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第17話③
クローネとブルーメ――つまりアルファとオメガが番の契りを結ぶためにはいくつかの条件がある。
まず、オメガが発情状態であること。
二つ目に、番になるオメガとアルファが性行為を行い、アルファの精をオメガの体内に受けること。
そして三つ目は、その状態のままでアルファがオメガのうなじを噛むこと。
これらの条件が三つ揃うことによって、番関係は成立する。
「そのためにはリオン様には私が調合した薬を服用していただいて、初夜当日にはリオン様のお身体を緩やかな発情状態に持っていきます」
淡々と説明される内容に、リオンは何と答えればよいかわからず狼狽えてしまった。
番になるためにはそれらの行為が必要なことは以前から知っていたし、覚悟もしていたつもりだった。
それなのに改めて目の前に突きつけられた途端にどうしていいかわからなくなる。ちらっと伺い見たオースティンも、珍しく動揺しているようだった。
そんなリオンたちの様子にも我関せず、ドニは涼しい顔で続ける。
「初夜は七日後でいかかがでしょうか」
「七日? そんなにすぐ?」
ドニの言葉に、オースティンが驚いたような声を上げた。
「リオンが僕の番になると決めたのはつい先日だ。そう急がずとも――」
「ええ、言いたいことはわかります。ですが、あまりのんびりとはしていられない。確かにヴァルハルトとは一旦は折衝がまとまりましたが、それも長く保持できるものではないでしょう。また時期を見て、ヴァルハルトは同じことを仕掛けてくるに違いない。その前に何か有効な手を打たなければなりません。ノルツブルクの王室は安泰だと、国内外に広く報せなければ」
ドニの視線はオースティンに向いていたが、言葉はリオンに向けられているように感じた。
(そうか……そうなんだ……)
クレイドが無事に帰ってきたことしか頭になかったが、いくらヴァルハルトとの交渉がうまくいったと言っても、それで話は終わりではないのだ。
ノルツブルクの血筋を引くオメガでなくとも、一般的にオメガは超貴重種だ。もしヴァルハルトにノルツブルクの王宮にブルーメがいることを知られたら、リオンの身を要求されたり、番を結ぶ前に邪魔をされる可能性がある。
(そうなったら、ノルツブルクとヴァルハルトは戦になるかもしれない……)
ぞっとした。そんなのは嫌だ。クレイドが必死で守ってくれた平和なのに――。
リオンはぐっと拳を握り、口を開いた。
「……わかりました。七日後にしましょう」
リオンが答えると、オースティンは驚いたように振り向く。
「リオン……いいのか?」
「はい」
確かに番を結ぶことに関しては不安も恐怖も残っている。だけどここまで来たからには引き返すことは出来ない。
オースティンは何とも言えない顔をしていたが、やがてリオンに頷き返した。
「わかった。初夜は七日後にしよう」
「かしこまりました。準備いたします」
ドニが頭を下げる。
「今回は侍医である私が責任を持って、リオン様のお身体に無理が出ない範囲での発情状態をコントロールしていきます。以前のように副作用が出ることもありませんし、我を失うほどの発情状態にはなりませんのでご安心ください」
「……そうですか」
それを聞いて安心した。エルに薬を飲まされたときのような酷い状態にはならないということだ。
「それでは明日からリオン様の薬の服用を始めます。明日の朝、リオン様のお部屋に伺いますので」
ドニはもう一度深く礼をしてから部屋を出て行った。
(七日……七日後にオースティンと僕は……)
「リオン」
「えっ」
声を掛けられ、身体がびくつくほどに驚いてしまった。
過剰な反応をしてしまったと後悔するももう遅い。部屋の中には居心地の悪い沈黙が落ち、オースティンが気まずそうに微笑んだ。
「……そろそろ部屋に戻った方が良さそうだね。送ろうか」
「……はい」
リオンは素直に頷いた。
小部屋を出て、二人で並んで廊下を歩き始める。なんとなく気まずい雰囲気が流れていたが、隣を歩くオースティンがふいに言った。
「明日の朝からリオンにはお菓子と果物をたくさん届けるからね」
言葉の意味がわからず、え? とリオンはきょとんとしてしまった。
「どうしてですか? 食事なら十分頂いていますよ?」
「薬はきっと苦いよ? 口直しには甘いものが必要だ」
「……オースティン。僕は子どもではないのですが」
「おお! そういえばそうだったね。失礼失礼」
冗談めかして言うオースティンに、思わず笑ってしまった。
笑うとふっと肩が軽くなり、少しだけ前向きな気持ちになった。
