それはきっと、繋いだ手がゆっくりと熱を帯びていっているからだ。
俺は体温を確かめるように、少しだけ強く先輩の手を握り返した。
顔をあげると、先輩は耳を赤くして微笑んでくれていた。
(終わり)
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