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第3話②
『誰かと心を通わせたい』
リオンは今までずっとそう願ってきた。
けれどオメガであるリオンは生まれたときから差別の対象だった。
子供の頃は気の毒そうな視線を送ってくれた村人も数人いたが、リオンが発情期を迎えてからはその人たちからも避けられるようになった。もちろん友達が出来たこともない。小さな村の中、リオンには本当に母親しかいなかった。
だけどその母親もいない。もうこの世には、自分を愛したり大事にしてくれる人などいないのだ。
誰にも相手にされず、愛されず、ただひっそりと独りで生きていくだけ。それが卑しいオメガの自分にお似合いの人生。
自分なりに折り合いをつけて諦めていたはずなのに、ふいに途方もない寂しさが襲ってきた。リオンは深く俯き、手のひらをぐっと握りしめた。
突然馬車の入り口の扉が開いたのはそのときだ。
「え……?」
驚いて顔を上げると、クレイドが入り口のところに立っているのが見えた。エルが驚いたように立ち上がる。
「クレイド隊長? どうかされましたか?」
「エル、すまないが少しだけ交代してくれ」
「え? 交代ですか?」
「リオン様のそばには私が付く。エルは荷馬車の方に回ってくれ」
「はい、わかりましたが……」
エルは戸惑ったような顔のまま馬車から降りてゆき、代わりにクレイドが大きな体を丸めるようにして乗り込んでくる。
「クレイド? どうしたの? 外で何かあった?」
「いえ、何もないのですが……。今日だけ私もこちらに乗せてもらうことにしました」
「え? 今日だけ? でもさっき――」
馬に乗っていくと言っていたのではないか。と、言いかけて口を噤んだ。
(もしかして僕が寂しいと思って来てくれたとか? ……ううん、そんなわけはないよね)
また都合良く考えてしまう自分を諫めるように、リオンは内心で首を振った。
自分は何もしなくても他人を苛立たせてしまう人間なのだ。期待するのはよそう。それに、これ以上馴れ馴れしくしてクレイドにまで嫌われたくはない。
やがて外から号令の声が聞こえ、ゆっくりと馬車が走り出す。
リオンは窓の外に顔を向けた。
母親と暮らした小さな家が遠くなっていく。一緒に薬草を探した裏山、夏に水浴びをした小川……。辛い思い出もあるが、やはりリオンにとって、ここはかけがえのない故郷だった。
(もうここには戻ることはないのだな……)
寂しい思いで窓の外の景色を見ていると、隣に座ったクレイドが静かに口を開いた。
「我が国のずっと南の方には、春の初めに丘一面水色の花で覆われる有名な名所があります」
「え?」
突然はじまった話に、リオンはクレイドの方を振り向いた。
「夏には北の方から運んできた氷を切り出して王都の店で売り出すのです。氷を食べたことは?」
「あ、ええと、ないけど」
「そうですか。細かく削って、花の蜜を掛けて食べると驚くくらいにうまい。秋には王都の近くの森が紅葉で一斉に赤く染まります。まるで燃え盛る炎のようで、夕焼けの中で見ると、息を呑むほどの迫力です」
「それは確かに……想像しただけで美しい風景だね」
「ええ、そうなんです。それに冬には、王都の広場近くの湖に厚い氷が張ります。滑走靴の貸し出しがされて、王都の住民たちはスケートを楽しみます。練習をすれば、きっとリオン様もすぐに滑れるようになります」
クレイドがこちらを向いた。じっとリオンの目を覗き込んでくる。
「ノルツブルクはこの国と比べたら小国ですが、美しい所も楽しいこともたくさんあります。すぐには無理ですが、いつか私が連れて行きましょう」
「え……」
リオンはようやく気が付いた。
(もしかして、僕を励まそうとしてくれてる?)
出発のときに、村長に冷たく突き放されたところを見ていたのかもしれない。落ち込んでいるのを察して、クレイドなりに元気づけようといろいろな話をしているのだろう。
そう気が付くと気持ちが温かくなってきた。
「ありがとう、クレイド」
「……いえ」
照れているのかクレイドが一気に仏頂面になった。思わず笑いが漏れそうになる。
クレイドは騎士らしく落ち着いていて喜怒哀楽が表情に出ない。表情もあまり変わることもなく淡々とした印象が強い。だけど数日間誰よりもそばにいたリオンはわかった。クレイドは優しい。いつもリオンの気持ちを理解してくれて、さりげなく助けてくれる。
クレイドのおかげで緊張で強張っていた肩のあたりが楽になった。それからリオンは、だいぶリラックスした気分で過ごすことが出来た。
馬車は見たことのない景色の中を走っていく。牧歌的な草原や深い森、見たことのない大きな村。馬車の窓から見える景色は物珍しくて本の挿絵のようだ。
最初はどうなることかと思えた旅路だったが、リオンはとても丁重に扱われた。
長距離の移動なので基本的に昼間は休まずに移動するし夜間は野営だが、就寝時には天幕が張られる。垂れ幕を何重かに重ねただけの空間だが、リオンに当てられた場所には分厚い絨毯が二重に敷かれ、なかなかの寝心地だった。
食事も質素ながら三食きちんと出され、ずっと食うや食わずの生活だったリオンにとってはこれ以上のないほどの待遇だ。
残念なことにクレイドが一緒に馬車に乗ってくれたのは旅が始まった初日だけだったが、食事の時間と夜寝る前にはかならず顔を見に来てくれる。
相変わらず側で仕えるエルは冷ややかな態度だったが、クレイドと過ごす時間があるから耐えることが出来た。
そんな日々が五日ほど続き、ノルツブルク王国への道程の約半分がようやく過ぎたころのことだ。
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