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第1話
『……――の中学校で、女子生徒の体を触るなどしてこの学校で勤務する32歳の男性教員が逮捕されました。警察の調べに対し――……それでは今日のにゃんこです!本日のにゃんこは――……』
朝から嫌なニュースが流れて眉を顰める。かと思えばさっきとは打って変わって明るい声で調子よく女子アナウンサーが猫の紹介をしはじめた。
野蛮な世の中を今日も猫が救ってくれている。猫様様な世の中である。
「お坊ちゃん、朝食が出来てますよ」
「ああ、たべます。頂きます」
お手伝いさんのおばさんがそう言って味噌汁とご飯をよそって食卓に並べてくれる。焼きたての鮭が美味しそうだ。
父親は早くに離婚して居ない。母親は会社を経営していて忙しい為に殆ど顔を合わせることはない。なので家のことはお手伝いさんが殆どやってくれている。
ご飯を口に運びながら猫がじゃれている映像を見る。猫は好きだ。ふわふわしていて柔らかい。うちは母親が猫アレルギーだからそもそも飼えなかったけれど、いつか自分が大人になったら猫を飼ってみたいと思っている。
「ご馳走様でした。じゃあ行ってきます」
鞄をもって玄関に移動してローファーを履く。重たい電子錠の扉をあけて外へ出た。
学校へ着くと、校門で数人の先生が立っていて生徒たちに向かって挨拶をしている。
その中に担任の相澤先生も立っていた。
すらっと高い身長に、筋肉が程よくついてピンと伸びた背筋、ツーブロックの黒髪は清潔感があって爽やかな雰囲気を感じさせる。
生徒たちは相澤先生と少し何か話したあと、楽しそうに笑って手を振って校舎へと歩いていく。
生徒とも関係を程よく築いていて相澤先生を嫌う生徒は一人もいない。むしろ、人気者といっても良いくらいだ。特に女子人気は高い。
「おう、おはよう東條」
「おはようございます」
ぺこ、と軽く頭を下げて通り過ぎようとするとなあ、と引き止められる。
「昨日の数学の小テスト満点だっけ?先生からきいたぞ、やるな」
「たまたまですよ」
満点なんて滅多に取れるものじゃないし、本当にたまたまだと思う。こういう細かい所に気を配って話しかけてくれるところが人気の秘訣なのかもしれないな、と感心する。
「謙遜するなよ、凄いんだから」
な?と眩しいくらいの笑顔を向けられ圧倒される。はあ、と頭を下げて今度こそ校門を通り過ぎた。
あの真っ直ぐな目が苦手だ。眩しくてキラキラしている人種は、自分とは正反対過ぎるからなのかも知れない。だからと言って嫌いじゃなかった。教師の中でもあそこまで生徒に馴染める先生は彼より他に居ないだろう。そんな所は尊敬していた。
***
昼休み、適当にお弁当を食べる場所を探す。
教室は騒がしくて苦手だ。一緒に食べる友達も特にいないし、一人で教室で食べるのも気まずい。
使われなくなった体育倉庫の裏の大きな木の影に座る。ここなら人気もなくて静かだ。日も遮られていて丁度いい涼しさで悪くない。
木に背中を預けて弁当を広げる。
お手伝いさんが作ってくれたお弁当だ。栄養が考えられていて、彩りもいい。「頂きます」と呟いて食べ始める。
しばらく食べていると何やら人の呻き声が、使われなくなった体育倉庫からしてきた気がして、驚いて振り返る。耳を澄ますと、鳥の鳴き声や風の音に混じって、やはり人の呻き声が微かに聞こえる。
一瞬不気味に感じて鳥肌が立ったが、本当に人がいて苦しんでいるのかもしれないと思い立って、体育倉庫の開け放たれた小窓を覗き込む。
俺はその光景を見て、硬直した。
まず驚きと、それに嫌悪と、吐き気。
そして、信じていたものを裏切られた憎悪が込み上げる。
そこに居たのは相澤先生だった。
ただ居ただけじゃない。ズボンとパンツを膝下まで下ろしていて、頬は赤く恍惚とした表情でスマホの写真を見ながら自慰に耽っている。
