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第1話①
連なる山の頂に張り付いた氷雪が緩み、春の息吹がそろそろ麓にも降りてこようという矢先、王都から離れた小さな田舎町には、朝から季節外れの雪が舞い落ちていた。鉛色の空からふわふわと落ちてくる雪をガラスの窓ごしに目で追いながら、リオンは垢じみて擦り切れた毛布の中で華奢な身体を丸めた。
「うぅ……寒い……」
数日前からまるで真冬に戻ったような天気だった。壁の隙間からひゅうひゅうと風が入ってくるせいで、部屋は外と同じような寒さだ。こうして毛布にくるまっていても、寒さで手足の感覚が無くなっていく。
リオンはうつろな目を部屋の中に向けた。粗末な木のベッドと壊れかけたテーブルと椅子と小さな戸棚。それだけがぽつんと置かれた部屋の中は薄暗く、暖炉の火が消えてどのくらいだろう。
粗末で古びた住まい同様、リオン自身の身体も薄汚れていた。本来は輝くばかりに光を放つ金色の髪はすっかりくすみ、美しかった母譲りの白くきめやかな肌も埃と垢にまみれ見る影もない。まともな食事をしたのはどれぐらい前かわからない身体はがりがりに痩せていて、もうすぐ十八の誕生日を迎えるというのに、十四、五の年の子供にさえ体格では負けるかもしれない。
でもそれはただ単に栄養が足りていないだけだからではなく、リオンの特別な身体の事情からだった。
『――リオン、オメガというのは決して悪いものではないのよ。確かに普通の男の人よりあなたは華奢だし小さい。でもね、命をはぐくむという素晴らしい役割を持った身体なの』
三か月前に亡くなった母のアナは、幼いころからこんなふうに言い聞かせてくれたけれど、リオンにはどうしてもそう思うことが出来なかった。
この世界には男女の性の区別の第一次性のほかに、第二次性として三つの性別が存在する。
頭脳と身体能力に優れ、それゆえに社会的にも上位層のアルファ。そして中位層であり大多数のベータ。そして、男女関係なくアルファの子どもをはらむことが出来るオメガ。
こう聞くとオメガは重要な役割を担っているように思えるが、建前と現実は違う。三か月に一度発情して体からフェロモンを放ち淫らにアルファやベータの男を性行為に誘うオメガは、淫らで野蛮な存在とされ、実際には差別の対象だ。すべてにおいてアルファやベータに劣る最下層。それがこの世界の常識。オメガという存在だ。
この村においてもその常識は変わらなかった。リオンが物心つく前から村の人からのリオン親子への扱いは酷いものだった。
母はもともと他の土地から流れてこの村に辿り着いたらしい。
いきなり村に棲みついた素性も知れぬ腹の大きな女、そして生まれたのはオメガの子供。
母は薬草の知識を持ち、畑で育てた薬草から薬をつくる生業をしていたが、それでも生活は苦しかった。村人たちが、何かと理由をつけて薬に対する適正な代金を払ってくれないのだ。
理由は明白だ。リオンがオメガだったから。
周囲に味方はおらず、母と二人きりで肩を寄せ合うように慎ましく生きてきた。それでもリオンは十分に幸せだった。村の子供に汚らしいオメガとどれだけ罵られてもいじめられても、耐えることが出来た。優しく美しい母がいてくれて、惜しみのない愛を与えてくれたからだ。
でもそんな母はもういない。冬の初めに流行り病にかかり、三か月前に亡くなってしまった。
一人残されたリオンは途方にくれた。それでも母から受け継いだ薬草畑と知識を使って村の人々相手に薬を売って小銭を稼いでいたが、二か月前の発情期に起こった事件以降、リオンの境遇は一層厳しいものになってしまった。
――みっともなく発情して、男を誘うなんて汚らわしい。
――いやらしい男娼と同じじゃないか。
村人には心無い言葉を掛けられ、薬の代金さえもろくに払ってもらえなくなった。誰にも頼ることが出来ず、リオンは一人きりベッドの中で空腹に耐えることしか出来なくなったのだ。
『リオン、愛してるわ。あなたはとても素晴らしい子。きっと神様が助けてくださる』
寒々しいベッドの中で、母の言葉と温もりを思い出し、リオンは琥珀色の瞳からぽろりと涙をこぼした。
(神様なんていないよ、母さん……)
皆がリオンの存在を無視し、いないものとして扱い、人から掛けられるのは侮蔑の言葉だけ。もう何のために生きているのかわからない。いっそのこと母親のいるところに逝ければ楽なのにとも思う。だけど、あれほど母親に慈しんでもらった身体を傷つけ、自ら命を絶つなどできはしない。
いきなり家の扉がドンドンと叩かれたのはそのときだった。
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