本当にオースティンは明るい人だ。それに優しい。そばにいると気持ちが明るくなってくる。この人の隣だったら、何とか歩いて行けるかもしれないと思えてくる。
ふと、王宮に来た初めの頃にオースティンが山ほどの贈り物を携えてリオンの部屋に毎日やって来たことを思いだした。
(……あの頃は楽しかったな……)
クレイドがいてオースティンがいて、三人で笑っていた。あんなに楽しかったのに今はもう何もかも変わってしまった。あの時の三人に戻ることは出来ない。
(どうして……こんなふうになっちゃったんだろう)
途中で何かの選択を誤らなければ……あるいは初めからやり直せれば、こんな結末は避けられたのだろうか。
ぼんやりと歩いてたリオンは、急にオースティンが歩みを止めたことにすぐには気が付かなかった。はっと気が付くとオースティンが隣におらず、リオンは驚いて振り返った。
「オースティン?」
オースティンは廊下の真ん中で立ち止まっていた。じっと廊下の先を睨むように見ている。不思議に思いながら彼の視線先を追い、そしてリオンも息を呑んだ。
「――あ……」
オースティンの視線の先にいたのはクレイドだった。騎士団の制服を着ていて、書類を手にしている。王城の中で隊の会議があったのだろうか。
クレイドはリオンとオースティンの姿を見て目を見張った。
姿を見たのは十字架を返したとき以来だった。鼓動が早くなり、クレイドへの気持ちが膨れ上がりそうになる。彼のところに駆け寄りたくなってしまう。
思わず足が出そうになった瞬間、「リオン」とオースティンの声が耳元を掠めた。
同時にオースティンの手が伸びてきて、リオンの腰に回る。ぐっと引き寄せられた。
「リオン、行くよ」
「えっ?」
オースティンはリオンの腰を抱いたまま歩き出した。リオンは引っ張られるような状態のままでクレイドのもとへと近づいていく。
クレイドは目を見開いてリオンたちのことを見ていたが、静かに視線を落とした。そして廊下の端に寄り、敬礼の姿勢で頭を下げる。
「ご苦労」
オースティンが声を掛けた。
クレイドはぴくりとわずかに身体を揺らしただけで、頭をあげるようとしない。リオンとオースティンが横を通り過ぎてもまだ、クレイドは頭を下げたままで微動だにしなかった。
(クレイド――)
その揺るがない態度に、リオンの胸はずきんと痛んだ。なぜか見放されたような気持ちになり、寂しさが襲ってくる。
クレイドの十字架を「もういらない」と返したのは自分だ。言葉にこそしなかったが、『あなたの存在はもういらない』と決別したのも同じことだ。
それなのにまだ、クレイドに対して求めているものがあることに気が付き、リオンは情けなさに項垂れた。これ以上、何もクレイドに望むべきじゃないのに――。
「気になる?」
しばらく廊下を歩いて角を曲がったところで、オースティンが小声で聞いてきた。意味深な言葉に内心どきっとしたが首をふる。
「……いいえ」
もう決めたことだ。クレイドの気持ちも未練も捨て去ると決意した。
「……そう」
オースティンは静かに頷くだけだった。
廊下の蝋燭の灯りに照らされたオースティンの横顔は、何かを考えこんでいるように見える。だが彼の内心の考えなどリオンにわかるはずもなく、じきにリオンの部屋の前に着いてしまった。
「あの……送ってくれてありがとうございました。それに衣装も見せて貰って……」
向き合って改めてお礼を言うと、オースティンはかすかに笑って首を振った。
「少しでも気晴らしになればと思ったんだ。まあ結果は微妙だったけどね」
「……いえ、ありがとうございました」
「リオン……」
オースティンが眉を寄せ、すっとリオンの頬へ手を伸ばしてきた。
(キス……される……?)
あからさまにびくっと身体を揺らしてしまった。
(あ……)
我に返ったリオンが顔を上げると、オースティンが苦笑いで見ている。
「大丈夫、今は何もしないよ」
オースティンは笑顔でそう言うと、リオンの頭を撫でる。「それじゃおやすみ」と穏やかな声で挨拶を告げ去っていった。
リオンはその背中を見送りながら、申し訳ない気持ちで俯いた。
オースティンと触れ合ったのは、あのときの軽いキスが一度だけ。その後彼はリオンに触れてくることはなかった。きっとリオンの気持ちの整理がつくのを待ってくれているのだろう。
だが番を結ぶことを先延ばしには出来ない。すぐに番を結ぶ夜はやってくる。
ふっとさっき会ったクレイドの顔を思い出し、慌ててその残像を頭の中から追い出した。
(決めたんだ。僕はオースティンの番になるって)
そうして七日間は、瞬くまに過ぎていった。
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