それだけでも相当なショックだが、もっと重大なのは、そのスマホの写真に写っていたのが同じクラスの上田陽一 だったからだ。
おそらく隠し撮りだろう。その写真を見ながら、恍惚と自分のモノを上下に擦る様子に唖然とする。
こんなのは間違っている。そうだ、証拠を。
そう思って、俺はその中にいた人物にバレないようにそっとスマホを取り出して証拠の写真を撮った。
カシャ、とシャッター音が鳴って相澤先生がハッとして振り返る。
「は……なん、え?」
俺と目が合うと、みるみるうちに顔が青ざめていく。
「なにしてんの?」
自分でも驚くほど冷たい声だった。
今朝のニュースを思い出す。やはり野蛮な世の中だ、と思う。
「いや、これは、そのっ」
「そっち行くし、逃げるなよ。証拠の写真もあるんだ」
冷たい目で見下ろしてそう告げる。倉庫の入口から入り直して、相澤に歩みを詰める。
相澤は既にパンツとズボンを履き直していたが、緩められたネクタイとズボンからはみ出たシャツに普段のような爽やかさは皆目ない。
俺は相澤先生を犯罪者を見るような目で蔑む。実際、やっている事は犯罪紛いの事だ。
「その写真、写ってるの上田陽一だよね。あ、嘘つかないでね、証拠あるんだから。嘘ついたって分かった瞬間この写真ばら蒔いてもいいんだよ?」
「は、はい……上田くん、です」
「で、なに?お前って高校生で興奮するくそショタコン野郎なわけ?」
嫌悪と憎悪で声が大きくなる。捲し立てるようにいうと、相澤先生は驚いて俺を見る。
普段こんな言葉遣いを使わないからだろう。でも、いま俺は怒っている。物凄く。
いつも笑顔で挨拶してくれて、細かいところまで気にかけてくれる、人気者で教師の鏡のような存在、だった。俺はそんな相澤先生を密かに信頼していたし、憧れていた。それなのに。
「ち、ちがっ……いや、違わないけど。上田が、好きなんだ、本当に」
「なにそれ、気持ち悪い。お前、相当気持ち悪いよ。ほんと――吐き気がする」
上田くんが好き?本当の本当に気持ち悪いショタコン野郎じゃないか。こいつ幾つだっけ。いや、いくつでも関係ない。未成年に恋心を抱く時点で気持ち悪すぎる。
ゾッとして鳥肌が立つ。
同時に裏切られた憎悪ではらわたが煮えくり返りそうだった。
「ごめんなさ、いっ」
身をすくめて小さな声でいう相澤先生。
そこに教師の威厳などどこにも無い。
「俺に謝ったところでなんになるんだよ、バカが」
まるで被害者みたいな反応をみせる相澤先生に苛苛して舌を鳴らす。
相澤先生はびく、と肩を震わせた。
被害者はこんな惨事をみせられた俺のほうなのに。いや、侮辱とも取れる行為に利用されている上田くんが最も被害者だろう。
「俺、どうしたらいい?東條、頼む……何でもするから、この事は誰にも言わないでくれ」
「へえ。何でも?」
へえ、と思う。何でもする、と泣きつくような事を言ってのける相澤先生は恐らく今崖っぷちに立っている。俺の一挙手一投足に相澤先生の人生は握られているのだ。
なんだ、こいつの人生俺次第か。そう思うと何故だか優越感に満たされる。人の人生を握るってこんなに満たされる事だったのか。それこそ、今まで順風満帆に教師の鏡として生きてきた相澤先生だからそう思うのかもしれない。
「じゃあ、何でもしてね。今日から先生、俺の言いなりになってよ」
「え、……は、はい」
少し潤んだ目は困惑している。何でもすると言ったのは自分の癖に。
「え、じゃあ、黙っててくれるのか?」
「先生の為じゃない。上田が可哀想だからだよ。勘違いしないでね」
「ああ……でも、助かる。ありがとう」
東條。そう名前を呼ばれておずおずとお礼を言われる。気に障るやつだ。お礼なんてされて自分も共犯者になったような気がして気分が悪い。
いや、共犯者なのだろうか、俺は。
それでも、相澤先生を突き出す気にはなれなかった。不思議だな、と思う。俺は一体先生に何を期待しているんだろうか。
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